ニコラス・レイ監督が1955年に撮った『理由なき反抗( Rebel Without a Cause)』は、同年9月30日に交通事故により死去したジェームズ・ディーンの遺作になります。
1950年代半ばのロサンゼルス。
泥酔した17歳のジェームズ・ディーン(役名:ジム・スターク)は、集団暴行事件の容疑者に間違われたことで警察に連行されます。
彼は、そこで夜間外出で保護を受けたナタリー・ウッド(役名:ジュディ)や、仔犬を射って補導されたサル・ミネオ(役名:ジョン・“プラトー”・クロフォード)と知り合います。
家庭の問題で心の奥に不満を抱く3人は、長い説諭の末迎えに来た家族やと共に家政婦に引き取られて帰宅します。
ジェームズ・ディーンの父親ジム・バッカス(役名:フランク・スターク)は、愛情深いけれども恐妻家タイプで、家の中は母であるアン・ドーラン(役名:キャロル・スターク)が彼女の母親と共に家庭を仕切っています。
ナタリー・ウッドは、自分がもう子供ではないために父親が自分を無視しているのだと思っており、父親の目を引こうと着た服が不興を買ってしまったことが原因で却って距離を置かれてしまいます。
サル・ミネオの父親は彼が幼児のときに家族を捨てたことで、母親は家を空けることが多くなり殆どの時間を家政婦と過ごしております。
転居続きでこの街へ来たばかりだったジェームズ・ディーンは、翌朝、ド―ソン高校へ登校初日の途中、ジェームズ・ディーンは昨晩出会ったナタリー・ウッドと再会します。
彼女は不良学生のコリー・アレン(役名:バズ・ガンダーソン)、ニック・アダムス(役名:ムーズ)、フランク・マッゾラ(役名:クランチ)、デニス・ホッパー(役名:グーン)と仲睦まじく屯(たむろ)しています。
その日の午後、町はずれで行われたプラネタリウムの授業学習で、いきがった態度をとったジェームズ・ディーンは不良グループのボス的存在のコリー・アレンに喧嘩を売られます。
2人はプラネタリウムの外でナイフを手に決闘しますが、ジェームズ・ディーンは飛び出しナイフをコリー・アレンの手から叩き落として打ち負かし、ナイフを投げ捨てます。
駆け付けた守衛の仲裁を受けた2人は、その夜、崖の上で度胸試しレースをやることを取り決めます。
その夜のレース走行中、コリー・アレンは袖のストラップがドアレバーに絡まり、車から降りることができず転落死してしまいます。
警察が近づくと、不良達はナタリー・ウッドを残して逃走しますが、ジェームズ・ディーンはナタリー・ウッドにサル・ミネオと共に帰路に着きます。
家に着いたジェームズ・ディーンは事の次第を両親に打ち明け、警察へ届けようとしますが、事なかれ主義の両親は許しません。
両親の意に反し警察に向かったジェームズ・ディーンは既知の少年保護係エドワード・ブラッド(役名:レイ・フレミック警部)の不在を知らされたことから警察を後にすると、ナタリー・ウッドと出逢います。
彼女はジェームズ・ディーン対する自分の態度が、周囲からのプレッシャーによるものであったことを謝罪すると、元々意識し合っていた2人の感情が昂まります。
ジェームズ・ディーンが警察に届けるのを畏れるニック・アダムス、フランク・マッゾラ、デニス・ホッパーは、サル・ミネオから奪った手帳に書かれてあるジェームズ・ディーンの家の住所を入手します。
家に戻ったサル・ミネオは親の銃を手に取り、ジェームズ・ディーンとナタリー・ウッドに警告する為に追い駆けます。
ジェームズ・ディーンとナタリー・ウッドは空き家で、跡を追ってきたサル・ミネオを別室に残し抱擁します。
3人の不良に目覚めさせられたサル・ミネオは、恐怖に取り乱して放った一撃でフランク・マッゾラを負傷させます。
ジェームズ・ディーンが戻ってくると、彼はサル・ミネオを拘束しようとしますが、サル・ミネオはジェームズ・ディーンが自分を見捨てたことを非難します。
サル・ミネオがプラネタリウムに駆け込むと、ジェームズ・ディーンとサル・ミネオの家族や、警部エドワード・ブラッドが駈けつけます。
