ヌーヴェル・ヴァーグの有名作をプロデュースしたことで知られるアナトール・ドーマンが製作し、大島渚が監督した1978年の愛の亡霊は、カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞した作品ですが、自分がこの作品を観たのは高校時代の札幌のロードショー館でした。

これまで折に触れて観ている小林正樹監督の怪談(1965)と同じ、映画史・音楽史に名を残すと考える視聴覚スタッフ(撮影:宮島義勇、音楽:武満徹、美術:戸田重昌)が製作に携わっていることからも、個人的に思い入れのある作品です。

志賀直哉が私淑した小泉八雲文学の映像化作品である怪談は、予想興行成績に反比例した芸術的成果だと自分は考えますが、愛の亡霊怪談の視聴覚スタッフと大島渚とのコラボレーションにより、恋愛の業が掘り下げられた映像芸術ではないかと思います。

 

車夫の田村高廣(役名:塚田儀三郎)の女房である吉行和子(役名:塚田せき)に想いを寄せる、26歳の年齢差がある兵隊帰りの若き藤竜也(役名:田中豊次)は、或る日の衝動的なきっかけから、道ならぬ逢瀬を重ねることとなります。

しかしながら、次第に独占欲が鎌首をもたげてきたことにより、藤竜也は吉行和子を占有すべく田村高廣を共謀して殺害した後、林の井戸に遺体を投げ込みます。

その後、藤竜也が遺体を覆う為に落ち葉を井戸に投げ込む日々が続く中、吉行和子の娘の夢に田村高廣が現れるようになりますが、ある時吉行和子の前に、田村高廣が白塗りの亡霊となって現れます。

 

先日久し振りにこの映画を観ていて思ったことは、吉行和子を愛するが故に罪を重ねる藤竜也と吉行和子の盲目的とも言える恋愛模様が献身的に描かれていることで、モラルに反する行為に及んだ二人に亡霊が責めを与えるこの作品中、二人の愛の業が山の湧水の様な純さとして感じる部分があることです。

この映画で描かれる田村高廣は、落語の「お初徳兵衛浮名の桟橋」(≒「船徳」)に登場する人物が言う「船頭仕事終わりの一杯だけが愉しみ」を地で行くような、晩酌で焼酎を嗜むことに倖せを覚える好々爺として描かれますが、甘党と思(おぼ)しき藤竜也は、饅頭の甘い誘いで吉行和子の懐に入り込みます。

周囲や警察が田村高廣の失踪を怪しみ出し始め、亡霊と不安の二重苦に苛(さいな)まれる日々となりますが、映画は互いに相手のことを案じる健気とも言える二人の姿を映し出します。

映画の終盤、松葉が目に刺った吉行和子は視力を失いますが、そのことにより「春琴抄」で谷崎潤一郎が描いた軀と魂が同化するかの様な、愛のコリーダ(1976)をも連想させる恋愛の次元の変化を自分はスクリーン上に感じました。

武満徹の音楽と宮島義勇の映像の衝突が相乗的な刺戟を与えてくれる、何度も観たくなる大島渚監督作品の一つです。

 

§『愛の亡霊』