ロベール・ブレッソン監督が1966年に撮ったバルタザールどこへ行く(Au Hasard Balthazarは、ロバを主役に据えた一見地味さを感じる映画ながら、イギリス映画協会が2013年に実施した世界の映画監督によるオール・タイム・ベストで21位に選ばれた作品であることが理解出来る程、心の奥深くに残像が残る映画ではないかと考えます。

東方の三賢者の一人としてイエス・キリストに乳香を捧げたとされるバルタザールの名を持つロバの運命と彼を取り巻く人間世界を描いた映画ですが、彼に洗礼を施した教師の娘アンヌ・ヴィアゼムスキー<※>(役名:マリー)と農場主の息子ヴァルテル・グレーン(役名:ジャック)、そして不良のパン屋の息子フィリップ・アスラン(役名:ジェラール)達が入れ替る様にバルタザールの持ち主となることで、彼等の人生も断片的に描かれます。

アンヌ・ヴィアゼムスキーの父親がヴァルテル・グレーンの実家である農場の管理業務を引継いだところに、鍛冶屋の使役から逃げ出したバルタザールがアンヌ・ヴィアゼムスキーの農園に逃げ込みます。

そこで、人間であるかの如くアンヌ・ヴィアゼムスキーから愛されますが、そのことに嫉妬した不良のフィリップ・アスランに強引に引き取られ、彼のパン屋で酷使されることになります。

その後、アンヌ・ヴィアゼムスキーの家族は契約上の問題により農場を追われることになりますが、そこにパリでの学業生活を終えた農場主の息子ヴァルテル・グレーンが現れアンヌ・ヴィアゼムスキーに求愛したり、彼女が不良のフィリップ・アスラン達に翻弄されたり、バルタザールが流れ者に働かせられたり見世物小屋に出されたりと、バルタザールはアンヌ・ヴィアゼムスキーの生活の変化の傍らで彼等の世界を見守り続けます。

ロベール・ブレッソンが抵抗(1956)で演劇性を排して追求したリアリズムは、この作品では感情を内に秘めたバルタザールと彼の目線で人間の業(ごう)を前衛的な表現も交えながら、角度と手法を変えて描かれている様に思います。

自身の置かれた環境に耐えて生活するバルタザールやアンヌ・ヴィアゼムスキーの家族に降りかかる過酷な運命が描かれる中、アンヌ・ヴィアゼムスキーが自棄の道へと進む姿と、理不尽な環境から意志を持って飛び出すバルタザールの姿に、自分は尊厳を失わずに生き抜くことへの意味を感じました。

ロベール・ブレッソンは各シーンの説明を限られた映像表現(省略や一部のみを写した映像)で表現することから、複数の人生が描かれたこの作品では、寡黙で抽象的とも言える映像の糊代(のりしろ)部分を用意することで、観客にこの作品への参加を促している様な気がします。

ラストに羊の群れにバルタザールが囲まれるシーンを始めとして、この映画の底流に流れる宗教的なトーンに美を感じる好きな映画です。

 

<※>アンヌ・ヴィアゼムスキーはこの作品の翌年ジャン・リュック・ゴダールの『中国女』(1967)に出演しております。

 

PS 新ウイーン学派のアントン・ヴェーベルンや一部のジャズ・ピアニストの音楽作品の様に、ロベール・ブレッソンは可能な限界まで削ぎ落した簡潔な表現を用いて芸術作品を創る監督ではないかと考える時があります。

この作品では、バルタザールやアンヌ・ヴィアゼムスキーの身に降りかかる過酷な運命が描かれますが、映像ではそれは簡略的・象徴的に表現されております。

蛇足で恐縮ですが、カウント・ベイシー、ジョン・ルイス、セロニアス・モンク等のバンド・リーダー・タイプに多い音符の少ないジャズ・ピアニストのアドリブ演奏を愛聴しております。

 

§バルタザールどこへ行く

アンヌ・ヴィアゼムスキーとヴァルテル・グレーン↑

バルタザールとアンヌ・ヴィアゼムスキー↑

アンヌ・ヴィアゼムスキー↑

羊に囲まれたバルタザール↑