ジーン・ケリーとスタンリー・ドーネンが『踊る大紐育』(1949)に引き続き1952年に共同監督した『雨に唄えば (Singin' in the Rain)』は、サイレント映画からトーキー映画に移行するハリウッドを描いた、MGMミュージカルを代表するロマンチック・コメディとして映画史に刻まれる作品ではないかと考えます。

本作の脚本は、『私を野球につれてって』(監督:バスビー・バークレー 1949)、『踊る大紐育』、『バンド・ワゴン』(監督:ヴィンセント・ミネリ 1953)、『何という行き方!』(監督:J・リー・トンプソン 1964)等の有名ミュージカル作品を共同執筆したベティ・コムデンとアドルフ・グリーンによるものです。


スタントマンからハリウッドの大スターに駆け上がったジーン・ケリー(役名: ドン・ロックウッド)と幼馴染のヴォードビリアン仲間のドナルド・オコナー(役名:コズモ・ブラウン)は、1920年代のハリウッドで仲の良い友人としていつも行動を共にしています。
ジーン・ヘイゲン(役名:リナ・ラモント)を相手役とする作品が、ミラード・ミッチェル (役名:R・F・シンプソン社長)が経営する映画会社のドル箱作品となっていることから、映画雑誌が煽り立てるジーン・ヘイゲンとの噂を敢えて否定せずに、新作の上映会に二人でスポットライトを浴びながら登場します。
サイレント映画では知られることの無いジーン・ヘイゲンの癖のある声を隠し通す為に、映画会社は公の場での彼女のスピーチを禁じております。

試写会の後、ミラード・ミッチェル主催の完成祝賀パーティに参加しようとしたジーン・ケリーは、ファンに取り囲まれてしまいます。

ファンから逃げようとしたジーン・ケリーは、パーティ会場に向かっていたダンサーのデビー・レイノルズ(役名:キャシー・セルダン)の運転する車に飛び乗ります。

スター気取りで絡んでくるジーン・ケリーの横柄な態度に辟易した彼女は、舞台俳優であるデビー・レイノルズにとってサイレント映画俳優は尊敬に値しないとの言葉を口にしてしまいます。

パーティ会場に着いたジーン・ケリーは、ドナルド・オコナーに俳優としての自信が揺らいだことを告白しますが、唐突に始まったサプライズ・ダンスのダンサー・チームにデビー・レイノルズの姿を発見したジーン・ケリーは、コケティッシュな風体の彼女をからかいます。
怒ったデビー・レイノルズのジーン・ケリーを狙って投げたケーキが、自称ジーン・ケリーの恋人ジーン・ヘイゲンの顔面にヒットしてしまいます。
逆鱗に触れたジーン・ヘイゲンは、姑息な手段を用いてデビー・レイノルズの仕事を奪います。
その様な時、ワーナー・ブラザース社によるトーキー作品 『ジャズ・シンガー』(監督:アラン・クロスランド  1927)の大ヒットに刺戟されたミラード・ミッチェルは、ジーン・ケリーとジーン・ヘイゲンの次回作をトーキー・システムで撮影することを決定します。
しかし、トーキー作品での撮影や科白回しに慣れない撮影スタッフや演技陣がやっとのことで完成させた作品は、あまりの出来の悪さから試写会で酷評を浴びてしまいます。

散々な評価が下された映画の撮影中、他のミュージカル映画のダンサーとして出演していたデビー・レイノルズの姿を目にしたジーン・ケリーは、彼女との距離を再び縮めます。 

このまま封切られてしまっては、自身のキャリアが終わってしまうと思い悩むジーン・ケリーに、ドナルド・オコナーとデビー・レイノルズは、ジーン・ヘイゲンの声をデビー・レイノルズに吹き替えて、酷評作品をミュージカル映画にアレンジし直すことを思い付きます。
生まれ変わったミュージカル作品は、デビー・レイノルズの吹替えが奏功し試写会で絶賛を博します。

観衆の喝采に自信を得たジーン・ヘイゲンは、社長のミラード・ミッチェルにデビー・レイノルズをこれからも自分の吹替え役とすることを提案します。
動揺したミラード・ミッチェルでしたが、ジーン・ケリーとドナルド・オコナーのアドバイスを受けた彼は、吹替え役になることを嫌がるデビー・レイノルズに対し、カーテン・コールで歌おうとするジーン・ヘイゲンの幕裏で歌うことを命じます。

