クリント・イーストウッド監督がアカデミー賞作品賞・監督賞を獲った『ミリオン・ダラー・ベイビー』(2005)は、後半からラストにかけての内容の衝撃さにより自分には忘れることが出来ない作品です。
尊厳死が扱われていることから、公開当時は賛否両論だったとのことですが、ラストの可否は観客個人の解釈に委ねられる問題だと思いますので、自分にとって本作がアカデミー賞受賞作に値する映像作品と考えている部分に関し、個人的な感想を書かせて頂ければと思います。
自分がこの作品を最初に観た時は、女性ボクサーのヒラリー・スワンク(役名:マギー)をクリント・イーストウッド(役名:フランキー)が育て上げる前半部と、ヒラリー・スワンクが負傷してしまってからの後半部とでトーンが大きく変わることに驚きを覚えました。
初めてこの作品を観てから、かなりの時間が経過した今でも2つの異なる映画を観たという感覚があります。
コーチングを頼み込むヒラリー・スワンクを拒むクリント・イーストウッドに、ジムで働くモーガン・フリーマン(役名:エディ)が彼女の才能を見出したことによりクリント・イーストウッドがコーチとなり、ボクサーとしてヒラリー・スワンクが頭角を現すまでの展開は、緊張感に溢れたボクシング作品として画面に引き込まれます。
この映画を通して観て思ったことは、家族との情愛が薄い男女にボクシングを通じて初めて芽生えた、父娘・男女といった関係を超えた愛の物語で、もはや彼等以外の人間の理解や解釈を超える次元の絆が存在したのではないかと言うことです。
家族から愛されていない女性と、人への思いが家族やボクサーに上手く伝えられない男性が(※)、言語や仕草などではなく、ボクシングというある種の極限のスポーツを極めることで初めて情愛の交感が成立したのではないかと考えますが、ヒラリー・スワンクの負傷という悲劇も、彼等が到達した情愛の次元を描く作品であるが故の厳しい展開かも知れないと思いました。
この作品は、クリント・イーストウッドの「恋愛映画」の傑作『マディソン群の橋』(1995)に対する、「恋愛や肉親の情愛とも異なる魂の絆」を描いた忘れられない作品として好きな映画です。
(※)育てたボクサーに危険な試合をさせないようにしてきた為に、上昇志向の強いボクサー達は彼の許を去って行った。
PS: 作品中、彼女のリング・ガウンに書かれた「モ・クシュラ」というゲール語のメッセージが象徴的な意味を持ちながら映画が進行しますが、その意味は「私のパルス」=「私の鼓動」=「私の愛する人」(映画では「我が愛する人、我が血よ」)とのことです。
§『ミリオン・ダラー・ベイビー』
→2018年1月に引越し前のブログに掲載していた内容の加筆・再掲載です。


