文字をアニメ化したソール・バスのタイトルバック映像とバーナード・ハーマンの音楽で始まるアルフレッド・ヒッチコック監督の 『北北西に進路を取れ (North By Northwest)』(1959) は、 2008年実施のカイエ・デュ・シネマの 「史上最高の映画100本」で、 24位にランキングされております。

 あと、同誌が1963年に企画したトーキー以後のアメリカ映画ベスト10投票では、フランソワ・トリュフォーがアルフレッド・ヒッチコック監督の 『汚名』(1946) 、『裏窓』(1954)と共に本作を選出しております。

 

仕事でニューヨークのホテルに居た広告会社の幹部ケイリー・グラント(役名:ロジャー・ソーンヒル)は、 諜報員のジョージ・キャプランと間違えられたことで、フィリップ・オバー (役名:レスター・タウンゼント)の邸宅に連行されてしまいます。 

ケイリー・グラントは、冷戦の敵である東側の諜報員ジェームズ・メイソン(役名:フィリップ・ヴァンダム)によって身に覚えのない尋問を受けた後、大量の酒を飲まされて坂道を運転させられます。

難を逃れたケーリー・グラントは母親のジェシー・ロイス・ランディス(役名:クララ・ソーンヒル)と警察と共にフィリップ・オバーの家に向かいますが、現れた女性は彼が外交官のディナー・パーティーに酔って現れたと言います。 

ケイリー・グラントと母親はホテルに行き、ジョージ・キャプランの部屋に入りますが、彼にかかって来た電話に応答したケイリー・グラントは、それが東側の組織員からの電話であることに気付きます。 

ホテルを出た後、先にフィリップ・オバーが演説をすると聞いていた国連本部に入ったケイリー・グラントは、フィリップ・オバーとは別人のレスター・タウンゼントと出合います。

その瞬間、レスター・タウンゼントを名乗る男の背中にナイフが刺さり、軀から抜いたナイフを手にしたケイリー・グラントは、居合わせた報道陣に写真を撮られ殺人犯の嫌疑をかけられてしまいます。

その場を逃げ出したケイリー・グラントは、身の潔白を証明する為にジョージ・キャプランを探すことを決意します。 

しかし、ジョージ・キャプランは米国の政府諜報機関がジェームズ・メイソンを惑わす為に仕組んだ架空の人物であり、ケイリー・グラントが実在のジョージ・キャプランとして追われる身になった展開を利用することに決めます。 

シカゴ行の列車に乗ったケイリー・グラントは、車内でエヴァ・マリー・セイント(役名:イヴ・ケンドール)と親しくなり、彼女は警察から追われる彼を自分のコンパートメントに匿います。 

しかし、ケイリー・グラントは彼女がジェームズ・メイソン一味と通じていることを知りません。

エヴァ・マリー・セイントからジョージ・キャプランと連絡が取れたことを知らされたケイリー・グラントは、待ち合わせ場所である広大な畑の中にあるバス停に向かいます。 

待ち合わせ時間を過ぎてもジョージ・キャブランが現れないまま時間が過ぎて行く中、突如として農薬散布中の小型飛行機がケイリー・グラントに襲い掛かります。 

辛うじて助かったケイリー・グラントはジョージ・キャプランが宿泊していると聞かされたシカゴのホテルに向かいます。

そこで彼はエヴァ・マリー・セイントの姿を目にします。

エヴァ・マリー・セイントを疑うケイリー・グラントが彼女を追うと、彼女は骨董品のオークション会場でジェームズ・メイソン達と席を並べていました。

ジェームズ・メイソンはケイリー・グラントの姿に驚きますが、彼の一味がケイリー・グラントを包囲したことを知ったケイリー・グラントは、無茶な入札を繰り返すオークション参加者になりすまし、首尾良く警察によって放り出されることに成功します。 

警察から米国の諜報機関の長であるレオ・G・キャロル(役名:教授)に引き渡されたケイリー・グラントは、エヴァ・マリー セイントとジェームズ・メイソンの関係を知らされます。

 

アルフレッド・ヒッチコック監督の作品で最も繰り返し観てきた作品は、映画の世界感が鑑賞後も長く持続するダフネ・デュ・モーリアの原作に拠る『レベッカ』 (1940)ですが、別の意味で好きなのはこの『北北西に進路を取れ』になります。 

ノースウエスト航空がスポンサーとなったことで比較的自由な撮影が可能になったからかも知れませんが(ある意味、『ノースウエスト航空で北へ』)、アルフレッド・ヒッチコック監督のアイデアが自由奔放に枝分かれした作品ではないかと考えます。

特に有名なのは、映画史に残るとされる晴天の平原での農薬散布機の刺客や(※1)、歴代大統領の顔が岩に刻まれたラシュモア山の巨大モニュメントで繰り広げられるクライマックスですが、雄大さを感じるそれらのシーンに至る、速度を感じる途切れることの無いサスペンスの連続は圧巻だと思います。 

観終わった後に、この映画の魅力とストーリーを現実感を持って他人に説明することは決して容易ではないと思いますが、観ている時は、ケイリー・グラントと共に都度直面する困難にひたすら立ち向かうことで、一気にカタルシスを伴う収束へと身を委ねる作品ではないかと考えます。

あたかもそれは、アルフレッド・ヒッチコック監督が本作に求めたものが、見終った後の感動や共感というよりは、観ている瞬間の感情移入に大きく重心を置いている様な気がします(※2)。

それは、映画館の観客に違和感や非現実感を抱かせる暇を与えない、説得力のある瞬間を連続させる監督の伎倆の為せる業なのかも知れません。

 

(※1)殺人シーンにありがちな暗闇の路地裏とは真逆の設定で撮りたかったことを、アルフレッド・ヒッチコック監督がフランソワ・トリュフォーとの共著「定本 映画術 ヒッチコック/トリュフォー(改訂版)」晶文社、1990年(訳者:山田宏一・蓮實重彦)の中で語っております。

 

(※2)極端な例えで恐縮ですが、小説に関しても、比較として読後に心に強く訴えてくる作品と、時を忘れて頁をめくり続ける作品があるように思います(勿論、両方兼ね備えた作品も多いと思います)。

 

PS:この文章は2018年1月掲載の文章の大幅変更・追記による差替えになります。

 

§『北北西に進路を取れ (North By Northwest)』

ケイリー・グラント↑

ケイリー・グラント(左)↑

ケイリー・グラント↑

ケイリー・グラント、エヴァ・マリー・セイント↑

エヴァ・マリー・セイント↑

ケイリー・グラント、エヴァ・マリー・セイント↑

ケイリー・グラント↑

ケイリー・グラント、エヴァ・マリー・セイント、ジェームズ・メイソン↑

ケイリー・グラント、エヴァ・マリー・セイント↑

アルフレッド・ヒッチコック