映画、ジャズ、ミュージカルの評論執筆や東和映画の社員としての多くのポスターやジャズ・ミュージシャンのイラストを描いた野口久光(1909//- 1994//13)は、植草甚一(映画・ジャズ評論)、淀川長治(映画評論)、油井正一(ジャズ評論)、川本三郎(映画・文学評論)、吉田秀和(音楽評論)等の著述と並び、若い頃から氏の文章から多くのことを学んで来ました。

先日、CDショップで野口久光の「素晴らしきかな映画」(晶文社 1992)のサイン本を入手する僥倖に巡り合えましたことから、久し振りに氏の映画に関する文章をまとめて読む機会を得ましたが、氏の豊富な知識と慧眼に多くの刺戟を貰ったことで、この数日は倖せな昂奮の余韻に浸っております。

趣味として自分が映画やジャズに接するようになったのは1970年代半ば以降ですが、ジャズ月刊誌やライナー・ノーツに書かれていた氏の評論は、デューク・エリントンやフレッド・アステアを戦前からリアルタイムでその価値を認めて来た確かな鑑賞力に支えられていたものと記憶しておりますが、それらは決して外連(けれん)味や奇を衒うことの無い判り易い文章で書かれていた様に思います。

そして、この度氏の著作に触れて思ったことは、野口久光の文章には製作者、演者・演奏者に対する敬意が一貫して感じられることです。

鑑賞ガイドの案内人として批評文を書かねばならない立場であったことから、趣味や意にそぐわない作品に対してコメントをせざるを得ない状況は少なからずあったものと想像しますが、その場合でも個人の恣意を感じさせないながらも評論家野口久光としてのコメントが、芸術に対する真摯な文章で綴られていた様に思います(1)。

「素晴らしきかな映画」は交通機関の冊子に連載されていた文章をまとめた監督や俳優について書かれた本ですが、ミュージカル俳優の章ではフレッド・アステア、ジーン・ケリー、ビング・クロスビー、ジュディ・ガーランド、ダニー・ケイの5人が取り上げられております。

そこでは、フレッド・アステアに対するダンサー達の賞賛(2)や、ジャズ歌手メル・トーメに与えたフレッド・アステアとジーン・ケリーの歌い手としての影響、オズの魔法使(監督:ヴィクター・フレミング 1939)でカットされそうになった「虹の彼方に」のシーンをアシスタント・プロデューサーのアーサー・フリードが首脳陣を説得して思い留めさせたエピソードや、自分のことをジャズ・シンガーとは言わなかったビング・クロスビーが畢生のジャズ歌唱をデューク・エリントン楽団と吹き込んでいること(3)、そして戦前ダニー・ケイがコミック・トリオの一員として1ケ月間出演した東京日劇の舞台の模様等が、時代の証言者としての様々なエピソードと共に綴られております。

氏の書いた文章が亡くなられてから多く書籍化されていることに欣びと倖せを感じます。

 

1) カサブランカ』(監督:マイケル・カーチス 1942)に当初ロナルド・レーガンがキャスティングされていたことに関するエピソードに関しては、レトリックに野菜を使った例外的とも言える辛辣な表現が用いられております。

 

2) ジョージ・バランシン、ミハイル・バリシニコフ、マーゴ・フォンテイン、ボブ・フォッシー。

 

3) 「セントルイス・ブルース」(1932年録音 ブランスウィック盤 SP企画表裏両面)

 

§「素晴らしきかな映画」

 

ルイ・アームストロングと↑

左から右:植草甚一、淀川長治、双葉十三郎、野口久光↑

野口久光が描いた大人は判ってくれない(監督:フランソワ・トリュフォー 1959)のポスター(この絵を気に入ったフランソワ・トリュフォーの家に氏から贈呈された原画が飾られていたとのこと)↑