クラウディオ・ロッシ・マッシミ監督が2021年に撮った『丘の上の本屋さん(Il diritto alla felicità)』は、美しいイタリアのチヴィテッラ・デル・トロント村で撮影された作品になります。
小さな古書店を営む思慮深く教養豊かな老人レモ・ジローネ(役名:リベロ)は、読書の恩恵を信じており、愛する本に第二の人生を与えることを欣びを感じています。
彼の書店には、ピノ・カラブレーゼ(役名:サプート教授)、稀覯本コレクターのモーニ・オヴァディア(役名:メドゥーサ)、棄てられた本をレモ・ジローネに売ることを生業にしているフェデリコ・ベロッタ(役名:ボジャン)等の、様々な人達が日々顔を出します。
隣のカフェでウェイターとして働くコッラ―ド・フォルゥーナ(役名:二コラ)は、アンナマリア・フィッティバルディ(役名:キアラ)とのデートの為に、彼女が母親の為に探しているフォト・ブックを入手して彼女の来店を待ち伏せています。
アフリカの移民でイタリアに6年間住んでいる少年ディディー・ローレンツ・チュンブ(役名:エシエン)は本を買うお金がありませんでしたが、レモ・ジローネは彼に読書の世界を体験させる為に、まず漫画や古典文学を貸し与えます。
本の貸し出しは長く繰り返され、ディディー・ローレンツ・チュンブは新しい物語を始める前に、読んだ本の感想をレモ・ジローネに伝えることを約束とします。
或る日、レモ・ジローネはディディー・ローレンツ・チュンブに本を貸す代わりに、人生の左右の書とするよう申し伝えながら一冊の本をプレゼントします。
古書店巡りを趣味とする自分には、紙に記した文章に対するオマージュとも言うべき本作は、書籍が単なる紙に印刷された商品(モノ)を超えた存在として描かれている点で嬉しい映画です。
映画の中でレモ・ジローネは、作者が世に送り出した本が、読む人の解釈により読者夫々の作品となることについて語ります。
それは、時や様々な壁を超えた芸術作品全てに当て嵌まる言葉ではないかと考えます。
そして、映画では経年によって変わり得る少年期の曇りのない目を通して描かれる無垢なキャンパスを、濁りの無い色や正しい文章で染めることの意義が語られます。
この映画で興味を惹くのは、本の世界に導くためにレモ・ジローネディディー・ローレンツ・チュンブに貸し与える数冊の本です。
ウォルト・ディズニーの漫画本に始まる貸与本の流れは、「ピノッキオの冒険」(作:カルロ・コッローディ)、「イソップ寓話集」(作:アイソーボス〈イソップ〉)、「星の王子さま」(作:アントワーヌ・ド・サン=デグジュベリ)、「白鯨」(作:ハーマン・メルヴィル)、「ドン・キホーテ」(作:セルバンテス)等になりますが、「白鯨」と「ドン・キホーテ」は要約版だと思いながらも(※1)、そのライン・アップの意図とセンスには興味を覚えます。
映画では、恋人と共にアメリカ移住を決意する女性の日記に目を通すレモ・ジローネと、自身の唯一の著作を探し続けるピノ・カラブレーゼの姿も描かれますが、人の目に触れることを意図せずに記された生気溢れる私的文章と、出版物に人生の存在価値を置く教授の姿が対比されて描かれている様な気がします。
それは「本」が持つ多様性を、他人の人生に触れることが出来る’文字’の力と、今生の証としてのモニュメントとしての’出版物’を描くことで描いているのかも知れません(※2)。
レモ・ジローネがイソップの出自はアフリカ大陸であると少年ディディー・ローレンツ・チュンブに語り、座右の書とすべき本を彼に与える流れに心が揺さ振られる愛する映画です。
(※1)サマセット・モーム推薦の「世界10大小説」を読了する過程で、「白鯨」(岩波文庫版全3冊)に難儀したことを思い出します。
映画では他に、「ユリシーズ」(ジェイムズ・ジョイス)、「アンクルトムの小屋」(ハリエット・ビーチャー・ストウ)、「白い牙」(ジャック・ロンドン)、「ロビンソン・クルーソー」(ダニエル・デフォー)も登場します。
(※2)稀覯本コレクターにとっては蒐集物、転売(本セドリ)を生業とする者には生活の糧・商品、極端思想(性癖)者には聖典(性典)なのかも知れません。
私事で恐縮ですが、初版本・オリジナル盤、サイン本・盤の蒐集癖が少程度ありますので、書物・録音ソフトを装丁・ジャケットも併せた作品('モノ')としても愛しております。
§『丘の上の本屋さん(Il diritto alla felicità)』
レモ・ジローネ↑
ディディー・ローレンツ・チュンブ↑
レモ・ジローネ、モーニ・オヴァディア↑
ディディー・ローレンツ・チュンブ↑
ディディー・ローレンツ・チュンブ、コッラ―ド・フォルゥーナ↑
ディディー・ローレンツ・チュンブ、コッラ―ド・フォルゥーナ↑
ディディー・ローレンツ・チュンブ↑
書店がある丘からの風景↑
コッラ―ド・フォルゥーナが働くオープン・カフェの前を歩くレモ・ジローネ(左端)↑