『田舎司祭の日記(Journal d'un curé de Campagne)』は、1951 年にロベール・ブレッソンが脚本を書き、監督した作品で、ヴェネチア国際映画祭グランプリやルイ・デリュック賞を受賞しております。

 

アンブリコートの小さな村に、新任の教区司祭クロード・レイデュがやって来ます。

胃痛に苦しむクロード・レイデュは、砂糖を加えた安ワインとパンだけを食べる生活を続けています。

妻の埋葬料について文句を言う老人や悪戯をする教理クラスの生徒達等、地元住民は概して若い司祭に対して無関心か反抗的です。

これが初めての任命であることから、クロード・レイデュは経験豊富なトルシーの司祭エイドリアン・ボレルの許を頻繁に訪れますが、そこでクロード・レイデュは愛されることよりも秩序を守ることに腐心すべきとのアドバイスを受けます。

毎日ミサに出席する唯一の教区民は、伯爵家の若い家庭教師ニコール・モーリー(役名:ミス・ルイーズ)だけです。

ニコール・モーリーは伯爵ジャン・リベールと密かに関係を持っています。

彼女が伯爵ジャン・リベールの娘ニコール・ラドミラル(役名:シャンタル)から虐待されていると訴えた為、クロード・レイデュは伯爵に相談することを約束します。

それは、青少年クラブやスポーツ・プログラムを立ち上げる援助を得る為に、クロード・レイデュはジャン・リベールに会う口実を探していたことによります。

当初ジャン・リベールはクロード・レイデュの計画に同意しますが、クロード・レイデュがニコール・ラドミラルとニコール・モーリーの争いの話題を持ち出そうとした途端、態度を変えてしまいます。

クロード・レイデュが伯爵宅を再訪するとジャン・リベールは彼を避けますが、数年前に息子を失って以来引籠っていた伯爵夫人レイチェル・ベレントが彼を出迎えますが、彼は気分が優れなくなったことから伯爵宅を後にします。

クロード・レイデュは、トルシーの司祭に勧められた年配の医師アントワーヌ・バルペトレ(役名:ドクター・デルベンデ)に会いに行きますが十分な診察をしてもらえません。

或る日、クロード・レイデュは家庭教師ニコール・モーリーの手書きの匿名の手紙を受け取りますが、そこには別の教区へ転勤するようにとの文言が書かれていました。

彼は神に見捨てられたと確信し、自死と噂されるアントワーヌ・バルペトレ医師の死の報に衝撃を受けます。

伯爵の娘ニコール・ラドミラルは司祭に、伯爵とニコール・モーリーが彼女を追い出そうとしている中、伯爵夫人レイチェル・ベレントは自分を護ってくれないと言います。

クロード・レイデュはニコール・ラドミラルに自殺願望があるのではないかと危惧し、虫の報せで彼女が持っていると確信した遺書を差し出す様に言います。

心配したクロード・レイデュは伯爵夫人レイチェル・ベレントに会いに行くと、ニコール・ラドミラルが立ち聞きする中、2人は神学的な会話を交わします。

意見の噛み合わない2人の会話でしたが、やがてレイチェル・ベレントは息子の死を受け入れ、神との和解を受け入れます。

その夜、伯爵夫人レイチェル・ベレントは心臓病で亡くなり、家庭教師ニコール・モーリーは伯爵邸を去ります。

ニコール・ラドミラルは、クロード・レイデュが伯爵夫人レイチェル・ベレントに厳しい言葉をかけたことで彼女を死に追いやったとの虚言を吐きます。

伯爵の叔父の司祭ジャン・リベールとトルシーの司祭エイドリアン・ボレルは、クロード・レイデュの行為に疑問を抱きますが、レイチェル・ベレントが亡くなる前にクロード・レイデュに送った感謝の手紙については触れず、クロード・レイデュの行動をそのままにすることを選択します。

或る晩、クロード・レイデュは気を失い吐血したことから、医者に診てもらうためにリール市に行くことを決意します。

荷物を纏めているところをニコール・ラドミラルが訪ねると、町中が彼をアルコール依存症だと思っているので、父親は確実に更迭させるだろうと告げに来ますが、ニコール・ラドミラルは最早彼女の言葉を歯牙にもかけません。

リールの医師は、クロード・レイデュを末期の胃がんであると診断します。

彼は神学校の同級生バーナード・ヒュブレンヌを訪ねます。

バーナード・ヒュブレンヌは病気の為に聖職を休職し、現在は女性と同棲しながらドラッグストアの販売員として働いています。

クロード・レイデュがトルシーの司祭エイドリアン・ボレルに宛てた書面に関し、バーナード・ヒュブレンは死の直前に彼が赦免を求めていたことを手紙で報告します。

その手紙には、クロード・レイデュが天に召される前に口にしていた「それが何でありましょう?全ては神の思し召しなのですから。」が書かれています。

 

カトリック作家ジョルジュ・ベルナノスの同名小説を原作とする本作は、神学的な科白が印象的に登場します。

伯爵の甥で外人部隊に所属するジャン・ダネが語る「若者は分別に欠ける。しかし、我々が嫌う誇り無き正義を神は容認している」、「自らの掟に我々が代償を払うにしても、それは生贄の祭壇に似ている、取るに足らない石です」等の科白(字幕)は、基督教徒ではない自分には私的解釈も容易ではありません(※)。

この映画では、神を憎んでいたレイチェル・ベレントがクロード・レイデュの説諭により慈悲に目覚める流れや、同級生バーナード・ヒュブレンヌと同棲する恋人の滅私・無償の愛情に触れたクロード・レイデュの眼に感じる煌めき等、クロード・レイデュの苦悩がドラマ性を極力抑制した映像演出で描かれている様に感じます。

その意味で、幾度も挿入されるクロード・レイデュが日記を綴るシーンは、彼自身の声で語られる内心の独白として、彼の感情を反映するかの様に時に乱れ、訂正線が引かれ、終いには破られます。

ジャン=リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォー、マーティン・スコセッシ等の映像作家達に影響を与えたとされる、ロベール・ブレッソン監督が人間の葛藤に苦悩する内面を独自の映像表現を駆使して描いた作品として、これからも観続けて行きたい映画です。

 

(※)拙文中適切ではない宗教的語彙・表現が使われている可能性がありますが、その節はお詫び申し上げます。

 

§『田舎司祭の日記』

クロード・レイデュ↑

ニコール・モーリー↑

ニコール・モーリー、クロード・レイデュ↑

クロード・レイデュ↑

クロード・レイデュ↑

クロード・レイデュ↑

クロード・レイデュと教理クラスの少女↑

ニコール・ラドミラル↑

ジャン・ダネ↑

バーナード・ヒュブレンヌ、クロード・レイデュ↑

クロード・レイデュとバーナード・ヒュブレンヌと暮らす女性↑