ロベルト・ロッセリーニ監督がまだ大戦の傷跡が残る1945年のローマで撮影した無防備都市は、ドイツ占領下で抵抗を続けたローマ市民の姿を描いた作品になります。


フランチェスコ・グランジャッケ(役名:フランチェスコ)の許で匿ってもらうことになったレジスタンスのマルチェロ・パリエーロ(役名:マンフレディ)は、アルド・ファブリーツィ演じるドン・ピエトロ・ペレグリニ神父に活動資金の輸送を依頼します。

しかしながら、フランチェスコ・グランジャッケとアンナ・マニャーニ(役名:ビーナ)の挙式当日に、秘密警察による手入れが彼等の住居に入ったことで、神の前で将来を誓うはずだった二人は永遠の別離を強いられてしまいます。

連行されたものの同志に救出された神父とマンフレディことマルチェロ・パリエーロは、秘密警察と内通している俳優のマリア・ミーキ(役名:マリーナ・マリー )の許に身を寄せることとなります。

やがて二人はマリア・ミーキの通報により秘密警察に連行されることとなり、彼等はレジスタンス活動情報の自白を強要されることになります。


この映画で、強く印象に残るのは、拷問によって自白を強要されても屈しないマルチェロ・パリエーロと、己の信念に忠実に生きる神父アルド・ファブリーツィの崇高な姿を見たドイツの書記官が、「腐敗した支配者」である同朋達の対照的な姿を嘆くシーンです。

情報によると、この映画を観て魂を揺さぶられたイングリッド・バーグマンが、ロベルト・ロッセリーニに熱を封じた手紙を書いたとされておりますが、そのことが十分理解出来る、イタリアのネオレアリズモ映画の嚆矢として歴史に刻まれる感動作ではないかと思います。

 

PS 本作では当時24歳のフェデリコ・フェリーニが脚本に参画しております。

(監督:山本嘉次郎 1941)の黒澤明、幕末太陽傳(監督:川島雄三 1957)の今村昌平が若かりし日に脚本作業に加わっていたことと同様、ある種の血脈めいたものを感じます。

 

§『無防備都市』