黒澤明監督の最後の時代劇作品(1985)は、自分にとって初めてロードショウ館で観た黒澤明作品になります。

先般4K解像度で修復された2017年リマスター版を観ましたが、戦国時代を舞台に繰り広げられるシェイクスピア悲劇「リア王」の世界に、今後この様なスケールと映像美で時代劇が創られることは無いであろうとの感を強くしました。

 

寺尾聰(役名:一文字太郎孝虎)、根津甚八(役名:一文字次郎正虎)、隆大介(役名:一文字三郎直虎)の3兄弟に領地を与え、寺尾聰を総領に家督を譲ろうとした仲代達矢(役名:一文字秀虎)に、隆大介が結束の懸念から3本の矢を膝で折り反対したことにより追放されます。

寺尾聰の正室である原田美枝子(役名:楓の方)は、仲代達矢に滅ぼされた一族の生き残りとしての怨みから、寺尾聰や根津甚八を懐柔し、仲代達矢と根津甚八の正室である宮崎美子(役名:末の方)を城から巧みに追い出すことに成功します。

隆大介不在の三の城に居を構えようとした仲代達矢は寺尾聰や根津甚八の襲撃を受け、仲代達矢は家来と側室達を失ったことで乱心し、寺尾聰も根津甚八の手に架かり命を落とし、仲代達矢の身を唯一人案じ隣国に招かれていた隆大介も根津甚八の射手の的となってしまいます。

根津甚八が原田美枝子の策略と隣国の囮戦術に気付いた時には、一文字家の命運は既に尽き、城壁から落ちた阿弥陀如来の掛軸が天の目線を表すかの様に夕陽の薄光に照らされます。

 

VFX(視覚効果)技術が活用されている映像作品に慣れた目で観ると、この映画の撮影にかけた労力と映像の質感の違いに溜息が出てしまいます。

銀塩写真、フィルム投影、アナログ盤等に感じることがある(就中アナログ盤)質感の違いに通じるものがあるのかも知れませんが、三の城炎上シーンや騎馬隊が川を渡るシーンの質感が放つ迫力には言葉を失います。

この作品では、家族の結束を誓う毛利元就の’三本の矢’の故事が成立しないという波乱の冒頭が描かれますが、その理由がそれまで仲代達矢によって行われてきた冷酷な戦国治世の数々であることが、一文字家の因果として黒澤明監督により次々と描かれて行きます。

息子達の許を楽隠居として訪ね歩きたいと笑顔で家督を譲った仲代達矢が、身内の攻撃に遭い乱心してゆく姿には同情を禁じ得ませんが、それがこの映画が描こうとする仲代達矢の過去の所業に対する応報であるという視点で考えると、身が引き締まる様な感覚を覚えます。

これからも観続けて行きたい、黒澤明監督のカラー作品中最も好きな映画です。

 

PS 撮影模様を紹介するドキュメンタリーや述懐、後日譚が多く存在する作品ですので、黒澤明ファンには汲めども尽きない泉の様な映画ではないかと考えます。

個人的にこの作品は、黒澤明の撮りたい映画を創らせてあげようという、「国境を超えた製作委員会」が咲かせた大輪の花ではないかと考えます。

 

§『乱』