『25年目のキス(Never  Been Kissed(監督:ラジャ・ゴズネル 1999)は、ロードショー館のスクリーンで観て以来今日まで繰り返し観続けて来た映画の中の1本になります。

ドリュー・バリモア製作・主演(役名:ジョージ―・ゲラー)の青春ラブ・コメディで全米初登場1位ということからも、話題のヒット作だったと記憶しております。

自分にとってこの映画に格別の思い入れがある理由は、青春時代に属していた小さな世界(=自分が卒業した高校)に、色々な世界を知った社会人の自分が高校生に扮して母校に潜入するという設定の興味深さです。

それは、地方新聞のコピーエディターとして働くドリュー・バリモアが、高校生の実態を潜入調査するというワンマン社長が企画した特集記事の調査員に採用されてしまったことによるものですが、その尋常ならざる展開により、ジェネレーションギャップや、年の功による知見により自身が経験した高校生活とは異なるシチュエーションの中で、ドリュー・バリモアが無作為に弾ける様がスクリーンに展開します。

映画では、ドリュー・バリモアがシェイクスピアの男装劇「お気に召すまま」の授業で披露した文才に惹かれた国語教師マイケル・ヴァルタン(役名:サム・コールソン)との恋愛や、数学研究会で育んだリーリー・ソビエスキー(役名:アルディス・マーティン)との知的友情に加え、野球の夢を捨てきれないドリュー・バリモアの弟デイヴィッド・アークエット(役名:ロブ・ゲラー)の思いも横糸として綴られて行きます。

映画は幾分ベタなコメディ・タッチを交えつつ進行しますが、広い社会を経験して性格的に突き抜けたはずの自分が、卒業ダンスパーテイ(プロムにまつわる辛い過去のトラウマや現在の小世界ヒーロー・ヒロイン達との係わりによって、ドリュー・バリモアが自身の恋愛体験も含めた、小さな社会が持つ普遍性に気付く展開から映画のトーンに変化が生じます(1)。

この映画は、ポップで切ないエンデイングへ突き進むドリュー・バリモアと国語教師マイケル・ヴァルタンとの恋の行方自分にはとても愛おしい作品なのですが、ビーチ・ボーイズの「Don’t Worry Baby」が流れる野球場のラスト・シーンでの、新聞社の同僚(※2)や同級生のみならず大勢の市民の応援を受けたドリュー・バリモアの姿は何度観ても軀の芯が揺れるのを感じます。

人生を繰り返すタイムスリップ作品に通じる愉しさと奥深さを感じる好きな作品です。

 

1)ドリュー・バリモアによるラストのナレーションで、俯瞰的な目線で青春期の小世界とその普遍性が語られます(振り返ると小さな世界の出来事と感じられる青少年期に属していた社会も、それが現在進行形だった当事者の自分にとっては唯一無二の広大な存在であったこと)。

 

2)この映画ではドリーム(監督:セルドア・メルフィ 2016)でシステム・エンジニアとして活躍していたドロシー・ヴォーンを演じたオクタヴィア・スペンサーが、ドリュー・バリモアの同僚役で出演するのも個人的に嬉しいキャスティングです。

 

⇒20110日に掲載されていた内容の大幅追記・変更による再掲載(差替え)です。

 

§『25年目のキス