MGMミュージカルのオムニバス映画 『ザッツ・エンターテインメント』(監督:ジャック・ヘイリー・ジュニア  1974)の冒頭を飾る「Singin' in the Rain」を主題歌とする本作は、1952年時点に於ける過去の有名ミュージカルのオマージュとしての性格があることから、あたかも音楽コンピレーションの様にミュージカルの名曲の数々が愉しめる映画だと思います。

「Singin' in the Rain」を筆頭に 名曲揃いの本作ですが、 「All I Do Is Dream of You」、 「Beautiful Girl」、 「You Were Meant for Me」、 「You Are My Lucky Star」、 「Good Morning」、 「Would You」、 「Make'em Laugh」、 「Moses」、 「Fit as a Fiddle」等、 スタンダードとして耳にすることも多い作品が様々なヴァリエーションで登場します。
当時40歳のジーン・ケリーと共にコレオグラファー出身の若干28歳のスタンリー・ドーネンが監督したこの映画は、若さと共に円熟が感じられる作品ではないかと考えます。
ドナルド・オコナーが27歳でデビー・レイノルズは20歳、そしてジーン・ヘイゲンは29歳と、ジーン・ケリー以外のこの映画の主たる演技陣が皆20代であったという事実に驚きを覚えます。
好きな場面は枚挙に暇が無い本作ですが、就中、観る度に感銘を受ける場面はジーン・ケリーがデビー・レイノルズに愛を告白するスタジオ・シーンの演出の巧みさです。
暗く殺風景なスタジオが、ジーン・ケリーによって微風と霞たなびく暁 (マジック・アワー)の場景に変わり、バルコニーに佇むデビー・レイノルズに愛を告白するかの様な脚立に乗った彼女に、「You Were Meant for Me」 が歌われるマジカルな映像には魅了されます。

あと、この映画で披露される卓抜な伎倆に支えられたアイディアに富むダンスの数々は、ミュージカル映画の永遠に輝きを失わない遺産と言えるのではないかと考えます。

ジーン・ケリーとドナルド・オコナーによる躍動的でリズミカルなソロとタップを交えたデュエット・ダンス、そしてデビー・レイノルズが加わった 「Good Morning」の斬新な振り付けが止め処無く連続する愉しいダンスは、何度観ても新鮮な感動を覚えます。

終盤の「ブロードウェイ・メロディ」では、翌年『バンド・ワゴン』(監督:ヴィンセント・ミネリ  1953)でフレッド・アステアと華麗なダンスを披露するシド・チャリシーが、ジーン・ケリーと妖艶なダンスを繰り広げますが、デビー・レイノルズの溌溂としたダンスにそれらが加わることで、この映画のダンス・パフォーマンスの幅が拡がったのではないかと考えます。

サイレントからトーキーに移り変わる映画界の裏表を、ミュージカル作品の隆盛に絡めてコメディ・タッチで描いた、ミュージカル映画の不滅の金字塔としてこれからも観続けて行きたい作品です。

PS  本作でジーン・ハーゲンに発声法を教えるキャサリン・フリーマンが、『ブルース・ブラザース』(監督:ジョン・ランディス 1980)で孤児院の院長役(シスター)を演じていることを、和田誠は三谷幸喜との対談集の中で述べております(「これもまた別の話」キネマ旬報社、1999、pp421)。

 

この文章は2018年2月に掲載した文章に粗筋を加え、大幅に追記・変更を加えた差替えになります。 

 

§『雨に唄えば 』

ジーン・ケリー、ジーン・ヘイゲン↑

ジーン・ケリー、デビー・レイノルズ↑

デビー・レイノルズ(中央)↑

ドナルド・オコナー↑

ジーン・ケリー、ジーン・ヘイゲン↑

デビー・レイノルズ、ジーン・ケリー↑

ドナルド・オコナー、ジーン・ケリー↑

デビー・レイノルズ、ドナルド・オコナー、ジーン・ケリー↑

ジーン・ケリー、シド・チャリシー↑

ドナルド・オコナー、デビー・レイノルズ、ジーン・ケリー、ジーン・ヘイゲン、ミラード・ミッチェル↑

ジーン・ヘイゲン↑

デビー・レイノルズ↑

§「Walkin’ And  Talkin'」

ジャズ・トロンボーン奏者ベニー・グリーンによる「All I Do Is Dream of You」のジャズ・アレンジ作品が収録されたBlue Note盤↑