『クローズ・アップ』(1990)のアッバス・キアロスタミ監督が1997年に製作し脚本も書いた『桜桃の味(Taste of Cherry)』は、カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞し、キネマ旬報ベスト・テンで第6位となった作品になります。

 

ホマユン・エルシャディ(役名:バディ)は、テヘランを車で走りながら自分の自死を手助けをしてくれる人物を探しています。

その作業とは、ホマユン・エルシャディが掘った墓穴に横たわる自分に土を被せることです。

彼は勧誘する人々に、翌朝自分が選んだ場所に行き、生きることを選択する合図があった場合は助け、自死を選択した場合は埋葬するように伝えています。

しかし、ホマユン・エルシャディは動機を明らかにはせず、単にこれ以上他の人や世の中に迷惑を掛けたくないと語るのみです。

最初に勧誘された内気な若いクルド人兵士アフシン・バグティアリ(役名:兵士)は、ホマユン・エルシャディの話を聞くと車から逃げ出します。

次に勧誘されたのはアフガニスタン人の神学者ホセイン・ヌーリ(役名:神学生)で、自死を禁じる宗教上の理由からホマユン・エルシャディの誘いを断ります。

3人目のアゼルバイジャン剥製師のアブドルホセイン・バゲリ(役名:バゲリ)は、病気の子供の為に資金が必要なことから、ホマユン・エルシャディの申し出を引受けます。

しかし、彼はホマユン・エルシャディの自死を思い留まらせようと、自分の体験を話し始めます。

それは、1960年に自死しようした時、木に実っていた桑の実を口にしたことが契機となって、日の出、月、星等の美しさを感じるられたことにより生を選ぶに至った一連の流れです。

アブドルホセイン・バゲリは、翌朝ホマユン・エルシャディが墓穴で動かなくなっていたのを確認したら、彼に土を被せることを約束します。

彼を職場に送り届けたホマユン・エルシャディでしたが、突然言い忘れたこと気付いたことから、アブドルホセイン・バゲリに会いに戻ります。

そしてアブドルホセイン・バゲリに、もし自分が死なずに寝ている場合があるかも知れないので、石を投げたり揺り起こしたりして本当に死んだかどうか確認するよう念を押します。

雷雨となったその日の夜、タクシーから降りたホマユン・エルシャディは自分が掘った墓穴に横たわります・・・・。

 

車中の人物のクローズ・アップが交互に映り、山肌の荒地を走る長回しによる車の遠景が延々と映るこの映画は、ラストに鳴り響くニューオリンズ・ジャズの有名曲「セント・ジェームス病院ブルース(St.James Infirmary Blues)」以外は環境音を主体とする作品となっております。

映画では、ホマユン・エルシャディ演じる男が如何なる人物であるかを語ろうとはせず、終始物語は現在に至る背景や自死を望む動機も伏せたまま進行します。

生に絶望したホマユン・エルシャディがイスラム教が禁じる自死の幇助を、兵士、神学生、自死を絶念した剥製職人に依頼する過程で、生によって感じることが出来る美の存在に覚醒する姿が描かれている様に思います。

個人的な印象ですが、アッバス・キアロスタミ監督がこの作品で意図したことは、アブドルホセイン・バゲリによって語られるメッセージの輪郭を際立たせて浮かび上がらせることを主眼に置いた映像演出の様に思います。

世代や国籍、環境の異なる兵士や宗教上の教義を純粋な目で語る若き神学生との会話の後に、自死を思い留まった老人のメッセージを置き、あたかも人生行の様な曲がりくねった荒地を走り続ける俯瞰映像は、鑑賞者の意識・無意識に独自の残像が浮かび上がるのではないかと想像します。

アブドルホセイン・バゲリのメッセージは、ある意味抽象的な部分は有りながらも、難解さの無い含みを感じさせるもので、アッバス・キアロスタミ監督がこの作品に込めた思いが感じられます。

自分には上手く纏められないことから、アブドルホセイン・バゲリの科白を下記に羅列しました(字幕を要約するとどうしても私的解釈が入ることを御容赦下さい):

●悩み無き人間など存在せず、悩みで自死するのであれば人類は滅びてしまう。

どの様な悩みにも助けが必要であり、それを打ち明けねば、助けることが出来ない。

●自死を決意した時、自分はロープと共に深夜果樹園へ向かい木に生っていた熟した桑の実を食べた。

そして、夜明けに美しい太陽、緑、風景を見た後、登校中の子達にせがまれるまま木を揺すって落とした実を子供達が欣んで食べる姿に触れた時、自分の気持ちと考え方が変化したことに気付いた。

●(トルコの笑い話)指で体を指す箇所全てが痛いと医者に言っていた男が居たが、実はその男の指が折れていた。

つまり、軀には問題は無く考え方が病だっただけであり、物事の見方を変えれば世界が変わり倖せが見えて来る。

●人生は列車であり、前へ前へと進みやがて終着駅に到着する。

死は一つの選択ではあるが途中下車をしてはいけない。

●当初は良い、正しいと思っていたことも、後で間違いに気付くことがある。

●(質問)希望はないか?朝起きて空を見上げたことは無いか?(※)、夜明けの太陽、赤い炎の夕陽は?満月は?目を閉じていないか?(あの世から来たいと思う程この世は美しいのに)。

もう一度泉の水を飲み、顔を洗いたくないか?

●世の中には四季があり、夫々の果実がある(どの母親の愛情をもってしてもそれほどの果実は揃えられない)。

●(質問)全てを拒み・諦めるのか?桜桃の味を忘れたのか?

アッバス・キアロスタミ監督の異彩を放つミニマルな映像表現により、アブドルホセイン・バゲリが語るメッセージを個々の鑑賞者が解釈することが可能と思われる映像芸術として、観続けて行きたい作品です。

 

(※)『Perfect Days』(監督:ヴィム・ヴェンダース 2023)で、毎朝アパートを出た役所広司が空を見上げるシーンを思い出します。

 

§『桜桃の味』

ホマユン・エルシャディ↑

アフシン・バグティアリ↑

ホマユン・エルシャディ↑

 脱輪したホユマン・エルシャディの車両↑

ホマユン・エルシャディ(左)↑

ホセイン・ヌーリ↑

ホマユン・エルシャディの影↑

ホマユン・エルシャディ↑

アブドルホセイン・バゲリ↑

カップルの写真を撮ってあげるホマユン・エルシャディ↑

子供達の列と擦れ違うホマユン・エルシャディ↑