東向島出身の幸田文の小説を成瀬巳喜男監督が映像化した『流れる』(1956)は花街として名を馳せていた東京柳橋の置屋を舞台にしており、山田五十鈴が置屋の経営者、田中絹代が住み込み家政婦、杉村春子と岡田茉莉子が置屋で働く芸妓、高峰秀子が置屋の娘という演技派俳優の共演作品になります。

 

戦後間もない或る年の年末、大川(隅田川)に沿った柳橋の芸者置屋「蔦の家」には、老練で芸達者な女主人の山田五十鈴(役名:つた奴)と、彼女の娘の高峰秀子(役名:勝代)、姪の中北千枝子(役名:米子)とその娘の松山なつ子(役名:不二子)が住んでいます。

最盛期に倍近く通いの芸妓が居たものの、今では山田五十鈴、杉村春子(役名:染香)、岡田茉莉子(役名:なゝ子)の三人で座敷を廻しています。

借金を踏み倒して失踪してした芸妓の泉千代(役名:なみ江)の叔父で、鋸山の石工である宮口精二が風俗営業の告発に脅しに入ったり、下谷鬼子母神に住む山田五十鈴の姉である賀原夏子(役名:おとよ)が高利貸として出入りしております。

そこに、寡婦の田中絹代(役名:梨花)が住み込み家政婦として職を得ますが、柳橋の表と裏を田中絹代は甲斐甲斐しく働きながら見続けることになります。

年末に風邪をこじらせた田中絹代は従姉の家で静養することになりますが、快復して「蔦の家」に戻って働く彼女に、置屋の凋落の翳が色濃く覆います。

そこへ、川向うで料亭を営む山田五十鈴の師匠格の栗島すみ子が現れ、彼女の甥である仲谷昇(役名:佐伯)と共に、山田五十鈴を「蔦の家」の経営から切り離そうと画策を始めます。

 

成瀬巳喜男監督の生誕100年にあたる2005年に、様々な特集やイベントが組まれておりましたが、自分も当時は東京国立近代美術館フィルムセンターの上映会や放送録画、ソフト購入等で多くの成瀬巳喜男の映像世界を体験することが出来ました。

中でも個人的に繰り返し観る作品は、本作と『女の歴史』(1963)と『浮雲』(1955)ですが、それらを観ると、松竹の小津安二郎作品とは異なる、東宝の俳優陣が等身大で繰り広げるリアリズムの世界に惹き込まれます。

幸田文は原作を書くにあたって実際に置屋に住み込みで働いたとのことですが、その経験が素晴らしい小説・映画となって、当時の柳橋の様子を生き生きと伝えている様に思います。 

女将である山田五十鈴が落剥してきた置屋を維持しようと奔走する様と、彼女の女将としての矜持を冷徹に受け流す栗島すみ子の狭間で、田中絹代の一定の距離を保った涼やかな視線が一部始終を見守り続けます。 

この映画では、花街として日が陰ってきた柳橋(※)を田中絹代という外部(=素人)の目線を置くことにより、客観的に描写しているのではないかと考えます。

江戸から続く名門花柳界の落日を、熟練の芸妓(山田五十鈴、杉村春子、栗島すみ子)と現代女性(高峰秀子、岡田茉莉子)とのコントラストが立体感を醸し出している様に感じると共に、大川や清洲橋を様々な角度から捉えたモノクロの映像も象徴的かつ情緒的で、個人的にこの作品を愛しております。  

 

(※)大川の汚染による悪臭が原因だったとのことです。

 

PS:この文章は2018年3月掲載の文章の大幅加筆・変更による差替えです。

 

§『流れる』

高峰秀子、山田五十鈴↑

 中北千枝子(右)、高峰秀子(中央奥)↑

高峰秀子、田中絹代↑

宮口精二、栗島すみ子、田中絹代↑

杉村春子(左手前)、山田五十鈴(右手前)、中北千枝子(右奥)↑

田中絹代↑

栗島すみ子↑

高峰秀子↑