ヴィットリオ・デ・シーカ監督の終着駅(Stazione Termini(1953)は、家庭あるジェニファー・ジョーンズ(役名:メアリー・フォーブス)とモンゴメリー・クリフト(役名:ジョヴァンニ・ドリア)のローマ・テルミニ駅の数時間を描いた作品ですが、自分はこの映像作品を観ていると後のフランス・ヌーヴェル・ヴァーグ期の映画を観ている時の様な肌触りを感じます(1)。

この作品の表題である終着駅(ターミナル)に意味を感じてしまいますが、それは、途中駅・通過駅(ステーション)とはニュアンスが異なる部分が、この作品で描かれる二人の恋愛には相応しい様に自分には思えるからです。

そのことはある意味、私見ながら、デヴィッド・リーン監督の旅情(1955)における、独身のキャサリン・ペプバーンとロッサノ・ブラッツィが演じたヴェネツィアを舞台にした純愛が、生涯の恋愛として描かれていることに通じる部分を感じるからかも知れません(2)。

この映画は、アメリカに家族を置き、一人ヨーロッパを旅行しているジェニファー・ジョーンズがローマで教師のモンゴメリー・クリフトと運命的とも言える恋愛を経験しますが、愛の為に全てを捨てることを諦め後ろ髪を引かれながら彼に別れを告げずに汽車に乗ろうとします。

しかしながら、ローマ・テルミニ駅に来たモンゴメリー・クリフトは彼女の姿を見つけ、ピサで共に暮らすことを強く求め彼女を引き留めようとしますが、家族を想うジェニファー・ジョーンズはモンゴメリー・クリフトから逃げる様に汽車に乗ろうとします。

この映画を観ていると、逡巡の後に家族の許へ戻ることを決意したジェニファー・ジョーンズを、自己中心的かつ一方的に引き留めようとするモンゴメリー・クリフトの若き情熱が描かれますが、彼を心から愛するジェニファー・ジョーンズの揺れる心に、私欲無き献身的な家族の姿や聖職者の団体に接するジェニファー・ジョーンズの姿が映し出され、彼女の揺れる心との共振が生じます。

しかし、反対側のホームに彼女を見つけたモンゴメリー・クリフトが、あわや高速列車と衝突という危険を冒してまで彼女の傍に来たことが、家族の許へ戻ることを決意したジェニファー・ジョーンズの心を大きく揺り戻す転換点(ターニング・ポイント)となります。

そんな二人は、停車中の客車に居たところを見つかったことで鉄道警察に連行されてしまいますが、その際、彼女だけを救おうとするモンゴメリー・クリフトの姿には、決して利己的ではない愛する人への大人の純粋な想いが感じられ、二人の恋愛とその行方に強く惹き込まれるシーンではないかと思います。

旅情と共に、イタリアでの恋愛と強く印象に残るターミナル駅のラスト・シーンが見事に描かれた作品として好きな映画です。

 

1)イタリアのネオレアリズモ映画を代表する監督であるヴィットリオ・デ・シーカの諸作は、そのリアリズムによってヌーヴェル・ヴァーグ期の監督達に影響を与えたとのことですが、恋愛を主題にした本作に自分はフランスのヌーヴェル・ヴァーグ期の恋愛作品に通じる感触や香りを感じます。

 

2)旅情のラストもヴェネチアのターミナル駅での忘れられないシーンでした。

 

PS ある情報によると、本作の脚本執筆に部分的ながらトルーマン・カポーティが携わっているとのことです。あと、イタリア映画の様に思える本作は米国資本による英語の作品になります。

 

§『終着駅』