ビリー・ワイルダーとチャールズ・ブラケットが脚本を担当し、ハワード・ホークスが1941年に監督した『教授と美女(Ball of Fire)』は、ビリー・ワイルダーの短編小説「From A to Z」を基にして創られた映画で、ハワード・ホークスは1948年に音楽をメインとする『ヒット・パレード(A Song Is Born)』と改題して本作をリメイクしております。

 

財団が所有する邸宅で全員独身の教授グループが共同生活を送りながら、百科事典を編纂しています。

10年間の地道な努力により、どうにか作業はアルファベットのSまで辿り着いています。

最年少の文法学者ゲイリー・クーパー(役名:バートラム・ポッツ教授 )は、現代アメリカの口語表現を研究している文法学者です。

ニューヨークの比較的人里離れた場所で教授たちは、礼儀正しい家政婦のキャスリーン・ハワード(役名:ミス・ブラッグ )の世話を受けながら、マイペースで仕事をしています。

しかし、彼等の経済的支援者で亡父の遺志を継ぐトッテン財団のメアリー・フィールド(役名:ミス・トッテン )と助手のチャールズ・レイン(役名:ラーセン)は、遅々として進まない編纂作業にしびれを切らし、早く仕事を終わらせるよう要求します。

或る朝、スラングを使うゴミ収集人アレン・ジェンキンスが教授たちにクイズの協力を求めに来たとき、ゲイリー・クーパーは自分達の作業が世間から乖離していることに気付いたことから、意を決して街へ出てフィールド・ワークを行うことを決意します。

その様な中、ナイトクラブでドラマーをリーダーとするジーン・クルーパ楽団の専属シンガーとして舞台に上がったバーバラ・スタンウィックのスラングに強い興味を抱いたゲイリー・クーパーは、彼女に辞典編纂の協力を仰ぎますが、余りに唐突な彼の依頼は一笑に付されてしまいます。

バーバラ・スタンウィックは、ギャングの頭目であるダナ・アンドリュース(役名:ジョー・ライラック )の恋人であり、殺人事件の関与が疑われるダナ・アンドリュースに、警察は彼と関係のあるバーバラ・スタンウィックに尋問しようとします。

バーバラ・スタンウィックは一時避難の為にゲイリー・クーパーの申し出を受け入れることに決め、教授達の館で編纂作業に携わることになります。

その間、ダナ・アンドリュースはバーバラ・スタンウィックとの結婚を決めますが、それは彼女を妻にすることで不利な証言はしないだろうとの目論見によります。

教授達は明るく屈託の無い彼女を好きになり、彼女も教授達のことを憎からず思うようになります。

バーバラ・スタンウィックは皆にコンガを教えたり、ゲイリー・クーパーに惹かれ出し始めた彼女は「ヤムヤム」(美味しいもの→キス)を彼に実技指導します。

キスや教授達の後押しを受けたゲイリー・クーパーは、バーバラ・スタンウィックに結婚を申し込みます。

バーバラ・スタンウィックはゲイリー・クーパーのプロポーズに対する回答を引き伸ばし、ダナ・アンドリュースに逢う目的の為に教授達にニュージャージーまで車で送って貰おうとします。

教授達とバーバラ・スタンウィックが乗った車が事故を起こしますが、その様な中で起こった手違いにより、ゲイリー・クーパーの真摯な想いに触れた彼女は強く心が揺さ振られます。

しかし、自分を連れて行こうとするダナ・アンドリュース一味から教授達を護る為に、バーバラ・スタンウィックはダナ・アンドリュースとの結婚を受け入れることを決意します。

 

セルフ・リメイクされた『ヒット・パレード』は、音楽史教授ダニー・ケイとナイトクラブ勤務のヴァージニア・メイヨ、そして綺羅星の如き錚々たるジャズ・ミュージシャン達が繰り広げるミュージカル・コメディとして音楽好きの映画ファンに愛される作品でしたが、本作は辞典編纂に纏(まつ)わるラブ・コメディとして愉しめる作品ではないかと考えます。

自分は、辞書編纂を描いた三浦しをん原作の『舟を編む』(監督:石井裕也 2013)と本作を紹介した川本三郎の文章(※1)を読んだことと、『ヒット・パレード』が好きであることからこの映画に興味を抱きました。

この映画に登場する音楽シーンとして、バーバラ・スタンウィックがジャズ・ドラム奏者ジーン・クルーパの十八番「ドラム・ブギ―」でロイ・エルドリッジ(※2)のトランペットとの掛け合いを交えて歌うシーンは、映画撮影年にジャズ歌手アニタ・オデイがジーン・クルーパ楽団でロイ・エルドリッジと共に吹き込んだバージョンを見事に再現しております(※3)。

