コペンハーゲン解釈とか多世界解釈とか | Cogito ergo sum

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方法的懐疑から頭が離れない人のブログ
相変わらず変な記事多目なのはいつものごとく。

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バイトが終わって一息つきながら「今日の夜ご飯、アイスコーヒーで良いか。食後はホットのブラックコーヒーで」とか言ってる自分に狂気を感じてなんとなく普通に(?)食べたクロです。

だいたい哲学者は物理学者だったり数学者だったりして気持ち悪いですよね。
まぁコペンハーゲン解釈とかそれに付随する解釈たちは量子力学の話だったりするのが良い例だったり。
量子力学という分野には解釈問題が付きまとっていて、それに対するものがコペンハーゲン解釈とかです。(多世界解釈はコペンハーゲン解釈と別のものというよりは付随するなにか、またはコペンハーゲン解釈の言い換えというのが一般的な解釈である)

量子力学ではいくつかの状態が重ね合わせ(=同時)で起きていて、そのうちの1つが起こる確率を表現するという手法になっています。
ということは状態を観測するまで(=認知するまで)は状態を1つに確定することは困難で、観測して初めて1つに収束しましたねーということが考えられるよね?って話がコペンハーゲン解釈です。

ところでパラレルワールドなんて言葉はご存じでしょうか?
懐かしいですね、フルメタだったりぼくらのだったり、いや、仮面ライダーディケイドなんてのも捨てがたい。
仮面ライダーディケイドといえばもうG3-XひいてはG4が登場したりしてなんとも俺得な仮面ライダーでしたw
「僕の旅の行き先は、僕が決める」


閑話休題


まぁパラレルワールドって要するに並行世界とか言われてるアレです。
認知するまで世界は確定されず、並行した様々な世界が存在し、人間の認知によって1つに確定される。そして観測者の主観に於いては認知した世界以外を観測することは不可能である。というのが多世界解釈です。と、こうして見るとコペンハーゲン解釈を大げさに言ったらこうなっちゃったみたいな感じが否めなくもないですね(笑)

そんな話を哲学と絡めながら(相変わらずの近代哲学止まりですが)「自分の認知とは何だ」と大げさなテーマについて少し考えていました。
ひょっとするといくつかの状態が存在した中から自分の希望的観測に基づいて選択した認知、つまり自分で造ってしまった世界が今であり過去であり未来なのでは?と

もちろん冗談ですよ。

ただ、少なくとも僕は今ある世界は本当に狭い、自分の認識の上だけのものでしかない。そんな風に考えていて、あわよくば物理法則でもすっ飛ばして広げたいとは思っています。
まぁ無理なんだろうけど。

それにしても近代哲学で止まってはや2年くらい?でしょうか、一向に進めないですね(笑)
「哲学なんてのは常識を小難しく述べただけ」そう考えても中々難しいものです。そろそろ勉強の仕方を変えた方が良い気がしますね。

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全然関係(わけでもない)けど僕が4,5年前くらいに読んですごく楽しいと思った本。数学についての難しい知識なんてよりは冗談話のつもりで読むくらいが良いかもしれないです。ただ、少しだけ数って面白いのかも、なんて思えるはず。

では。