『駅馬車』(1939)はジョン・フォード監督の傑作として、愛する『荒野の決闘』(1946)、『我が谷は緑なりき』(1941)、『怒りの葡萄』(1940)等の傑作と共に大好きな作品です。
初めて『駅馬車』を観た時に思ったのは敬愛するギ・ド・モーパッサンの「脂肪の塊」に似ていることでしたが、このことに関しては、ジョン・フォード監督がアイデアの源であったと認めているとのことです。
この作品は映画を芸術文化として語る時には、チャールズ・チャップリンの諸作同様とても重要な作品ではないかと思っております。
それは、登場人物の様々な糸が織りなすテクスチャーが見事な作品に仕上がっていることで(※)、それが駅馬車という限定空間と1時間半強という時間枠内で成立していることに感慨を覚えます。
そして、映画というジャンルが表現しうる映像と音によるモンタージュ効果の乗算に次ぐ乗算のモニュメント・ヴァレーの襲撃シーンが、圧倒的な映像として昂奮の谷に引き込まれる様な感覚に襲われます。
淀川長治が邦題を考えたとのことですが、シンプルであるが故に却って作品が格調高く感じられる様な気がします。
個人的にジョン・フォード監督の描くさりげなくも奥深い恋愛表現が好きですが、『駅馬車』では、クレア・トレヴァー(役名:ダラス)の内にあるLADYを見抜いた脱獄囚のジョン・ウェイン(役名:リンゴ・キッド)が、クレア・トレヴァーを常に貴婦人ルイーズ・ブラッド(役名:ルーシー・マロリー)と同等に扱う様に主張するシーンの数々は胸を揺さぶります。
後半、二人は自分よりも相手を思いやるが故の発言や行動をとることになりますが、揺れる恋愛感情による繊細な絡みとジョン・ウェインの仇達の緊張を表現する細かいシーンとが交互に積み重なって、観客を更なるクライマックスに導きます。
個人的に映画史レベルの名作だと思っております。
(※)大雑把で恐縮ですが、登場人物を①~③で括ってみました:
①上流階級3名
→【冒頭から終盤まで③と距離を置こうとする⇒ルーシー(貴婦人<南部の没落貴族>:ルイーズ・プラット)、ハットフィールド(博徒<実は南部の没落貴族>:ジョン・キャラダイン)、ヘンリー・ゲートウッド(悪徳銀行家:バートン・チャーチル)】
②市民3名
→【市民感覚と喜怒哀楽を表現⇒バック(御者:アンディ・ディバイン)、カーリー・ウィルコック(保安官:ジョージ・バンクロフト)、ピーコック(酒商人:ドナルド・ミーク)】
③問題を抱える3名
→【人生の機微を理解している(②の保安官カーリーは③の人格も持つ)⇒リンゴ・キッド(脱獄囚:ジョン・ウェイン)、ダラス(娼婦:クレア・トレヴァー)、ブーン(酔いどれ医師:トーマス・ミッチェル)】
§『駅馬車』