十九歳の地図は柳町光男監督が中上健次の小説を1979年に映画化した作品になります。

この映画で何度も登場するメイン・テーマは敬愛するジャズ・ピアニスト板橋文夫による作品ですが(1)、彼や森山威男(ds)の音楽を愛聴し続けて来た自分にとってこの映画は、観ると瞬時に学生時代にタイム・スリップしてしまう作品です。

この映画は、上京して新聞配達をしながら予備校に通う本間優二(役名:吉岡まさる)が、配達先を描き込んだ手書きの地図に×(バツ)評価を個々の配達先に付け、時に配達先への匿名による非難電話の主となる私的かつ孤独な日常が描かれております。

本間優二は寮の同僚である蟹江敬三(役名:紺野)と彼がマリア様と崇め懇意にしている自殺未遂歴のある沖山秀子(役名:マリア)を、汚れた大人の象徴的存在として忌み嫌うものの、蟹江敬三との子供を身籠った彼女と生まれてくる子の為に、強盗により逮捕されてしまった蟹江敬三と苦悩と共に生き続ける沖山秀子の姿に、行き場の無い憤りを覚えることになります。

この映画は本間優二の憤りの矛先が、人間社会全体となることで駅やガス・タンクの爆破を予告するまで昂まりますが、本間優二の憤りの源泉と対象として描かれる私製の地図から始まった社会の単位が、最終的に威力業務妨害罪に問われかねない程に拡大化するまでの本間優二の感情の移ろいが、原色絵具を塗り重ねるかの様なタッチで描かれております。 

本間優二演じる吉岡は、セピア色の少女写真を飾る「かさぶたの」マリア様や理不尽に親から殴られる泥まみれの子供には否定的な表情を見せませんが、玄関で珈琲とカステラを振舞い彼の苦学を励ます母娘には耐えがたい偽善を感じます。

そのことから、本間優二の憤りの萌芽が映画では描かれない彼の19年間の過去にあることがある程度想像出来るのかも知れません。

この作品が描くものの多くは社会的通念上決して正しい或いは美しいとされるものとは異なりますが、通常イメージする道理や美醜の概念に囚われない、カメラが写し得ない対象の奥にあるものを描こうとしている映画であり、その解釈を個々の観客に委ねている作品ではないかと自分は考えます(2)。

 

1)夭折の名テナー・サックス奏者小田切一巳の数少ない録音作である森山威男の名盤「ハッシャ・バイ」(1978)収録の「ノース・ウインド」、「グッドバイ」(森山威男<ds>、板橋文夫<p>、小田切一巳<ts>、望月英明<b>、向井滋春<tb>)。

 本田竹曠(p)が1974年に録音した「サラーム・サラーム」も奏でられます。

パンフレットの中で板橋文夫は体調を崩した為に書下ろし曲を提供できなかったことを悔んでおりますが、本作の楽曲は素晴らしいと思います。

 

2)雨でぬかるむ道、牛乳泥棒、匿名による暴言、未完の刺青、強盗、未済の借金、虚言、新聞代金の不払い・着服、自殺の傷痕等。

上手く表現出来ませんが、中上健次が愛したフリー・ジャズのアルバート・アイラー(ts)や新ウイーン楽派以降の音楽、ジャクソン・ポロック等の絵画や音楽を含めた現代芸術作品を自分は美しいと思うことがあります。

 

§『十九歳の地図』

 

 

 

 

 

パンフレット↑