『天井桟敷の人々』(1945)のマルセル・カルネ監督がジェラール・フィリップとシュザンヌ・クルーティエの幻想的な恋愛を描いた『愛人ジュリエット( Juliette ou la Clef des Songes )』(1951)は、ジョルジュ・ヌヴーの戯曲「ジュリエット或は夢の鍵」の映像化作品になります。

「枯葉」のジョゼフ・コズマが作曲し、アンドレ・クリュイタンス指揮パリ音楽院管弦楽団が演奏した本作の音楽は、カンヌ映画祭音楽賞を受賞しております。

 

入所したばかりの囚人ジェラール・フィリップ(役名:ミシェル)は、恋人シュザンヌ・クルーティエ(役名:ジュリエット)のことが気になり眠ることが出来ません。

やがて眠りについたジェラール・フィリップは、ドアから光が差して来ることに気付き、山の中腹に存在する「忘却の村」に踊る様な足取りで向かいます。

辿り着いた村では、誰に訊いても村の名前を知る者は居ません。

ジェラール・フィリップは小太鼓を持った軍人にシュザンヌ・クルーティエを探していると言うと、軍人は集めた村人達に彼女についての情報を集めようとします。

しかし、彼等が伝える情報の悉くが当てにならないものであることに気付きます。

軍人がシュザンヌ・クルーティエを探し続けていると、白いドレスを纏ったシュザンヌ・クルーティエの姿が現れますが、彼女にはジェラール・フィリップの記憶が有りません。

それでも、ジェラール・フィリップに会いたいシュザンヌ・クルーティエは軍人に付いて行くことに従います。

一方、ジェラール・フィリップは「失われた愛」を奏でるイヴ・ロベール演じるアコーディオン弾きと出会い、シュザンヌ・クルーティエを探していることを告げます。

イヴ・ロベールは村人達が記憶を失っている為に、他所者や色々な物に情報を求めることで自分の記憶にしようとしていることと、自分には微かに記憶が残っていると言います。

ジェラール・フィリップがどうしてもシュザンヌ・クルーティエについて教えて欲しいとイヴ・ロベールに大声で懇願すると、近くでジェラール・フィリップを尾行していた警官にジェラール・フィリップは逮捕されてしまいます。

警官に連行されたジェラール・フィリップは、手錠を外す交換条件にシュザンヌ・クルーティエとの馴れ初めを話しますが、彼女とキスをしたことに怒った警官に殴られてしまいます。

馬車に乗ってジェラール・フィリップを探すシュザンヌ・クルーティエは、ジャン=ロジェ・コーシモン(役名:青髭)の城に到着します。

ジャン=ロジェ・コーシモンはシュザンヌ・クルーティエとの再会を欣びますが、記憶の無いシュザンヌ・クルーティエとは会話が嚙み合いません。

強引にキスしようとするジャン=ロジェ・コーシモンに、シュザンヌ・クルーティエは自分のことを知る理由を尋ねます。

ジャン=ロジェ・コーシモンは、彼女は自分と結婚し城主となることになっていることを告げます。

すると、ジェラール・フィリップ到着を告げる鐘が鳴り、ジャン=ロジェ・コーシモンはシュザンヌ・クルーティエを置いて門へ向かいます。

ジャン=ロジェ・コーシモンはジェラール・フィリップを質問攻めにしますが、何も知らない彼には答えようがありません。

隣の部屋の音に気付いたジェラール・フィリップは、それが閉じ込められているシュザンヌ・クルーティエによるものであると確信し、ドアを開けようとしますがジャン=ロジェ・コーシモンに阻まれます。

村人達が踊りを踊る城外の森で、ドアを開け外に出たジェラール・フィリップはアコーディオンを奏でるイヴ・ロベールに再会します。

ジェラール・フィリップは、イヴ・ロベールにシュザンヌ・クルーティエを探すことに疲れ果てていることを告白しますが、イヴ・ロベールは彼女の居場所を知っているはずだと問い質します。

イヴ・ロベールはその様な彼に、例え逢えたとしてもシュザンヌ・クルーティエは既に記憶を失っていることと、記憶が残るジェラール・フィリップこそが不倖であり、記憶を無くすことの倖せを説きます。

ジェラール・フィリップはイヴ・ロベールに、愉しかった2度のデートのことや、裕福そうな彼女に好かれようと勤務先の御曹司であると嘘をつき、デートで海に行く為に売上金を着服したことを告白します。

