香港のラム・サム監督が2022年に撮った 『星くずの片隅で(窄路微塵)』は、コロナ禍の香港の片隅に生きるシングル・マザーと清掃会社を営む男性の姿を描いた作品です。

この映画は、台湾アカデミー賞3部門、エディンバラ国際映画祭、香港電影評論学会大奨6部門、香港アカデミー賞10部門にノミネートされております(鑑賞館:TOHOシネマズ日比谷シャンテ  スクリーン1)。


所々シャッターが下りた店舗が目に付くコロナ禍の2020年の香港。

ルイス・チョン(役名:サク)は、自身の清掃会社"ピーターパン・クリーニング”を、コロナ禍で供給が滞りがちな消毒剤の入手に悩まされながら営んでおります。
息子のルイス・チョンのクリーニング業開設に資金援助した母・バトラ・アウ (役名:ウォン・イン)は、リウマチを患いながら、たまに逢いに来るルイス・ チョンのことを気に掛けています。
ある日、シングル・マザーのアンジェラ・ユン (役名:キャンディ)が求職の為に、ルイス・チョンの事務所を訪ねます。
派手な若者風の外見を訝(いぶか)しんだルイス・チョンは、過酷な仕事に不向きと思われる第一印象から、彼女の願いを一蹴します。

その後、再び出会ったアンジェラ・ユンが幼い娘のトン・オンナー (役名:ジュー)の為に職を探していることを知ったルイス・チョンは、彼女を雇うことを決めます。
或る日、アンジェラ・ユンが娘のために入手困難な子供用マスクを客の家から盗んだことが発覚したことで、ルイス・チョンは重要顧客を失ってしまいます。
事の重大さの自覚の無いアンジェラ・ユンに、事情を考慮して今回だけは大目に見るが、次に盗みを働いたら即座に解雇することを告げます。
心を入れ替えたアンジェラ・ユンは、孤独死住居の清掃作業にも耐えながら仕事をこなして行きます。

その様な日々が続く中、 ルイス・チョンに母バトラ・アウの急死が知らされます。
葬儀の為に仕事を離れている間、アンジェラ・ユンは請け負っている仕事は一人でこなせると言って、不在中の仕事を自分に任せて欲しいと頼みます。

しかし、消毒剤不足を補う為に希釈して使うことを余儀なくされている状況の中で、娘のトン・オンナーが大量の消毒剤をこぼしてしまいます。

窮地に立たされたアンジェラ・ユンは、代替手段で作業することを決意しますが、そのことにより"ピーターパン・クリーニング”に危機が訪れることになります。

 

この映画では、コロナ禍で深刻な影響を受けた限られた所得の人々、とりわけ過酷なシングル・マザーの状況が、香港の現状を背景として描かれております。
ラム・サム監督は、或る程度の収入に恵まれた人々が次々とカナダ等に移住していることと、コロナ禍が重なることで、百万ドルの夜景を誇る国際都市香港の灯に翳りが生じている様も映し出します。
キャンディを演じたアンジェラ・ユンがこの映画に寄せたメッセージ、「私達はとても狭い道を歩いているかもしれないけれど、きっとどこかに煌めきがあって、道を照らしてくれると思っています。 」 は、映画製作に携わった人々の思いを要約しているのではないかと考えます。
この映画で印象に残ったのは、開業資金を援助してくれた母・パトラ・アウの軀のことを十分に理解していなかったルイス・チョンの悔悛の思いが、アンジェラ・ユン母娘に対する寛容と理解へと繋がったことで、自身と事業の蹉跌を乗り越える姿です。

映画の中でルイス・チョンが呟く「こんな小さな自分が神に見えるはずがない。」、 「自分達は塵より小さい。 でも、お互いを見られたらそれで良い。」という科白は、ルイス・チョンと母娘が互いに人間の温かさに触れることで、香港の地で一筋の光に照らされた道を歩いて行く姿が想像されるのではないかと思います。

ラム・サム監督のアジア的寡黙さを打ち出した演出により、アンジェラ・ユンとトン・オンナー母娘の前向きな明るさに照らされることで、ルイス・チョンの心に緩やかに陽が射して行く流れには感銘を覚えます。

ルイス・チョンがアンジェラ・ユンに対して説く「世の中は非道い。 でも、それに同化してはいけない。」が、映画の終盤に実を結ぶに至る様が温かく詩情豊かに紡がれている作品として、これからも観続けて行きたい映画です。 

 

§『星くずの片隅で』

 

トン・オンナー 、ルイス・チョン、アンジェラ・ユン↑