イヴァーノ・デ・マッテオ監督が2020年に撮ったイタリア映画『はじまりの街(La Vita Possibile)』は、北イタリアのポー河上流に位置するトリノの街を舞台に母と多感な息子の情愛を描いた抒情的な作品です。

 

13歳になる息子アンドレア・ピットリーノ(役名:ヴァレリオ)とローマで暮らすマルゲリータ・ブイ(役名:アンナ)は、暴力を振るう夫から逃れる為に親友ヴァレリア・ゴリーノ(役名:カルラ)の暮らすトリノに向かいます。

ヴァレリア・ゴリーノが住む家の一部屋を貸し与えて貰ったマルゲリータ・ブイは、トリノで生活して行く為に清掃業の職を得ます。

見知らぬ土地と父親恋しさがつのるアンドレア・ピットリーノは、大好きなサッカーをする相手の居ないトリノの街を自転車で彷徨います。

或る日、夫からの手紙が添えられた小包が、マルゲリータ・ブイの父親を介して届けられますが、真摯な反省の言葉が綴られた手紙の文面に母としての自分の行為に悩みます。

悩みを打ち明けられたヴァレリア・ゴリーノは、ここで彼と連絡を取ってしまったら元の木阿弥となることを告げ、ミラノで自分と共に暮らし続けることが皆の倖せに至る道であるとマルゲリータ・ブイを諭します。

しかし、マルゲリータ・ブイが仕事先から家に戻ると、読んだ形跡の有る夫の手紙と共にアンドレア・ピットリーノが家を出て行ったことに気付きます。

近所のビストロのフランス人オーナーであるブリュノ・トデスキーニ(役名:マチュー)の協力を得て、アンドレア・ピットリーノを見つけ出しますが、息子の閉ざされた心にマルゲリータ・ブイは、入り込むことが出来ません。

そんな折、公園の縁で客待ちをするカテリーナ・シェルハ(役名:ラリッサ)の姿を幾日も遠くから見つめていたアンドレア・ピットリーノでしたが、自転車で転んで怪我をした彼の許に彼女が近づいて来ます。

それまで、子供として歯牙にもかけなかったカテリーナ・シェルハでしたが、アンドレア・ピットリーノの怪我を気遣ったことを縁に、彼女の弟へプレゼントする服を選びに一緒に街に出かける様になります。

揺れる心を制御出来ないアンドレア・ピットリーノに、ブリュノ・トデスキーニは店の飲み物を与えて優しく寄り添いますが、尊敬する元プロ・サッカー選手だった彼が以前人の命を奪った身であるとの噂を聞いたアンドレア・ピットリーノは、噂の真偽について話してくれるように頼みます。

 

ネオリアリズモ映画やフェデリコ・フェリーニ作品に登場する洗濯物はためく路地が風情を感じさせる都市とは異なる、フランス以北のヨーロッパの街並みを思わせるこの映画を観ていると、これまで観てきたイタリアの映画とは若干肌合いの違う、一部のフランス映画等に観られる様な涼やかな映像表現に惹き込まれます。

それは、晩秋の北イタリアを舞台にした透明度が高い冷えた空気が、空間の拡がりと抒情性を感じさせるのかも知れません。

思春期の魂が異郷の地と共振して激しく揺れ動く息子と、慣れない環境で働くマルゲリータ・ブイの心を親友ヴァレリア・ゴリーノとフランス人ブリュノ・トデスキーニが、離れることなく彼等の心を温め続ける様が詩情を感じる映像を交えて描かれます。

この映画は、息子を案じるが故に第2の人生を親友が暮らすトリノで始めたマルゲリータ・ブイの決断に対し、アンドレア・ピットリーノが友人や父と別れることで孤独に苛(さいな)まれる姿が、彼の視線で描かれます。

人恋しさと異性への想いが交錯する中、カテリーナ・シェルハに抱いた憧憬(イメージ)が、レンズの焦点を現実に合わせたことで失意に代わる件は、思春期入口の蹉跌として心の奥が疼く様な感覚がしました。

ブリュノ・トデスキーニと母子の今後の人生を予感させる、ラストにシャーリー・バッシーの歌う「This is my life」が心に響く、友情と情愛が描かれた好きな作品です。

 

PS:東京オペラシテイ・アートギャラリーで開催中(2021/10/9-12/19)の「和田誠展」に行って参りました。

塩とたばこの博物館で開催された「和田誠と日本のイラストレーション」(2017/9/9-10/22)以来4年振りとなる、和田誠の芸術世界に浸らせて頂くことが出来ました。

 

§『はじまりの街』

 

マルゲリータ・ブイ、アンドレア・ピットリーノ↑

マルゲリータ・ブイ、アンドレア・ピットリーノ、ヴァレリア・ゴリーノ↑

ブリュノ・トデスキーニ、アンドレア・ピットリーノ↑

 

§「和田誠展」