今村昌平の1981年監督作品ええじゃないかは、復讐するは我にあり(1979)に続く松竹の話題作として、その製作過程が逐次マスコミに取り上げられていた記憶があります。

復讐するは我にありと次作の楢山節考(1983)とに挟まれているせいか、日本での評価は他の今村作品に比較して余り高くない様な印象がありますが、自分は今村監督唯一の時代劇作品であるこの作品の魅力に強く惹かれております。

この映画の特色としては、幕末の混沌から発生した「ええじゃないか」が潤沢な予算に支えられた映像によって多元的かつ大規模に再現されたことだと思います(1)。

先般、古書店でこの作品の脚本を入手することが出来たので、家宝としつつ折々眺めておりますが、今村監督自身、戯曲家の宮本研と共同執筆した脚本に満足していることが納得出来る、個々の民衆である源流の水滴が「ええじゃないか」という奔流に移ろいゆく様をテーマに据えた作品ではないかと考えます。

江戸の大繁華街であった両国(現在のJR両国駅側ではなく、JR浅草橋駅側の旧両国橋の辺り「東両国」)を舞台にしているところも興味深く(2)、賑やかだった大川(隅田川)端の怪しげで愉しそうな見世物小屋風景はフェデリコ・フェリーニ作品を思わせることから、冒頭からいきなり映像世界に引き込まれてしまいます。

決定稿を読むと、今村昌平監督は設計図に忠実な作家であることが判りましたが、拙宅の再生装置あるいはプリントの具合が悪いのか、ところどころ役者の科白が聞きとり難い部分があるので、この度入手した脚本が頼りになりました。

この作品は、米国に6年漂流していた自由と金と愛する女性を求め続ける泉谷しげる演じる銀二と、土地や男に縛られるのを嫌がる自由奔放な桃井かおり演じる妻イネを主軸に据えた作品と考えますが、新勢力が暗躍する不穏な幕末の空気がこの映画を終始支配しております。

ここで登場するのが旧勢力に生きる武家の緒方拳(役名:古川条理)や琉球の民・草刈正雄(役名:イトマン)の2人で、彼等が「一対一で剣により」新勢力である敵の士族に志を貫きますが、それは新勢力が民衆から募った兵隊により民衆を「無作為に銃で」発砲する映像との効果的な対比となっている気がします。

新旧の勢力や時代の歪に生じたエネルギーの発露である「ええじゃないか」が終盤のクライマックスとなる映像は圧巻ですが、ラストに起こる事件により桃井かおりが、泉谷しげるに真の愛への決意を示す深紅の映像は素晴らしいと思います。

 

1)この映画は潤沢な製作費と緻密な時代考証により、幕末にタイムスリップしたかの様な感覚に浸らせて貰えることでも好きな作品です。

 

2)文筆家の小林信彦の実家がこの両国にあった老舗和菓子店だったことから、往時の両国に関する記述が氏の様々な著書にあります。

 

§『ええじゃないか』