小林正樹監督による小泉八雲文学の映像化作品『怪談(Kwaidan)』(1965)は、その映像美により映画史に確固たる足跡を残した作品ではないかと考えております。

映画は、「黒髪」、「雪女」、「耳無芳一の話」「茶碗の中」の四つのエピソードから構成されております。

 

◆黒髪

京都の貧しい武士である三國連太郎は、高い身分を得るために内職で機を織る妻・新珠三千代と離別し、家柄の良い渡辺美佐子と再婚します。

しかし、裕福な地位を得たにも拘らず、三國連太郎の二度目の結婚が不倖であることに気付かされます。

新しい妻・渡辺美佐子は無神経で我儘であり、折に触れ三國連太郎と自分の出自の違いを口にします。

三國連太郎は、献身的で忍耐強い新珠三千代と別れた自分の浅はかさを思い知らされます。

渡辺美佐子は、三國連太郎が新珠三千代との生活を今でも恋しく思っていることを知り激昂します。

任官先の役目を終えた三國連太郎は、侍女に渡辺美佐子との結婚生活を終わらせることを告げ、彼女と暮らしていた屋敷を去ります。

三國連太郎が戻ってくると、屋敷は一層荒れ果てたものの新珠三千代の部屋は彼女同様昔のままで、三國連太郎は彼女に戻って来たことを歓待され、全てを赦して貰います。

新珠三千代は京の都が変わってしまったことと、ここに二人が一緒に居ることは限られていることを述べますが、それ以上詳しくは語りません。

二人は三國連太郎が眠る迄、愉しく過去と未来の話を交わします。

 

◆雪女

武蔵国の仲代達矢(役名:巳之吉)と浜村純(役名:茂作)の二人の樵(木こり)は、吹雪の為に小屋に避難します。

小屋に現れた岸恵子演じる雪女は、白い息を吐いて寒さに横たわる浜村純をを死に至らしめます。

岸恵子がその様子を見ていた仲代達矢の方を向くと、女は仲代達矢の美しさと若さを有する彼の命を惜しむが故に、他言せぬことを誓えば助命してあげようと言います。

帰宅した仲代達矢は、その夜のことについては一切触れずに日々を過ごし、やがては吹雪の夜は夢か幻であったものと思うようになります。

或る日、仲代達矢が山仕事をしていると、岸恵子演じる旅姿のお雪に出会います。

訊くと、岸恵子は家族を亡くした独り身であり、江戸に住み込み仕事を手配してくれる親戚の家に向かう途中であると言います。

仲代達矢は、望月優子演じる母親の居る家に一晩泊まることを岸恵子に申し出ます。

岸恵子に恋心を抱いた仲代達矢は、岸恵子と共に暮らし始め、結婚して3人の子供を授かった2人は幸せな日々を過ごします。

村の女性達(演:菅井きん、千石規子、野村昭子)は、3人の子供を産んでも若さを保ち続ける岸恵子を不思議がりながらも畏敬の念を抱きます。

或る晩、仲代達矢は岸恵子の為に編んだ赤い鼻緒の付いた草履をプレゼントします。

赤い鼻緒が、仲代達矢の若く美しい岸恵子への想いを現わしていることを二人は理解しています。

岸恵子が燈火着物を縫っている或る夜、光の中に浮かぶ岸恵子の姿に仲代達也は10年前の吹雪の夜の雪女を思い出します。

 

◆耳無芳一の話

琵琶を演奏することを得意とする目の見えない中村賀津雄(役名:芳一)は、寺の奉公人として寺の人々に見守られながら仏道修行に勤(いそ)しんでいます。

或る夜、彼が音中庭で琵琶を奏でていると、丹波哲郎演じる侍が現れ、殿様が屋敷で平家物語を聴きたいので来る様にと言われます。

中村賀津雄は侍に手を引かれ、やがて幻想的な御殿へと誘われます。

一晩中行方不明になっていた中村賀津雄に気付いた寺では、彼が夜中に何処へ行っていたのかを不思議がり詮索します。

次の夜も、丹波哲郎は中村賀津雄を連出し、平家物語を高貴な人々の集う御殿で演奏します。

住職の志村喬が中村賀津雄に外出理由を尋ねますが、丹波哲郎に固く口止めされている中村賀津雄は、その理由を一切口外しません。

嵐の夜にも出て行く中村賀津雄の後を追った寺で働く田中邦衛達は墓地で一人平家物語を朗読している中村賀津雄の姿に驚愕します。

壇ノ浦の件が終わらぬうちは寺に帰ろうとしない中村賀津雄を、田中邦衛達は寺まで引き摺り込みます。

志村喬は中村賀津雄が死者の霊による大きな幻覚に惑わされていることを告げ、若し再び服従したら八つ裂きにされるであろうと言い渡します。

心配した志村喬と侍者は、中村賀津雄の顔を含む全身に般若心経を書くことで彼の姿が死者の霊から見えないようにします。

夜半現れた丹波哲郎が中村賀津雄を呼びますが、何も答えない中村賀津雄の姿は般若心経の描かれていない耳だけが丹波哲郎に見えています。

 

