播磨屋こと二代目中村吉右衛門演じる「籠釣瓶花街酔醒(かごつるべ さとのえいざめ)」 (作:河竹新七)ほど、心が揺さぶられる思いをした歌舞伎は他にありません。

下野国(栃木県)の絹商人、天然痘によるあばた顔の佐野次郎左衛門が絹の商いの帰りに吉原を見物しますが、花魁道中の最中に、贔屓客の居る茶屋に振り向いて微笑んだ八ツ橋(尾上菊之助)を、自分に微笑んだものと勘違いをするところから悲劇が始まります。

これだけで、既に先の悲劇の顛末を予感してしまいますが、案の定、次郎左衛門は、それを機に身請け話が纏まるまで八ツ橋のもとに通いつめることになります。

そこに、引き手茶屋に無心を断られた八ツ橋の養父が、逆恨みから八ツ橋の情夫をそそのかし、身請け話を断るように仕向けます。

そして、それを受けた八ツ橋がそれまでの態度を急変し、満座の中で次郎左衛門に愛想づかしをしますが、次郎左衛門はことの次第が理解出来ずに狼狽します。

この満座で始めのうちは上機嫌だった次郎左衛門が、「自分は何か機嫌を損ねることをしたか?」、「どうして許婚にそのような態度をとるのだ?」、「自分が悪かったのなら言っておくれ」等々()八ツ橋の決意が翻らないことを-心の底では納得出来ないまま-確信するまでの、中村吉右衛門の芝居の流れは鬼気迫るほどで、観ていて息苦しい程のやるせなさに襲われます。

そして一人取り残された次郎左衛門はその哀しみと怒りの為に、破局への展開へと繋がる表情をすることになるのですが、他の役者が演じるよりも中村吉右衛門が最も悲劇的に次郎左衛門を演じているとのことです。

僭越至極ですが、なにか良い歌舞伎を体験してみたいという方がおられたら、是非この芝居をと思わずにはおれません。

 

)実際の科白は違いますが、そのような流れのやり取りです。

八ツ橋も妖艶な女性から、養父と情夫に抗えない性(さが)により悪態をついてしまう女性を、観客に感情移入をさせつつ演じねばなりませんので、かなりの難役ではないかと考えます。

 

PS 歌舞伎の舞台公演をデジタル上映する「シネマ歌舞伎」シリーズとして、故中村勘三郎と坂東玉三郎による歌舞伎座での2012年の籠釣瓶花街酔醒が松竹系のスクリーンで上映されております。

 

→2017年8月に引越し前のブログに掲載していた内容の加筆・再掲載です。

 

§「籠釣瓶花街酔醒」