リチャード・ルウェリンの小説をジョン・フォード監督が1941年に映像化し、アカデミー賞5部門 (※1)を受賞した『わが谷は緑なりき (How Green Was My Valley)』 は、故郷の炭鉱町で暮らした若き日の回想を描いた映画になります。

 

家長・ドナルド・クリスプ (役名:ギルム・モーガン)の家では、モーリン・オハラ (役名:アンハード・モーガン)と10歳の末っ子・ロディ・マクドウォール(役名:ヒュー・モーガン)を除いた5人の兄達が、ドナルド・クリスプと共にロンダの谷の炭坑で働いています。

炭鉱で得た賃金はいつも家の戸口で出迎える母・サラ・オールグッド (役名:ベス・モーガン)が広げたエプロンに置き、集めた収入は家庭の為に決められた使途に充てられていました。

そして、モーリン・オハラが沸かしたお湯で軀を洗った後に皆で食卓を囲む、幸せな日々を過ごしています。

やがて、長男のパトリック・ノウルズ (役名:イヴォール・モーガン)が、アンナ・リー(役名:ブローウィン・モーガン)と結婚して家を出ます。

披露宴の日に出逢ったモーリン・オハラと新任牧師のウォルター・ピジョン (役名:グリュフィード)は、互いに惹かれ合います。

しかし、そんな炭鉱町の安穏の日々は、炭鉱の賃金値下げが言い渡されたことにより揺らぎ始めます。

ストライキが始まった時、鉱山管理者はドナルド・クリスプに、ストライキを中止する様に説得を依頼しますが、ドナルド・クリスプは拒否します。

或る時、ドナルド・クリスプが事務所から出てくるところを鉱夫達が見たことで、彼が管理側に属しているものと誤解してしまいます。

野外で行われた鉱夫達の集会に参加したサラ・オールグッドは、夫が皆から非難されていることに憤り、反駁します。

集会の帰り道、凍った河に落ちてしまったサラ・オールグッドを助けようとしたロディ・マクドウォールは、重度の凍傷を負ってしまいます。

医者から歩くことが出来なくなるかもしれないと言われたロディ・マクドウォールに、ウォルター・ピジョンは愛情を持って励まし続けます。

ウォルター・ピジョンの励ましの甲斐もあってロディ・マクドウォールは、数か月後には歩けるようになります。

ロディ・マクドウォールの件で一家と親しくなったウォルター・ピジョンは、モーリン・オハラへの想いが昂じます。

しかし、ウォルター・ピジョンは彼女の倖せを願い、炭坑主の息子との結婚を薦めることで身を引いてしまいます。

やがてストライキは終息しますが、低賃金の為に息子達は谷を去る気持ちが芽生え始めます。

ウォルター・ピジョンの助けを受けたロディ・マクドウォールは、隣町の学校に通い始めますが、炭鉱町から来た彼を揶揄する生徒達と喧嘩を起してしまいます。

傷だらけのロディ・マクドウォールの下校姿を見た町の人々は憤慨し、拳闘家だったリス・ウィリアムズ (役名:ダイ・バンドー)とそのマネジャーのバリー・フィッツジェラルド(役名:サイ フォース)の指導を受けたロディ・マクドウォールは生徒達から一目置かれる存在になり、やがて学校を首席で卒業します。 

ストライキを機に低賃金の上働き口も減少した谷から人々が去って行く中、遂に兄弟達も次々と家から出て行きます。

或る日、長男のパトリック・ノウルズが鉱山事故で亡くなったことから、ロディ・マクドウォールは進学を諦めて炭坑で働く決心をします。

炭坑主の息子との結婚が破綻し谷に帰ってきたモーリン・オハラでしたが、ウォルター・ピジョンとの根も葉もない噂は彼女とウォルター・ピジョンを苦しめます。

傷ついたウォルター・ピジョンが谷から去ろうと決めた時、落盤事故を知らせる警笛が谷に鳴り響きます。

 

自然に恵まれた北海道の郡部や鉄鋼業が今よりも盛んだった都市で少年時代を過ごした体験から、アーヴィング・ピシェルが成人したヒュー・モーガン役で語る冒頭のナレーションが始まると、自分はこの映画が描く緑の谷の世界に一気に惹き込まれてしまいます。

緑の谷が暗色に覆われはじめるきっかけが、炭鉱の賃金削減であることが、同監督の『怒りの葡萄』(1940)に通じる社会的な流れを感じますが、この映画の主眼は実直に生きる人間の姿を、社会の変化の中で揺れる家族を描くことで表現しているのではないかと考えます。 

幼少期の故郷の想い出を成人してから辿ると、魯迅の小説「故郷」の様に、彩られた記憶を現在の自分が修正することになりがちですが、この映画は皆が幸せだった緑に満ちた過去を末っ子のロディ・マクドウォールが振り返るという、厳しさとノスタルジーの共存した映画だと思います。 

多く存在する象徴的なシーンの中で、自分が最も反応してしまうのはウォルター・ピジョンとモーリン・オハラの描き方で、彼女の幸せを思うが故に身を引いた牧師が、数年後に谷に単身戻って来たモーリン・オハラとの関係を心無い噂に苛まれ、牧師が谷を出る決意をするという展開は忍びないものを感じます。

皆が幸せだった頃には無かった人心の陰りや落盤事故の発生が平和だった緑の渓谷の終焉となりますが、モーリン・オハラとウォルター・ピジョンの愛の数分(※2)と、ラストに皆が集っていた頃の映像がロディ・マクドウォール演じる若きヒュー・モーガンの姿と共に流れるシーンは、胸が熱くなります。

炭鉱町の落日を、少年期の回想と恋愛を社会的な背景の中で抒情的に描いたジョン・フォード監督の傑作として、末永く観続けて行きたい作品です。

 

(※1)作品賞、監督賞、助演男優賞、美術賞 (白黒部門)、 撮影賞 (白黒部門)

 

(※2)ほぼ以下の流れになります。

 

手を汚した牧師・ウォルター・ピジョンに対し;

 

★(モーリン・オハラ)「教会では貴方は王様かもしれないけれど、キッチンでは私が女王なので、私の言うとおりにして(手を拭いて下さい)・・」

◆(ウォルター・ピジョン)「どこに居ようと、これからは貴女がずっと女王です」 

★(モーリン・オハラ)「今、何て仰いました?」 

◆(ウォルター・ピジョン)「言い過ぎました。 今言ったことは忘れてください・・」

 

PS:この文章は2018年2月掲載の文章の大幅追記・変更による差し替えです。

 

§『わが谷は緑なりき (How Green Was My Valley)』

ロディ・マクドウォール、モーリン・オハラ↑

ロディ・マクドウォール、ドナルド・クリスプ 、サラ・オールグッド↑

アンナ・リー、パトリック・ノウルズ ↑

モーリン・オハラ↑

サラ・オールグッド、モーリン・オハラ↑

サラ・オールグッド↑

ウォルター・ピジョン、ロディ・マクドウォール↑

モーリン・オハラ、ウォルター・ピジョン↑

ロディ・マクドウォール↑

ロディ・マクドウォール、ウォルター・ピジョン↑

ウォルター・ピジョン(左から二人目)、モーリン・オハラ↑