黄昏に飛ぶ | Cogito ergo sum

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方法的懐疑から頭が離れない人のブログ
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これで「ミネルヴァ」を連想する方はなるほどなぁ、そういう方面に詳しいのか。という感じで。

ミネルヴァの梟は黄昏に飛ぶ

とある講義において、余談として話された考えてみれば当然の言葉(意味についてはグーグル先生にでも聞いたほうが詳しそうです)

さて、私の"今"がその梟そのものだろうか。方向を見失う。もはや盲目かもしれない。
ただ、それでも今度は違うと思える唯一の理由は自分の中にとあることについて明確なビジョンがあること。
手段も分からないし、必要事項もよくわからないのだけど。
それでも、ビジョンはある。1年前に目指した答えが出たわけではないけど、出すべき答えは見えているはずである。

そんな夢見る私でも時に苦悩する。決して自分の学びに関する問題でなく、それは人について。
そして、人についての苦悩は非常に退屈で面白くない。

ご都合主義的なロジックに自分が巻き込まれて、気がつけば勝手な都合の歯車の1つになる自分がいるわけで。
それを拒否して、それと戦って、最後に自分を守ってこそヒーロー的な何かだろうか。
学が黄昏に飛ぶと同時に、人もまた黄昏に飛んでしまうのである。

そんな冬の始まり、近づく1年のエンディングに私は何を思い、そして、エンディングにはどんなスタッフロールがあって、続編にどう繋がるのか。
自分自身、少し気が早いがスタッフロールの内容を振り返ってしまいたくなるのである。
黄昏の中の、光であれ、ブラックホールであれ、それはスタッフロールに載るわけである。

さて、私はどれだけの人のスタッフロールに名を連ねるのだろうか。そして、皆さんのドラマのほんの一部について、私はどんな役で登場しただろうか。