久保つぎこのノンフィクション「あの日のオルガン 疎開保育園物語」を平松恵美子監督が映像化した『あの日のオルガン 』(2019年公開)は、第2次世界大戦中の疎開保育園の実話を基にした作品になります。

 

昭和19年、東京品川の戸越保育所と墨田の愛育隣保館では、空襲から子供達を守るために主任保育士である戸田恵梨香(役名:板倉楓)を中心とした保育士達が疎開を検討していた折、所長の田中直樹(役名:脇本滋)が食料を提供してくれる受入れ先を見つけたことから、希望する親の子供達と共に埼玉郡平野村の廃寺に疎開することになります。

しかし、保育士11人と園児53人が疎開する建物は戸が壊れ不衛生な厠が一つしかない荒れ寺で、勿論風呂も有りません。

戦局厳しい折、村から提供される食材も大根が主体でしたが、大原櫻子(役名:野々宮光枝)、佐久間由衣(役名:神田好子)や福地桃子(役名:森静子)、三浦透子(役名:山岡正子)等の保育士達は、子供達のひもじさや親から離れた寂しさによる夜尿症を、持参したオルガンを弾いて紛らわしたり、夜番や親代わりの添い寝をしながら戦争の終結を信じて耐え忍びます。

或る日、自転車事故で動けなくなっていた佐久間由衣(役名:神田好子)を、村長で世話役の橋爪功(役名:近藤作太郎)の息子である萩原利久(役名:近藤信次)が介抱しているところを、通りすがりの村人達が見かけてしまいます。

誤解に満ちた噂が村中に広まってしまったことで、佐久間由衣は戸田恵梨香の反論が通らないまま、一時帰京させられてしまいます(後日、佐久間由衣から疎開保育園へ戻るとの知らせを受け取った親友の大原櫻子は歓喜しますが、東京から来た保育士は佐久間由衣ではありませんでした)。

昭和20年3月10日、仕事で東京に出た戸田恵梨香は、東京大空襲に遭いますが、自分の肉親を失った哀しさと自身の火傷にも拘わらず、東京に残った子供達と疎開児童の肉親の安否を訪ね歩きます。

焦げた服と火傷の痛々しい姿で疎開保育園に戻った戸田恵梨香は、肉親が亡くなった園児達に過酷な事実を伝えることを、それぞれの担当保育士に言い渡します。

やがて、所長の田中直樹にも召集令状が届き、焼夷弾の脅威は疎開先の埼玉に襲い掛かりますが、終戦直前に熊谷空襲の警報が疎開保育園に響き渡っても、東京大空襲の記憶により放心状態に陥った戸田恵梨香は、皆が向かおうとする防空壕へ入ろうとしません。

 

保育関係者を中心とした市民プロデューサーの出資により製作されたこの映画を観て思うことは、セットや背景や衣装等に細部まで拘って撮影されている様に感じられることです。

エンド・クロールに近年開催されたと思われる疎開保育園の同窓会写真が映し出されることからも、当時を知る人々がこの映画の製作に協力したのではないかと想像します。

印象に残るシーンは多いですが、その中でも詩情を感じるシーンとして心に刻まれたのは、東京に戻る佐久間由衣の桶川駅のシーンで、前日2等分にしていたキャラメルを見送りに来た大原櫻子の口に入れるシーンです。

駅の待合室に来ていた萩原利久に気付かないまま、改札に向かう佐久間由衣を見送る彼の表情には、胸の詰まリを覚えます。

佐久間由衣を介抱した時に渡した一粒のキャラメルと、責任を感じている彼の淡い恋心が切なく絡み合った心の疼きを覚えるシーンだと思います。

自分はこの作品を観ていると、直截的な戦争映像を殆ど登場させずに戦時下の子供達を描いた『さよなら子供たち』(監督:ルイ・マル 1987)や『少年時代』(監督:篠田正浩 1990)を思い浮かべますが、子供達の無垢のキャンパスに平時とは異なる色彩が否応なく混ざり込み拡がる様が描かれているのではないかと考えます(※)。

それは、逃げても逃げても追い駆けてくるのが戦争であると、映画製作に関わった人々の思いを感じさせる戸田恵梨香の終盤の科白に、鉛の様な重さを与えている様に思います。

子供達の命を結果的に救うことが出来た半面、親子の最期の時間を奪ってしまったことに対し戸田恵梨香が呵責に苛(さいな)まされる姿、そして、年の近い保育士達を統率せんが為に気丈に振舞っていた彼女の緊張の糸が切れた瞬間の慟哭も、観客の心に平時の意味を問いかける長く心に留まる場面ではないかと考えます。

モノクロ処理を施した焼跡の映像の中、唯一カラーで浮かび上がる紅の炎や、自分を抑え続けた戸田恵梨香と親和性を感じる屈託の無い大原櫻子をコントラストとすることにより、大原櫻子の目線を平時に生きる観客との架け橋として戦禍の時代を映像化したと思われる、これからも観続けて行きたい映画です。

 

(※)木下恵介監督の『二十四の瞳』(1954)は昭和初期の分教場を描いた作品ですが、軍国主義の翳が忍び寄り、高峰秀子演じる大石先生の夫と教え子達が後に戦争で亡くなる流れにも、この映画との共通項を感じてしまいます。

 

PS:2021年11月に上梓された「巨大映画館の記憶」(青木圭一郎、ワイズ出版)を購入しました。

客席数1,000を超える東京の巨大映画館を中心に、本邦のロードショー上映の歴史が詳細なデータで記載されております。

当時の映画館所在地が書かれた地図や座席表、開館時から閉館時までの上映作品リストに加え、ポスター、新聞広告、外観写真、上映方式の変遷等、映画ファンのリファレンスとなりうる書籍ではないかと考えます。

☆上映作品リストの掲載されている映画館:帝国劇場、日比谷映画劇場、有楽座、日比谷スカラ座、テアトル東京、東京劇場(東劇)、松竹セントラル、丸の内ピカデリー、丸の内日活、渋谷パンテオン、新宿ミラノ座、新宿ピカデリー、新宿プラザ劇場、日本劇場(日劇)

 

§『あの日のオルガン』

大原櫻子(前列左)、戸田恵梨香(前列右)↑

佐久間由衣、大原櫻子、橋爪功↑

 

福地桃子(右)↑

大原櫻子、佐久間由衣↑

大原櫻子の口にキャラメルを入れる佐久間由衣↑

戸田恵梨香、福地桃子、堀田真由↑

戸田恵梨香↑

戸田恵梨香↑

戸田恵梨香↑

 

§「巨大映画館の記憶