ジェラール・フィリップの言葉にイヴ・ロベールは、良い想い出も適切に保存しなければワインの様に劣化することから、忘却こそが倖福であると説きます。

イヴ・ロベールと別れ森を歩いていたジェラール・フィリップの目の前に、シュザンヌ・クルーティが現れます。

ジェラール・フィリップはシュザンヌ・クルーティエを抱擁し、再会を欣び合いますが、シュザンヌ・クルーティエが架空の想い出話を繰り返すことに耐えられなくなります。

記憶にある真実を全て話そうとしたジェラール・フィリップの言葉に、シュザンヌ・クルーティエは実現しなかった海へのデートを悔しがります。

ジェラール・フィリップが思い出の品を買いに行っている隙に、猟犬と共に現れたジャン=ロジェ・コーシモンと会話をしているうちにシュザンヌ・クルーティエは、ジェラール・フィリップのことを忘れてしまいます。

ジェラール・フィリップが戻って来ても、シュザンヌ・クルーティエと話が噛み合わなくなったことから、彼女を乗せたジャン=ロジェ・コーシモンの馬車は出発してしまいます。

城の中に戻ったジャン=ロジェ・コーシモンは、7番目の扉をシュザンヌ・クルーティエが開けると城から2度と逃げられないことを告げますが、好奇心に駆られた彼女は扉を開けてしまいます。

その時、村人達を引き連れたジェラール・フィリップは城内に突入します。

ジェラール・フィリップが血痕の付いたドレスを見付けると、村人達は驚き怒ります。

すると、正装したジャン=ロジェ・コーシモンと花嫁衣装のシュザンヌ・クルーティエが手を組んで現れます。

ジェラール・フィリップがジャン=ロジェ・コーシモンの正体が女性を殺害し続ける有名な’青髭’だと叫び、結婚式を阻止しようとしますが、村人達は青髭の意味を知りません。

 

この映画を観ると、夢の両端を現実で挟むファンタスティックな内容により『オズの魔法使』(監督:ヴィクター・フレミング 1939)との類似性を感じます。

幻夢の中に現れる本作の人物達は、夫々象徴性を持った存在として登場している様な気がします(過去=記憶):

●ジャン=ロジェ・コーシモン演じる青髭は、歴史書を読み調べることで世界史に書かれた自分を確認しようとします(過去記録の確認)。

●唯一人記憶を失っていないイヴ・ロベール演じるアコーディオン弾きは、演奏をすることで記憶が戻ります(記憶を護る芸術)。

●占い師は、手相に刻まれた過去を読み取ります(過去の存在)。

●恋人と倖せに寄り添う兵士は、愛の無い陰鬱な自分の過去を知り恋人を拒絶します(〈否定したい〉過去と現在の繋がり)。

●手押しワゴン車の売り子は、他人の記憶を集めた中古品を販売します(記憶の渇望)。

●郵便夫は自作の手紙を3年前に配達された郵便として村人達に配達します(記憶の渇望)。

●レストラン経営者は、架空のロマンティックな過去を語ります(記憶の美化)。

失われた記憶を取り戻そうとする村人達は、自分の過ごしてきた人生が美的且つロマンティックなものであることを願って止まず、倖福の延長線上に自分が存在することを確認しようとしているかの様に思えます。

その為、占い師により意に反する事実を告げられた兵士は、過去の体験に価値を見出せないことにより、現在の倖福を失う存在として描かれているのではないかと考えます。

過去の延長線上に自分が存在することを確認しようとする人々が登場するこの映画は、一方で、受入れ難い過去を忘れてしまいたいという人間の性(さが)に苦悩する人々も描きます。

そのことは、如何なる過去であろうとも、自分の経験を受け入れないことは、真実あるいは現在の自分の否定となることを観客に突き付けているのかも知れません。

フランス国民と4年に及ぶ占領下の日々について思いが馳せる、マルセル・カルネ監督の映像芸術としてこれからも観続けて行きたい映画です。

 

PS:邦題の『愛人ジュリエット』は、現代では’愛しのジュリエット’として理解すべきではないかと考えます。

 

§『愛人ジュリエット』

ジェラール・フィリップ↑

ジェラール・フィリップ↑

イヴ・ロベール、ジェラール・フィリップ↑

ジャン=ロジェ・コーシモン、シュザンヌ・クルーティエ↑

シュザンヌ・クルーティエ、ジャン=ロジェ・コーシモン↑

ジェラール・フィリップ、シュザンヌ・クルーティエ↑

兵士と恋人と占い師↑

ジェラール・フィリップ、シュザンヌ・クルーティエ↑

ジェラール・フィリップ、シュザンヌ・クルーティエ、中古品売り↑

シュザンヌ・クルーティエ↑

シュザンヌ・クルーティエ↑

ジャン=ロジェ・コーシモン、シュザンヌ・クルーティエ↑

ジェラール・フィリップ↑