◆茶碗の中

初詣に向かう途中、茶屋で休息していた中村翫右衛門(役名:関内)は、茶碗の中に見知らぬ男の顔を見つけます。

幾度も現れる男の顔に動揺しながらも、中村翫右衛門は茶碗の水を飲み干します。

その後、中村翫右衛門が主君を警護していると、茶碗に顔が映っていた男が仲谷昇(役名:平内式部)と名乗って目の前に現れます。

中村翫右衛門は屋敷を警護ずる侍達に曲者が現れたことを知らせに走りますが、仲谷昇の姿が見えぬことから皆の嘲笑を浴びます。

その夜遅く、中村翫右衛門は仲谷昇の幽三人の従者が自宅に来訪したことを知らされます。

侍達は主人が中村翫右衛門に斬られて療養中であることを告げ、来月仇討ちに再訪すると言い残して立ち去ろうとします。

憤った中村翫右衛門は、三人と闘いますが手応えがあっても打ち負かすことは叶いません。

この物語の作者である滝沢修は物事が解決する前にこの物語が終わることに言及し、結末を書くことも出来るが、結末は読者の想像に任せたい旨を語ります。

すると版元の中村鴈治郎が滝沢修の家を訪れ、妻の杉村春子に滝沢修の居所を尋ねますが、文机に居たはずの滝沢修の姿が見当たりません。

すると、杉村春子の悲鳴が鳴り響き、その様子を訝しんだ中村鴈治郎も叫び声を上げて腰を抜かします。

 

カンヌ国際映画祭で 審査員特別賞を受賞したこの本作は、錚々たる参加スタッフからもその芸術性を窺い知ることが出来るのではないかと考えます(脚本:水木洋子、撮影監督:宮島義勇、音楽:武満徹、美術:戸田重昌、題字:勅使河原蒼風、タイトルデザイン:粟津潔等)。

志賀直哉は小説家として影響を受けた作家として、小泉八雲を挙げておりますが、新聞記者であった経歴からか、小泉八雲氏の文章(怪談、随筆や紀行文)は簡潔な表現で読み手に情景を伝える文学作品だと自分は考えます。

本作は、小泉八雲の「Kwaidan」を、小林正樹監督の指揮下で各界稀代の才能が集結して創りあげた、怪談映画の枠を超えた映像芸術ではないかと思います。

所謂怪談映画としても愉しめる作品だと考えますが、どこを切り取っても斬新に煌めく万華鏡の様な映像と音が、スクリーン上に投影されているという感じがします。

四話構成のこの映画は、個人的には溝口健二監督1953年製作の『雨月物語』(「浅茅が宿」)に通じる、「黒髪」が切れ味鋭い武満徹の尖鋭的な音群が奏功していることもあり、高頻度で鑑賞しているエピソードです。

物欲と名誉欲に駆られた男の末路を描いた内容ですが、科白、音楽、映像の全てに通じる「間」が、饒舌さを感じない淡々とした表現と相俟って、欲に魂を奪われた男の業と罪の深さを浮き彫りにしているのではないかと考えます。

靉光の「眼のある風景」(国立近代美術館所蔵)を思わせる「雪女」のエピソードで天が見つめる「眼」や、アントン・ヴェ―べルンや富樫雅彦を愛聴する自分にとって、「黒髪」の切れ味鋭い武満徹の尖鋭的な音群は、観る度に亢奮を禁じ得ません。

そして「耳無芳一の話」で、壇ノ浦合戦のシークエンスの中で凝縮して描かれる源平合戦のエピソードは、「平家物語」世界に惹かれる自分には嬉しい映像の連続です。

あと、先般この映画を観て認識を新たにしたことは、「茶碗の中」の前衛的且つ抽象的とも思える映像表現です。

糊代を感じる映像表現により解釈の世界に惹き込まれる欣びは、このエピソードが取りを務めている理由の一つではないかと考えます。

本邦の芸術家達の才能が集結したことにより開花した映像芸術として、これからも観続けて行きたい映画です。

 

PS 大島渚監督の『愛の亡霊』(1978)を観たのは高校生の時でしたが、音楽が武満徹、撮影が宮島義勇で美術が戸田重昌という小林正樹監督の『怪談』と同じスタッフが、『愛の亡霊』に関わっておりますので、ある種似たトーンをところどころ感じますが、小林正樹作品とは異なる感触の作品だと思います。

『愛の亡霊』で藤竜也と共謀して夫を殺害する役を、業に魂が翻弄される様をダイナミックでありながらも奥深く演じた吉行和子が素晴らしかったです。

蛇足ですが、1974年のTVドラマ『寺内貫太郎一家』では、長女役の梶芽衣子が藤竜也と結婚するエンディングでしたが、藤竜也の前妻が吉行和子でした。

 

→この文章は、2018年4月のブログに掲載した内容に粗筋を加え大幅に加筆・変更した差替えです。

 

§『怪談』

勅使河原蒼風による題字↑

粟津潔等によるオープニング映像↑

渡辺美佐子↑

新珠三千代↑

三國連太郎、新珠三千代↑

仲代達矢(後方左から目が見つめている)↑

岸恵子↑

岸恵子↑

佐藤ユリ(役名:安徳天皇)、夏川静枝(役名:二位の尼)、村松英子(役名:建礼門院)

〈二位の尼入水の場面(辞世の句:今ぞ知る みもすそ川の御ながれ 波の下にもみやこありとは)〉↑

中村賀津雄↑

志村喬、中村賀津雄↑

中村翫右衛門(角度のある映像)↑

仲谷昇、中村翫右衛門↑

中村翫右衛門(角度の或る映像)↑

杉村春子、中村鴈治郎↑

 

§「眼のある風景」(画家:靉光 1938)