カンヌ国際映画祭で男優賞とエキュメニカル審査員賞を受賞したヴィム・ヴェンダース監督が2023年に撮った『パーフェクト・デイズ(Perfect Days)』を、TOHOシネマズ新宿(Screen 6)とTOHOシネマズ池袋(Screen8)で鑑賞しました。

渋谷区内17カ所の公共トイレを世界的な建築家(※1)やクリエイターが改修する「THE TOKYO TOILET」プロジェクトが活動のPRの為に映画作成を企画し、ヴィム・ヴェンダース監督に声を掛け作成されたとのことです。

 

スカイツリーの見える墨田区の2階建て木造アパートの6畳間に暮らす役所広司(役名:平山)は、毎朝近所の老婦の竹箒の音で起きて渋谷区の公衆トイレの清掃の仕事に出かけています。

布団を部屋の隅に畳み、歯を磨き、電気シェーバーで髭を剃り、公園から採取して育てている鉢植えの植木に水をやり、古いアパートのドアを開けて空を見上げ、自販機で缶コーヒーを買って作業道具を積み込んだ軽自動車に乗り込みます。

カセット・テープ仕様のカー・ステレオでアニマルズ(「朝日のあたる家」)、オーティス・レディング(「ドック・オブ・ベイ」)、パティ・スミス(「レドンド・ビーチ」)等のロックを流しながら、車は渋谷区へと向かいます(※2)。

自作道具を駆使し清掃を行う役所広司は、ガールズ・バーのアオイヤマダ(役名:アヤ)に夢中の若き同僚の柄本時生(役名:タカシ)のぞんざいで饒舌な仕事振りとは対照的で、寡黙に行われる仕事と共に作業中に出会う人々にも丁寧この上ありません。

昼休みの公園で役所広司は田中泯演じる老人の踊りを眺め、銀塩カメラ(オリンパスμ)で木洩れ日を撮り、隣のベンチでサンドイッチを食べる長井短に一方通行の会釈をしながら、コンビニのサンドイッチと牛乳パックの昼食を食べます。

仕事が終わると、行きつけの浅草駅地下の居酒屋でレモンハイを呑みながら野球中継を観るか、石川さゆりの小料理屋で常連客のあがた森魚の弾くギターが伴奏する歌を聴くのを愉しみにしております。

そして、富士山の描かれた銭湯やコイン・ランドリーで、日々の汚れを落としリフレッシュすることも日常のルーティンとしております。

原付が動かなくなったことから、柄本時生とアオイヤマダに軽自動車を貸した役所広司は、ミュージック・テープが中古市場で高値で買い取られていることを吹き込まれますが、高額買取価格を知っても役所広司は動じません。

しかし、日常の平穏の水鏡に、姪の中野有紗(役名:ニコ)が波紋を起こします。

 

4畳半~6畳の木造アパートから銭湯に通っていた昭和世代の自分には、銀塩カメラ、カセット・テープ、百円古書文庫(※3)、缶珈琲を愉しみ、公衆電話を使い、TVのある居酒屋や小料理屋でレモンハイ(レモンサワー)を美味そうにしみじみと呑む役所広司の姿は、個人的な原体験からも方丈庵で閑居する鴨長明の姿に重なるものを感じます。

音楽デバイスや撮影・通信手段が変化しようとも、絶対的な倖福の日々を過ごす役所広司の日常は何も変わりません。

それは、役所広司が内面に倖せの充足を得た時点で、自分以外の物に自分を合わせることを止めたからではないかと考えます。

映画では、スカイツリーや公園の木々の下で、二度と同じ影を映し出さない木洩れ日を浴びながら過ごす役所広司の倖せの日々が繰り返されます。

しかしながら、裕福な母との生活よりも伯父とのアパート生活に親近感を抱く中野有紗の登場から、役所広司の平穏の日々が破られると共に、現在の生活に至る原因と思われる父親との決定的な確執の存在が炙り出されます。

日常のルーティンが醸し出す心の平穏が非日常に揺さ振られる流れを観ていると、自分は『レオン』(監督:リュック・ベンソン 1994)のジャン・レノや『バービー』(監督:グレタ・ガーウィグ 2023)のマーゴット・ロビーの日常世界を連想してしまいます。

架空の街ジェファソンを舞台に光と影を書き綴ったウイリアム・フォークナーの本の文字「影」のクローズ・アップと、木洩れ日が生む瞬間の光と影は、「異なる2人」の影が重なると濃くなることを役所広司が確認しようとする、象徴的な影踏みのシーンに繋がる様な気がします。

役所広司が公園で撮る写真とエンド・クロールで映し出されるヴィム・ヴェンダースによる木洩れ日の解説に、自分は『羅生門』(監督:黒澤明 1950)等で宮川一夫が映し出した木洩れ日に対するオマージュを感じます。

映画の終盤、役所広司が中野有紗と自転車で並走しながら言う、「いつかはいつか! 今は今!」に、瞬間(=現在)の倖福を噛み締める役所広司の心の声を感じる作品としてこれからも観続けて行きたい映画です。

 

(※1)安藤忠雄、隈研吾、佐藤可士和、坂茂等。

 

(※2)劇中曲:アニマルズ(「House of the Rising Sun」)、オーティス・レディング(「The Dock of the Bay」)、ルー・リード(「Perfect Day」)、パティ・スミス(「Redondo Beach」)、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド(Pale Blue Eyes)、ヴァン・モリソン(「Brown Eyed Girl」)、ニーナ・シモン(「Feeling Good」)、金延幸子(「青い魚」)

 

(※3)ウイリアム・フォークナーの「野生の棕櫚」、幸田文の「木」、そして『見知らぬ乗客』(監督:アルフレッド・ヒッチコック 1951)やヴィム・ヴェンダースの『アメリカの友人』(1973)の原作者であるパトリシア・ハイスミスの「11の物語」の文庫本が映画に登場します。

 

§『パーフェクト・デイズ(Perfect Days)』

§『僕は天使ぢゃないよ』(監督:あがた森魚 1977)

『僕は天使ぢゃないよ』のサウンドトラック盤(インストアライブで頂いたあがた森魚のサインが書かれたCDジャケット)↑