映画・文芸評論家の川本三郎が氏の著書で書いておりますが(※1)、韓国ひいてはアジアの映画に注目するようになったきっかけとしてホ・ジノ監督の『八月のクリスマス』(1998年)があったとのことです。
自分もこの作品を観てその奥深い映像表現に驚いて以来、何度も繰り返し観る映画の一本にさせて頂いております。
ただし、一つだけ残念なのは、エンディングの素晴らしい曲が突然終わってしまうことで、その点に関してはくれぐれも残念です。
父親から受け継いだ写真館を営む不治の病に侵されたハン・ソッキュ演じる青年ユ・ジョンウォンと、婦人警官のシム・ウナ(役名:キム・タリム)との純愛が描かれた作品になります。
運命を受け止めたハン・ソッキュは、父親への新しい機材操作の引継ぎ等の身辺整理を考える中、仕事で現像を頼みに来たシム・ウナと深く心を通わせることになります。
しかしながら、ハン・ソッキュが病気入院したことを知らないシム・ウナは、自分に何も告げずに店を閉じてしまったものと思い込んだまま、他の街に転勤してしまいます。
この映画でハン・ソッキュが自分の感情を強く表に出すのはただ1回だけで、あとは淡々と水墨画の様に、自分の人生を受け止めようとする展開には心が揺さぶられました(※2)。
自分以外の人生軌道に、自分の運命が影響を与えないようにと静かに身を引く主人公の姿には、軀が沈み込む様な新鮮な感動を覚えました。
シム・ウナが店の窓ガラスに対するシークエンス、老女のポートレイトを撮影する場面、ラストのハン・ソッキュがシム・ウナを見つめながら窓ガラスを指でなぞる場面等、生きて存在している姿を映し、写す、それらの象徴的で印象深い映像は、ホ・ジノ監督の初メガホン作品に永遠性を与えているのではないかと思う次第です。
(※1)拙ブログでは折に触れて敬愛する文筆家である川本三郎が書かれたものの引用や、川本三郎の新聞記者時代を描いた自伝の映像化作品『マイ・バック・ペイジ』(監督:山下敦弘 2009)の感想を書かせて頂いておりますが、以前感想を書いた『一九才の地図』(監督:柳町光男 1979)のパンフレットや1970年代のジャズ専門誌に寄稿した氏の文章を読むと、作品を捉える斬新な角度と的確な語彙により、映画の核とも言うべき部分を読者に判り易く提示してくれる文章が、約半世紀もの長きに亘ってそのクオリティが維持されていることに感銘を受けます。
映画評論のみならず、北原白秋や林芙美子、そして永井荷風に関する著作や古の風景に想いを馳せるペーソスを伴った詩的な文章には畏敬の念を禁じ得ません。
植草甚一の薫陶を受けて尖鋭的な映像表現の世界を知った学生時代を経て、現在まで映画を愉しませて頂いている生活の中で、常に川本三郎の著書に大きな刺戟を貰いながら数十年の時が過ぎている気がします。
近年成瀬巳喜男の素晴らしさを多くの映画ファンに知らしめた功績がありますが、自分にはそれ以外にもアジア映画や西部劇の奥深さに目を向けさせてくれた恩人でもあります。
神保町の書店のイベントに参加してその姿に間近で接することが出来た時の欣びは忘れられません。
(※2)本作やトラン・アン・ユン監督の作品(『青いパパイヤの香り』<1993>や『夏至』<2000>等)の饒舌の対極とも言える禅画の様な作品を観ると、日本の幾人かの映像作家の諸作を含めたアジア的な映像芸術の存在を意識してしまいます。
単純に物事を括ることは控えるべきであると考えますが、色香や空気感(湿度)等の感覚に働きかける部分でも共通項を感じるからかもしれません。
PS この文章は2018年1月9日に掲載した内容の訂正・追加による再掲載(差替え)です。
§『八月のクリスマス』
§川本三郎著述関連