ジャック・フェデーが1935年に監督した『女だけの都』 は、『天井桟敷の人々』(監督:マルセル・カルネ 1945)や『大いなる幻影』(監督: ジャン・ルノワール 1937)等のフランス作品と共に、昭和世代の記憶の中では映画史に登場するマスターピースのイメージがあります。
謝肉祭を目前にしたスペイン統治下の17世紀初頭のフランドル都市に、スペイン公爵ジャン・ミュラ(役名:オリバーレス公)が彼の軍隊と城内で一晩過ごすことになったとの伝令の報に戦々恐々となった市長アンドレ・アレルムと彼の取り巻き達は、市長が突然死んだことにして彼等をやり過ごそうとする計略を謀ります。
市長の妻のフランソワーズ・ロゼー(役名:コーネリア)は、その様な肝の小さい夫や取り巻き達の浅知恵に失望したことから、女性達だけでスペイン軍を丁重に迎え入れることで、彼らの狼藉を封じ込めようとします。
スペイン公爵ジャン·ミュラや従軍司祭ルイ・ジューヴェは彼女等の歓待に感じ入り、喪に服しながらのスペイン軍を交えた饗応が朝まで繰り広げられます。
その様な中、父親である市長アンドレ・アレルムに画家ベルナール・ランクレ(役名:ジュリアン・ブリューゲル)との結婚に反対され、 肉屋との結婚を父に強いられている娘のベルナール・ランクルを不憫に思うフランソワーズ·ロゼーは、この機に憎からぬ仲になったスペイン公爵に取り入って司祭に娘の婚儀を執り行う様に頼み込みます。
狼藉無き一夜を終えた朝、大勢の市民に見送られながらスペイン軍が立ち去った時、 昨夜の出来事に怒りを抑えきれない夫の横でフランソワーズ·ロゼーは、スペイン公爵の謝意として1年間の租税免除が市長の機転により交付されたことを市民に告げ、夫の威厳を繋ぎ止めます。
この映画では、フランドルの画家であるブリューゲル一家やピーテル・パウル・ルーベンスが活躍した時代のフランドルの小都市が舞台であることから、ピーテル・ブリューゲ ルの「農民の婚宴」(ウィーン美術史美術館蔵)を想起させる映像やピーテル・パウル・ルーベンスの「画家とその妻、 イザベラ・ブラント」(ミュンヘン アルテピナコテーク蔵)を模した絵が登場します。
あと、ベルナール・ランクレが画家として市長達を描く集団肖像画は、彼等と同時代に活躍したオランダのフランス・ハルスやレンブラント・ファン・レインを連想させます。
ユーモアが横溢しているこの作品はコメディ映画として愉しめる作品だと思いますが、観る人と角度によっては様々な風刺的な側面を垣間見ることが出来る作品ではないかと考えます。
それは、先入観とは異なる訪問者達の品位とは対照的な利己的な身内とその追随者達、芸術家に対する軽視、卑俗な聖職者、謝肉祭で繰り広げられる男女の饗宴を背景に浮かび上がる恋する二人等ですが、ジャック・フェデー監督が創り出した享楽的とも思える映像を交えた生気溢れる映像を観ていると、この映画が86年前の作品であることを忘れて観入ってしまいます。
綿密な時代考証による衣装とセットにより再現された、17世紀初頭のフランドル都市の生活模様も個人的に興味深い、時代を超えた映像作品として好きな映画です。
§『女だけの都』
ピーテル・パウル・ルーベンスの「画家とその妻、 イザベラ・ブラント」(1610)↑