フェデリコ・フェリーニ監督が1954年に撮りアカデミー賞外国語映画賞を受賞した『道 (La Strada)』 は、『崖』(1955)や『カビリアの夜』 (1957)と共にジュリ エッタ・マシーナが穢れの無い精神を持った人物を演じる、ニーノ・ロータの名旋律が心に刻まれるフェデリコ・フェリーニ監督の初期のキャリアを代表する作品ではないかと考えます。

 

旅芸人のアンソニー・クイン(役名:ザンパノ)は軀に巻き付けた直径5ミリの鉄鎖を切る大道芸でイタリアの街々を廻っていました。

しかし、行動を共にしていたアシスタントのローザが亡くなってしまったことから、ローザの妹であるジュリエッタ・マシーナ (役名:ジェルソミーナ)を僅か1万リラで親許から雇い入れます。

アンソニー・クインとジュリエッタ・マシーナはアメリカ製のオート三輪に荷台を括りつけた簡易住居で大道芸の巡業を続け、ジュリエッタ・マシーナはアシスタント兼道化師として甲斐甲斐しく仕事をこなします。 

しかし、粗暴で自己中心的なアンソニー・クインとの生活に耐え切れなくなったジュリエッタ・マシーナは、黙ってアンソニー・クインの許から逃げ出します。

或る街に彼女が辿り着くと、通称「イル・マット(いかれた男)」と呼ばれる綱渡りを得意とする陽気な芸人リチャード・ベイスハートと出逢います。 

やがてアンソニー・クインに追い着かれたジュリエッタ・マシーナは連れ戻され、2人はサーカス団に加わることになります。 

サーカス団には、先に出逢ったリチャード・ベイスハートが一員として加わっており、過去に因縁のあるアンソニー・クインを何かにつけてからかい始めます。

リチャード・ペイスハートに喇叭芸を仕込まれたジュリエッタマシーナは、嬉々として仕事に精を出しておりましたが、或る日リチャード・ベイスハートの執拗な嘲弄に我慢の限界を超えたアンソニー・クインが、ナイフを手にリチャード・ベイスハートを追い駆けまわしたことから、2人は駆け付けた警官に逮捕されてしまいます。 

アンソニー・クインとリチャード・ベイスハートはサーカス団を解雇されますが、団長はジュリエッタ・マシーナに団員として残ってはどうかと声を掛けます。

団長の誘いを断ったジュリエッタ・マシーナは、アンソニー・クインの釈放を待つために街に残りますが、 一足先に釈放されたリチャード・ベイスハートは、「世の中の全ては小石でも何かの役に立っている。 それは神様がご存知だ。」 と彼女に告げた後、アンソニー・クインが留置されている警察署まで彼のオート三輪で彼女を連れて行きます。

釈放されたアンソニー・クインとジュリエッタ・マシーナは巡業の旅を再開しますが、途中、道端でパンクの修理をしていたリチャード・ベイスハートを見かけたことで事態は急変します。 

アンソニー・クインに殴られた拍子に自動車に頭をぶつけたリチャード・ベイスハートは、打ち所が悪かったことにより絶命してしまいます。

動揺したアンソニー・クインは自動車事故死に見せかけようと、自動車を崖から落としますが、全てを目撃していたジュリエッタ・マシーナは、ショックの余りその日から放心状態に陥ってしまいます。 

アシスタント役をこなせなくなったジュリエッタ・マシーナを置き去りにしたアンソニー・クインは、数年後に海辺の街で娘が聴き馴染んだ曲を口ずさむのを耳にします。 

それは、ジュリエッタ・マシーナがトランペットで演奏していた「雨の日に聴いた曲(=ジェルソミーナ)」であることに気付いたアンソニー・クインは、ジュリエッタ・マシーナが辿り着いたこの街で天へと旅立っていたことを知り、泥酔して海水で濡れ汚れた軀を砂上に投げ出して慟哭します。

 

この映画を初めて観たのは学生の頃の字幕放送でしたが、ジュリエッタ・マシーナ演じるジェルソミーナの純粋さにより、宗教的な神々しさを画面上に感じた記憶があります。 

その意味では、ジュリエッタ・マシーナが祭りの行列として練り歩く聖母子に心を奪われて立ちすくむ姿は印象に残るシーンであると共に刺戟を覚えますが、小石を例に挙げてリチャード・ベイスハートがジュリエッタ・マシーナに語った科白は聖フランチェスコの教えに由るものとのことです(※)。

あと、神への愛を忘れない為に土地への執着を避けようと2年置きに尼僧院を異動しているとジュリエッタ・マシーナに説明した修道女が、彼女を修道生活に誘う一連の流れにも、フェデリコ・フェリーニ監督がジュリエッタ・マシーナに与えた宗教的性格を反映しているのではないかと考えます。

「君を好きなくせに吠えることしか出来ない。」 とリチャード・ベイスハートがアンソニー・クインのことをジュリエッタ・マシーナに言うシーンと、ジュリエッタ・マシーナとの別れ際にアンソニー・クインがジュリエッタ・マシーナの枕元に彼女のトランペットを静かに置くシーンには、粗野であるが故に愛情表現を上手く表わす術を知らない人間の哀しさが、薄墨書きで仄(ほの)めかされている気がしました。

ジュリエッタ・マシーナと別れてからのアンソニー・クインの姿は、その’やつし’とも言える生気を失った抜け殻の風体から、ジュリエッタ・マシーナの喪失感の大きさが描かれている様に感じます。

他の俳優では可成り異なった作品になったのではないかと思われる、主要俳優3人の絶妙のキャスティングと名演技によるフェデリコ・フェリーニの映像世界に惹き込まれる、これからも繰り返し観続けたい芸術作品です。

 

(※)岩本憲児編「フェリーニを読む」フィルムアート社、1994年、pp95

 

PS:この文章は2018年2月掲載の文章を大幅加筆・変更してこの度差替えたものです。

 

§『道 (La Strada)』

アンソニー・クイン、ジュリ エッタ・マシーナ↑

ジュリ エッタ・マシーナ、アンソニー・クイン↑

ジュリ エッタ・マシーナ(左)、アンソニー・クイン(右)↑

ジュリ エッタ・マシーナ(右)↑

聖母子像に心を奪われるジュリ エッタ・マシーナ↑

聖母像↑

アンソニー・クイン、リチャード・ベイスハート↑

ジュリ エッタ・マシーナ(左)↑

ジュリ エッタ・マシーナの傍らににトランペットを置くアンソニー・クイン↑

アンソニー・クイン↑