今井正監督が1953年に東映に招かれて撮ったひめゆりの塔は、看護訓練を受けた沖縄の女子学徒隊が配属された病院壕の実態を史実を基に描いたセミ・ドキュメンタリー作品になります。

昭和20年3月の米軍沖縄上陸直前から6月の解散命令直後に至る沖縄戦の惨劇を、今井正監督は綿密な調査と透徹な映像表現によりスクリーン上に映し出しているのではないかと思います。

映画は沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の教員と生徒からなるひめゆり(姫百合)学徒隊の献身的な姿を中心にして描かれますが、物資乏しい環境下での過酷な看護、命懸けの水汲みや炊事、遺体の処理作業が、銃撃や艦砲射撃に晒された病院壕の内外で行われていた実態を映像で観ると、昭和後半の平和な時代に生まれた自分は、どの様に感想を書けば良いのかが判らずに言葉を失ってしまう部分があります。

個人的に1990年の夏にひめゆりの塔や日本軍の壕を訪問した時、あの時代を生き抜いた語り部の方の証言を聞かせて頂きましたが、史実が実際どれほど凄惨であったかを今井正監督が描いた映像を通して観ると、語り継がねばならない事実の重みを改めて痛感させられます。

僭越ですが、自分には監督のみならず戦禍の時代を経験した脚本の水木洋子を始めとする製作者や俳優陣全ての人々の想いが、終戦から8年後に創られたこの作品を観ていて伝わる気がします。

津島恵子(役名:宮城先生)や岡田英次(役名:玉井先生)、藤田進(役名:岡軍医)、そして香川京子(役名:上原文)、関千恵子(役名:久田淳子)、渡辺美佐子(役名:富安良子)等が、勝利を信じて献身的に生き抜こうとする姿には心が突き動かされます。

様々な映像が網膜に焼き付き、観終わった後も脳裡に繰り返し蘇るこの映画ですが、この度この作品を観て思ったことは、ベルンハルト・ヴィッキ監督の(1959)同様、年端も行かぬ学生が生死の際である最前線に送り込まれる戦争の怖ろしさですが、時折垣間見せる思春期の学生としての屈託の無い姿と、過酷な状況下で献身的に働く姿とのギャップには遣り切れない思いにさせられます(1)。

その意味で、壕内で行われる卒業式のシーンには、平時には学業に専念する学生である「ひめゆり学徒隊」の姿を観客は意識せざるを得ませんが、学生が最前線に送り込まれた時代が沖縄に存在したことを深く考えさせられる映像ではないかと思います。

この映画で個人的に考えさせられたことは、偽りの大本営発表が耐え苦しむ病院壕の人々を限界まで鼓舞し続けた側面と、戦時訓に記された降伏拒否等の情報操作や思想の誘導です。

あと、この映画を観ていて感じたことは、俳優の近くで炸裂する爆撃シーンの多さと凄さで、土石や爆風で撮影中に怪我人が出たのではないかと思われる迫真の映像が何度も映し出されます(2)。

終盤、鼓膜を負傷した津島恵子に岡田英次が筆談で伝えるメッセージに、監督や製作者がこの作品に込めた想いと深い哀悼の祈りを感じる130分だと思います。

 

1)この映画で、沖縄民謡や「故郷(ふるさと)」を始めとするひめゆり学徒隊によって唄われる数々の歌は、川で水浴びをしたり、新鮮なキャベツとお汁粉に歓喜の表情を浮かべる晴天下の彼女達の眩しい映像と共に軀の中に滲み込みます。

 

2)両国隅田川花火等で活躍する1864年(元治元年)創業の「(株)丸玉屋小勝煙火店」が、オープニング・タイトルで爆破技術担当としてクレジットされます。

 

§『ひめゆりの塔

 

 

沖縄民謡を踊る香川京子(中央)↑

 

壕内の卒業式↑

 

 

 

 

 

岡田英次による津島恵子への筆談↑↓

 

 

最后の晩餐↑