えっと、ちょっと真面目に書いてみようと思うクロワッサン黒川さんです( ̄▽+ ̄*)
『後期流産』で検索して、こちらに来て下さった方もいるようなので、その方の為に。
あっ、通常の読者の方、華麗にスルーして下さって結構ですよ。
いつものクロワッサン黒川さんモードじゃないので、ちょっと恥ずかしい(//・_・//)
では、始めます。
流産、死産って、とっても悲しい事だと思います。
予定日間近に死産になってしまう方もいるのですが、その辛さは、計りしれません。
私が18週(正確には17週6日)で後期流産した時に思ったこと、感じたことを書かせてもらいます。
本当に真面目に書きますよ(^▽^;)
通常、『うまれる』と考えるのは、出産だと思うのです。
だから、無事に生まれないといけないと思ってしまう。
私は、お腹に宿った時からカウントしてもいいんじゃないかと感じました。
受精、着床した時からでもいいんじゃないかと。
映画、『うまれる』では、長い間不妊治療を経験された後、産まない選択をされた方がいらっしゃいました。
その方は、自分が勤める病院に凍結卵をもっておられましたが、それを自分の分身、我が子のように考えておられたので、それもアリだと思いましたが。
流産した頃、何か答えが欲しかったんですよね。
だから、いろいろと流産死産の掲示板を放浪?してました。
ココに検索でたどり着いた方も、もしかすると同じなのかもしれない。
で、後期流産後に、私が何を考えていたのか、あの時の私ってどうだったのか…。
その時に放浪していた掲示板、まだあったんですよ。
現在も運営されている感じだったんでそこへ行ってみて欲しいです。
あっ、そこに勇気の言葉っていうカテゴリーがあって、そこに当時私が書いたコメントがコレ。
生と死は、対極のものではない。
人間はみな、産声を上げた時から、死へ向かう。
でも、命の営みは、母親の胎内に宿った時から始まっていると考えると、産声を上げた時からではなく、受精卵として着床した時からだと言える。
流産、死産となり、産声をあげる事のなかった子も、立派に命を生きたのだと思える。
命それぞれに使命があるとしたら、生きた期間で計らなくてもいいのかもしれない。
例え、数週間という命であっても、お母さんに何かを伝えるという使命を全うできたとしたら…。
お空に帰っていく子供たちは、きっと笑顔なんだと思う。
ただの空想かもしれない。流産したことを、納得する為のごまかしかもしれない。
でも、どんな出来事も、とらえ方次第では、次へのステップになる。前を向いて生きていたら、きっといい事がある。
あっ、なんかクサイですけど…
ハズカスィ~(///∇//)
で、他にもこんな投稿してました。
これ、長いので、その掲示板に飛んで読んできて下さい。
お手数掛けます。
ハンドルネーム ありがとう です。
http://babylion.boy.jp/ryuzanexp21.htm (マンガ流産のベビーライオン)
このページの一番下でなが~くコメントしてます。
うん、私が言いたいのはね、流産死産は、絶対、お母さんのせいじゃないんだよって事。
赤ちゃんが決めてきていることなのかも…。
もしくは、途中で考え方変わったとか…。
下見とかね。(うん、中には慎重な子もいるようなので)
流産死産で苦しんでいるお母さん、自分の何がいけなかったなんてことはない。
絶対にない!!
沢山泣いて、ご主人や掲示板、どこでもいいから誰かに話しを聞いてもらって下さい。
えっと、こちらのメッセでもいいです。
そしてね、それをし終わったら…
赤ちゃんに想いを馳せて下さい。きっと何かコレ!っていう直感みたいなもの。あると思います。
すぐに出ないかもしれません。
私も、これかも?って思うまでに3ヶ月かかってます。
誰かの言葉かもしれない、本の一節かもしれない。
直接メッセージを受け取れなくても、感じ取れなくても、何かの形でピンと来るものがあると思うから。
沢山泣いたら、笑顔を見せてあげて下さいね、お母さん(*^▽^*)