フランソワ・トリュフォー監督が1976年に撮ったトリュフォーの思春期(L'Argent de pocheは、邦題に監督名の入った作品として当時の日本の映画界でフランソワ・トリュフォーがチャールズ・チャップリンやフェデリコ・フェリーニの様な別格の存在として扱われていたことが理解出来ます。

冒頭いきなり少女(役名:ローラ・マドレーヌ<フランソワ・トリュフォーの実娘>)の父親役で監督がカメオ出演しますが、ジョリー・ド・ジヴレー演じるパトリック少年を中心に複数のエピソードがオムニバス的に進行するこの作品は、『大人は判ってくれない(1960)で描かれていた自伝的要素の濃いフランソワ・トリュフォー監督の感受性の森に再び足を踏み入れることが出来る作品だと思います。

自分は一般的に思春期というのは急激な軀の成長に心が追い着かない時期ではないかと考えることがありますが、フランソワ・トリュフォーの映画を観ていると、ある人達には思春期とは急激な心の成長に軀(年齢)が追い着かない時期なのではないかと考えてしまいます。

この映画で印象に残るのは、子を授かったばかりの教師ジャン=フランソワ・ステヴナンが、虐待を受けていたフィリップ・ゴールドマン演じる少年ジュリアンの肉親の逮捕という事件を受けて生徒達と真摯に向き合う場面です。

そのシーンで教師は「早く大人になりたかった学校嫌い」の少年時代の思いと大人であることの自由と責任について、目の前の生徒達が当時の自分であるかの様に表現を一切手加減することなく語りかけます。

この作品は少年ジョリー・ド・ジヴレーによる大人の女性への憧れと、ませた友人と行く映画館でのダブル・デートでの所在無い有り様等、思春期の澱の数々がユーモラスかつ繊細に描かれているのも愉しめる、フランソワ・トリュフォー監督による自伝的作品として好きな映画です。

 

§トリュフォーの思春期