個人的に気に入っている設定としては、ビリー・ワイルダーが7人の教授達(※4)を『白雪姫』(監督:D・ハンド、P・ピアース,etc. 1937 )のオマージュとして登場させていることで、そのピュアでどこかユーモラスな様を観ていると、自分は『椿三十郎』(監督:黒澤明 1962)の若侍の一団と重なる部分を感じてしまいます。

本作の魅力は、やはり『舟を編む』でも掘り下げられている字典編纂作業の苦労の一端が垣間見られることで、それに携わる真面目で実直なゲイリー・クーパーと、ナイト・クラブ歌手バーバラ・スタンウィックとの恋愛をコントラスト巧みに描いていることではないかと考えます。

この映画のゲイリー・クーパーと『舟を編む』で松田龍平演じる馬締(まじめ)光也は、器用とか立ち回りの良さとは無縁な一意専心タイプの存在として、字典作りに没頭します。

彼等が人生の恋に遭遇した際に示す愚直で一途な情熱に対する相手の戸惑いは、やがてそれが自分に対する一意専心さに他ならないと気付くことで、彼女達の心の舵が愛情へと切られ始めます。

『大平原』(監督:セシル・B・デミル 1939)、『タイタニックの最期』(監督:ジーン・ネグレスコ 1953)、『青春カーニバル』(監督:ジョン・リッチ 1964)で印象的な役を演じたバーバラ・スタンウィックの人間味溢れる演技と、『誰が為に鐘は鳴る』(監督:サム・ウッド 1943)、『真昼の決闘』(監督:フレッド・ジンネマン 1952)、『昼下がりの情事』(監督:ビリー・ワイルダー 1957)のゲイリー・クーパーの直線的な演技が心に刻まれるラブ・コメディとして好きな映画です。

 

(※1)川本三郎「映画の中にある如く」、キネマ旬報社、2018、pp226~pp230

 

(※2)ルイ・アームストロング(tp)寄りのバニー・ベリガン(tp)のスタイルにコールマン・ホーキンス(ts)の影響を感じさせる演奏で、モダン・ジャズ期のディジー・ガレスピー(tp)等に影響を与えたとされるトランぺッター。

 

(※3)ベニー・グッドマン楽団で専属歌手だったマーサ・ティルトン(「素敵な貴方」等のヒット曲を歌唱)が、バーバラ・スタンウィックの歌を吹き替えております。

初めてこのシーンを観た時、一瞬アニタ・オディが登場したのではないかと思いました。

 

(※4)オスカー・ホモルカ(役名:ガーカコフ数学教授 )、ヘンリー・トラヴァース(役名:ジェローム地理学教授 )、S・Z・サカール(役名:マーゲンブルック生理学教授)、タリー・マーシャル(役名:ロビンソン法律学教授)、レオニード・キンスキー(役名:クィンタナ歴史学教授)、リチャード・ヘイデン(役名:オドリー植物学教授)、オーブリー・メイザー(役名:ピーグラム文学教授)

 

PS:本作に纏(まつ)わるエピソードとして、ハワード・ホークスは本作撮影時に、脚本家として参画したビリー・ワイルダーに積極的に撮影風景を見学させていたとのことです。

その経験が、後に監督となるビリー・ワイルダーの基礎になったとされております(個人的にラロトンガ島で大島渚監督が1983年に撮った『戦場のメリークリスマス』と北野武を連想します)。

 

§『教授と美女』

ゲイリー・クーパー↑

タリー・マーシャル、オスカー・ホモルカ、ゲイリー・クーパー、ヘンリー・トラヴァース、リチャード・ヘイデン↑

バーバラ・スタンウィック(vo)、ジーン・クルーパ(ds)、ロイ・エルドリッジ(2列目のトランペット・セクション3人中の中央)↑

立ち上がってソロを取るロイ・エルドリッジ(tp)、ジーン・クルーパ(ds)↑

アンコールに応えて「ドラム・ブギ―」をマッチ棒とマッチ箱をドラム・セットに見立てて演奏するジーン・クルーパ(右)とバーバラ・スタンウィック(中央)↑

ゲイリー・クーパー、バーバラ・スタンウィック↑

タリー・マーシャル、リチャード・ヘイデン、オーブリー・メイザー、ゲイリー・クーパー、オスカー・ホモルカ↑

リチャード・ヘイデン、ゲイリー・クーパー、レオニード・キンスキー↑

バーバラ・スタンウィック(左下)、ダナ・アンドリュース(右端)↑

 

§「ジーン・クルーパ楽団のアニタ・オディとロイ・エルドリッジ」

映画でバーバラ・スタンウィックが演じたジーン・クルーパ楽団の専属歌手だったアニタ・オディ(vo)とロイ・エルドリッジ(tp)↑