ナタリー・ウッドとジェームズ・ディーンはサル・ミネオを追ってプラネタリウムに入り、そこでジェームズ・ディーンはサル・ミネオに銃を赤いジャンパーと交換するよう説得します。
ジェームズ・ディーンは密かに弾薬を取り出した銃をサル・ミネオに返し、外に出るよう彼を説得します。
ニコラス・レイ監督による『大砂塵』(1954)同様、フランソワ・トリュフォーやジャン・リュック・ゴダール等のヌーヴェル・ヴァーグの作家達の評価が高い本作は、ジェームズ・ディーンの存在感やストーリー展開と共に、赤いジャンパーに身を包みデニムを穿いた姿とサル・ミネオのカラー・ソックス等のファッションも当時の若者達に刺戟を与えた作品ではないかと想像します(※)。
この映画は、モノクロ・フィルムで撮影される予定だったのが、沸騰したジェームズ・ディーン人気によりカラー・フィルムに変更されたとのことです。
50年代のエルヴィス・プレスリーやマーロン・ブランドの出演作がモノクロで撮影されていたことを考えると、現代の映画ファンはフィルム変更されたことに感謝するのではないかと考えます。
主要キャストの高校生3人は、自分達の思い描く父性と現実とのずれ(乖離)や欠落に苦悩し、その挟間で煩悶します。
自分はこの映画を観ていると、ジェームズ・ディーンの死去によりエルヴィス・プレスリーが演じた『闇に響く声』(監督:マイケル・カーチス 1958)の主人公の姿が重なります。
ボクサーの設定が歌手に変更された『闇に響く声』では、父親との確執と人生の蹉跌に悩む主人公が映し出されましたが、父親の愛に渇する『エデンの東』(監督:エリア・カザン 1955)や本作でジェームズ・ディーンが父性に煩悶する姿には、1950年代の若者にとって立ちはだかった解決(克己)せねばならない世代の壁が描かれているのではないかと考える事があります。
エリア・カザン、ジョージ・スティーブンス(『ジャイアンツ』1956)、ニコラス・レイという、個性際立つ監督のそれぞれのキャリアを代表する作品で圧倒的な存在感を示したジェームズ・ディーンの演技に引き込まれる作品として、これからも観続けて行きたい映画です。
(※)ヌーヴェルヴァーグ作品やアメリカン・ニューシネマ作品、『アメリカン・グラフィテイ』(監督:ジョージ・ルーカス 1973)、『さらば青春の光』(監督:フランク・ロッダム 1979)等の作品に対する本作の影響について思いを馳せる時があります。
PS:本作ではグリフィス天文台の光学式プラネタリウムが登場します。
私事で恐縮ですが、小学生の時に室蘭市青少年科学館にあった光学式プラネタリウムに魅了されていたことから、先日「コスモプラネタリウム渋谷」に行き、職員による昔懐かしいマイク解説とアナログ・ポインター指示によるプログラム’今夜の星めぐり’を鑑賞しました。
その日の20時に現在の東京で見られる星の説明の後に、若しも都市光が無かりせばの満天の星と天の川が投影され、往時を彷彿とさせる夢見る様なプラネタリウム世界に浸ることが出来ました。
’今夜の星めぐり’は、アナログ投影だったかつての深遠な質感と温もりを思い出させてくれる点で、プラネタリウム・ドームにデジタル映像が投影される昨今のプラネタリウムに時代の流れと居心地の悪さを感じていた自分には至福のひと時でした。
§『理由なき反抗』
ヴァージニア・ブリサック、ジム・バッカス、アン・ドーラン、ジェームズ・ディーン↑
プラネタリウム投影を眺めるコリー・アレンとナタリー・ウッド↑
ジェームズ・ディーン、サル・ミネオ↑
ナタリー・ウッド、サル・ミネオ、ジェームズ・ディーン↑
ジェームズ・ディーン↑
アン・ドーラン、ジェームズ・ディーン、ジム・バッカス(エリア・カザン監督が1955年に撮った『エデンの東』を連想する角度を感じさせる映像)↑
ジェームズ・ディーン、ナタリー・ウッド↑
ナタリー・ウッド、ジェームズ・ディーン、サル・ミネオ↑
アメリカン・ニューシネマを代表する1969年の『イージー・ライダー』の監督、ビリー役として映画史に名を刻むデニス・ホッパー↑
ジェームズ・ディーン、サル・ミネオ(背後にプラネタリウム投影機)↑