フランソワ・トリュフォー監督が1975年にイザベル・アジャーニ(役名:アデル・ユーゴー)を主役に据えて撮った『アデルの恋の物語』は、ヴィクトル・ユーゴーの次女アデルの日記を基にした、実在した人物を描いた作品になります。


イザベル・アジャーニと恋愛関係にあった英国軍人のアルバート・ビンソン中尉を、後に監督・脚本家としても活躍するブルース・ロビンソンが演じており、映画は彼を追いかけて英領ガーンジー島からカナダのハリファックスへ来たイザベル・アジャーニが港に上陸するシーンから始まります。

イザベル・アジャーニはシルヴィア・マリオット(役名:サンダース夫人)の営む下宿屋から、ブルース・ロビンソンに手紙を書き続けますが、イザベル・アジャーニを女性遍歴の一人と考える借金漬けのブルース・ロビンソンは、彼女に冷たい態度で接します。

イザベル・アジャーニは溺死した姉のレオポルディーヌの溺れる悪夢に苦しみながら、返事の来ない手紙を書き続けますが、仕送りを続ける両親を始め、下宿のシルヴィア・マリオットや、書店、銀行、医師等の彼女を取り巻く人々はイザベル・アジャーニが文豪の次女であることを知ってからも、変わらぬ自然体で、恋に一途な彼女に暖かい態度で接し続けます。

ブルース・ロビンソンに逢う為に男装したり、結婚許可証を書かせた親に結婚したとの虚偽報告をしたり、紅灯街の女性を彼の部屋に行かせたり、他の女性を好きになっても構わないと言って定額を永続的に与えることを提案する等、イザベル・アジャーニの魂は外れた車輪の様に軌道から逸れて転がって行きます。


終盤、西インド諸島バルバドスに転属になった少尉を汚れた服装で追い駆ける姿には、アべ・プレヴォが書いたマノン・レスコーを流刑地アメリカまで追い駆ける騎士デ・グリューを思い起こさせる、ファム・ファタル文学で描かれる愛の姿が自分には重なります。

この映画でイザベル・アジャーニが繰り返し語る「偉大な親の軛(くびき)に繋がれた古い世界を自分の意志で捨て、自分自身の黄金としての新世界の恋人に逢う為に海を渡る」という科白により、理性では判っていながら、求めてやまない愛に魂が抗(あらが)えない鋭敏な感受性を授かったヴィクトル・ユーゴーの次女アデルを、フランソワ・トリュフォーがイザベル・アジャーニの凄演を得て描いた作品として好きな映画です。

 

PS 私見で恐縮ですが、この映画を観ていると、フランソワ・トリュフォー監督の『隣の女』(1981)で隣に越してきたファニー・アルダンに分別を失ってしまうジェラール・ドパルデューを自分は思い起こしてしまいます。

恋愛が理性で制御可能で春に桜が無かりせば、人の心は平穏(のどか)なのかもしれません。

 

§『アデルの恋の物語』