カンヌ国際映画祭でグランプリ及び女優賞を受賞した『過去のない男 (Mies vailla menneisyyttiä)』は、『希望のかなた』(2017)のアキ・カウリスマキ監督が2002年に撮ったフィンランド映画です。


溶接工のマルック・ベルトラは、列車でヘルシンキに向かいます。
夜に到着したマルック・ベルトラが公園で眠っていると、3人組の暴漢が彼に襲いかかり所持金を奪います。

バットで殴られたマルック・ベルトラは、自力で辿り着いた駅のトイレで発見されて病院に搬送されますが、医者は助かる見込みの無い治療を放棄し、やがて死亡を診断します。

しかし、蘇生したマルック・ベルトラは突如起き上がり、曲った鼻を自分で元に戻して病院を飛び出します。

港の近くで倒れていたマルック・ベルトラは、コンテナ住居に暮らすユハニ・ニユミラ(役名:ニーミネン)の家族に救われます。
家族の親身な世話によりマルック・ベルトラの軀は恢復しますが、彼の素性に関する一切の記憶が無くなっていることに気付きます。
或る金曜日、マルック・ベルトラはコンテナー家の主人・ユハニ・ニユミラに連れられて配給膳が配られる救世軍の事務所に向かいます。
帰り道にユハニ・ニユミラは乏しい小遣いを割いてマルック・ベルトラにビールを奢り、人生は決して後退することはないとの言葉を与えます。

やがて、マルック・ベルトラは港の人達から小遣い銭を掠め取る悪徳警官と、電気を引き込んだ放置コンテナの違法賃貸契約を取り交わします。

汚れていたコンテナを掃除したマルック・ベルトは、周囲にジャガイモを植え、拾ってきたジュークボックスをコンテナ住居内に置いて音楽を愉しみます。

薄汚れた衣服に身を包んだマルック・ベルトラの姿に気を留めた救世軍のカティ・オウティネンは、職業安定所に行くには身なりを整える必要があると助言し、マルック・ベルトラに救世軍で衣服を借りることを奨めます。
借りた服を着て職業安定所に行ったマルック・ベルトラでしたが、職員は名前を思い出せない彼には仕事が紹介出来ないことを伝えます。

その様な彼を気遣うカティ・オウティネンは、マルック・ベルトラが救世軍で働けるように上司と掛け合います。
初対面から気に掛かっていたカティ・オウティネンと同じ職場で働くことになったマルック・ベルトラは、折に触れて彼女へのアプローチ繰り返しますが、恋愛経験の無い真面目なカティ・オウティネンは、救世軍職員としての立場を忘れることはありません。
しかし、身なりの良くなったマルック・ベルトラの姿に心が動いていた彼女は、仕事終わりに家まで送って貰うことを繰り返すうちに、休日にキノコ狩りに行くことを受け入れます。

そんな或る日、口座開設目的で銀行窓口に居合わせていたマルック・ベルトラは、従業員の為に凍結された預金を引き出そうとした男の人質として、女性行員と共に金庫に閉じ込められます。
銀行強盗に遭遇したことでマルック・ベルトラの顔は世間に広まり、彼の妻から連絡を受けた警官が彼の許にやって来ます。
マルック・ベルトラの帰宅を知ったカティ・オウティネンは、初恋相手との恋愛が成就しない哀しみを堪えてマルック・ベルトラに別れを告げます。 

 

この映画では、カティ・オウティネン演じるイルマの初恋と過去の無い男マルック・ベルトラの純度を感じる恋愛が綴られます。

救世軍で働くカティ・オウティネンとマルック・ペルトラの恋愛模様を観ていると、ミュージカル映画好きの自分には、音楽に溢れたこの作品と『野郎どもと女たち (Guys and Dolls)』(監督:ジョセフ・L・マンキーウィッツ  1955)の救世軍職員であるジーン・シモンズとギャング役のマーロン・ブランドの恋愛との重なりを感じます。 

この作品は、カンヌ国際映画祭グランプリ作品としては例外とも思える倖せの余韻に浸ることが出来る恋愛映画だと思います。

小津安二郎監督を敬愛しているとされるアキ・カウリスマキ監督が、独自の間合いで紡ぎ出すカティ・オウティネンとマルック・ペルトラの寡黙ながらも密度を感じる絡みは、僅か97分の上映時間にも拘わらず長尺作品を鑑賞したかのような感覚を覚えます。
作中に描かれるマルック・ベルトラは、過去の記憶や個人を特定する情報や記号を失っているという点で、安部公房の小説作品に登場する人物を連想します。

しかしながら、マルック・ベルトラの出奔理由と思われる妻と過去の自分との摩擦や彼女の新たなパートナーの姿が映し出されることにより、あたかも人生がリセットされたかの様な人生の再生がファンタジー・タッチで描かれている作品なのかも知れません。
この作品では、ブルースやR&Bがマルック・ペルトラや港の人々の心情と同化するかの様にジュークボックスから鳴り響きます。
それらが救世軍の讃美歌に加わることで、移動の車中で流れる小野瀬雅生ショウの 「Motto Wasabi」やクレイジーケンバンドの「ハワイの夜」の日本語歌曲と共に、港に暮らす等身大の人々を複数の照明で照らし出すかのような効果を感じます。

ケン・ローチ監督や是枝裕和監督作品の主要作品で描かれる、繁栄を標榜する経済システムに染まらずに生きる人々に柔らかな光を当てた映画として、これからも観続けたい作品です。 


PS:フィンランドを舞台にした『かもめ食堂』(監督:荻上直子 2006)に、マルック・ペルトラは小林聡美経営する食堂の前オーナーとして出演しております。

 

§『過去のない男 』

(右から)マルック・ベルトラ、カイヤ・バリカネン(ユハニ・ニユミラの妻)、ユハニ・ニユミラ↑

カティ・オウティネン、マルック・ペルトラ↑

ユハニ・ニユミラ、マルック・ペルトラ↑

マルック・ペルトラ(左)と悪徳警官↑

カティ・オウティネン(左)、マルック・ペルトラ(右)↑

カティ・オウティネン、マルック・ペルトラ↑

マルック・ペルトラ↑

カティ・オウティネン、マルック・ペルトラ↑

カティ・オウティネン、マルック・ペルトラ↑

マルック・ペルトラ、カティ・オウティネン↑

マルック・ペルトラ、カティ・オウティネン↑

カティ・オウティネン、マルック・ペルトラ↑

 

列車の食堂で寿司を食べるマルック・ペルトラ↑