広く響くものの心意気は一致している | ☯電影☆歌謡♪趣味★旅☆彡

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歌はどんな時も力になってくれると信じ、歌や歌手についても語っています♪
アニメ・ゲーム・スポーツ等趣味についてもたまに書いています★
遠出好きで自然や動物が好きで中でもうさぎが大好きです☆彡

最近自分がオカシイ。よくわからない。

 

こんなことに気づけたきがしたよーということをつらつらと。

 

記憶だけで書いてるので、こういう事があった・こんな事仰ってたという部分に記憶違いがあるかもしれませんがご了承いただけましたら幸いです、ご指摘頂けたらありがたいです↓おじぎ↓

 

面白くないので興味ない方はぜひスルーで☆元々面白くないから大丈夫!という心優しき方がいらっしゃったら感謝です・笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

古いモノが好きなだけで先進的なモノに惹かれることが少ないのは、自分の頭が古いのだと思っていましたが、

 

そのズレがあちこち色々と繋がった気がしました。

 

現代にも惹かれるモノも勿論ございます。目に見えないモノ、その人自身が見せない部分の心意気です。

 

観る機会がなくても表現自体から心意気が伝わり、観る機会があればその心意気が一致しているなと、最近気づきました。

 

昔も今も惹かれる方々に共通しているのが、各々の役割を全うしようとする真っ直ぐな心意気。

 

昔の人は大変な思いをされているから熱が凄いとかではなく、今は昔より便利な世の中だから冷めてるでもなく、

 

心意気で魅せることに古い新しいは関係ないと思えました。

 

 

 

朝ドラのブギウギが見事に体現してくださっていました。

 

淡谷のり子さんの別れのブルースは、霧の彼方から聞こえてきそうな哀愁のオペラのような静かな迫力に圧倒されます。

 

厳しい方というイメージしかなかった彼女でしたが、茨田りつ子さんを演じられた菊地凛子さんも厳しさを見せつつお茶目な艶やかさがあり、気品と哀愁を帯びた素晴らしい歌唱でした。

 

淡谷さんの魂を感じる体現力に、お空で辛口仰られつつも微笑まれてるのではと、拝んだ事のないご本人の笑みが浮かびました。

 

羽鳥善一先生の夢があって愉しくて心地良い音楽たち。歌について考えるようになって制作者を確認するようになりましたが、服部良一先生が作られたと知っては驚きつつ、音楽が、歌が、とにかく好きでたまらないんだろうなと納得の音楽たちでした。

 

少し前に先生と三人の歌姫特集を観ました。

 

ブギウギでは既に出会われていた先生とりつ子さんだったので、描かれてない部分での淡谷さんの一面が新鮮でした★失礼な言い方になりますが、ああ~彼女も人間だったんだなと・笑

 

歌手として歩まれ始めた頃は軽やかな歌を歌われていた淡谷さんでしたが、先生に別れのブルースを勧められた時に、こんな歌は歌えない、音域が合わず喉が潰れてれてしまう、というようなお話をされていて(お言葉はなまら変ってます↓おじぎ↓)、

 

ブギウギでは、茨田君は喉を潰す覚悟で歌ったよというような事を、それが当たり前かの如くイイ笑みで仰った先生でしたが、特集では淡谷さん結構困惑されてたやん!と思いました・笑

 

様々なエピソードや貴重な映像がありましたが、番組を見返せないので多くを語ることはできません。だた感じたのは・・・・

 

歌に込められた想いと歌い手の歌心が合致していた・お三方それぞれの魅力をちゃんと見抜いておられてそれを活かされていた・見せない部分での自身らの困難と共に人々へ制作者として歌手として各々の役割で希望を届けようとされていた。

 

歌唱から感じていた見せない部分との心意気の一致でした。

 

違うと思った部分もあります。それは想像以上だったこと。

 

込められた想いを知らずに聴いても響いてくる歌たちに、制作経緯などを想像するのですが、答え合わせをした時にその経緯の大変さが想像以上で、ご自身らも困難な中での心意気に、やっぱ凄い!という気持ちと今じゃできない覚悟だなと思わされます。

 

で、ふと考えたんです。

 

その時代による理不尽を身をもって知ることはできないし、したくもないけど、想像することはできるのでは?と。

 

戦争・貧困・災害などわかりやすい理不尽が想像でき、それらは現代でも近いか遠いかの違いだけで今も深刻性は変わりない。日常の沢山の理不尽に自分も周りも辛い。形が違うだけで痛みを抱えていない人はいない。そう思うと今の時代も辛い事が沢山。

 

その時代の名曲を今の方が歌い継がれる時、そんな世の中へ希望を!という広い寄り添いの姿勢で歌と向き合って頂けたら、先駆者の方々の心意気と共に歌い継がれていくのではと。

 

またこの話?となるかもしれませんがまたこの話・笑(逃げてー)

 

歌について考えるようになって、最初は素直に楽しめていましたが、気づけば昔と今との伝わってくるモノの温度差にもどかしくなっている自分がいて、いなくなればいいのに今もいます。

 

考えるようになったきっかけは母でした。完治することの無い病と付き合っていくしかありません。併発した合併症もあり日常生活も介助が必要で、趣味だったこともできなくなりました。

 

そんな日常の中で救いとなっているのが、画面をただ眺めていればいいだけの心を動かす娯楽たちです。

 

身体がキツい時、病院で理不尽な事があった時、私ができることなんて微々たるもので無力です。そんな時には、治せずとも病を和らげてくれて、解決の難しい問題にやり場の無い気持ちを忘れさせてくれるのが、テレビで心意気を伝えてくれる方々です。

 

最近でしたらブギウギ!趣里さん演ずる福来スズ子さんが毎週何を歌われるのかがいつも楽しみ♪スズ子さんや周りの方々も軽快にコミカルで温かくてチャーミングで元気もらえます!!

 

一話で東京ブギウギの歌唱を聴いた時は失礼ながら、この歌はこんなにキレイに歌う歌じゃないのに・・と少し残念でした。

 

物語が進むにつれて知ってる歌は勿論知らない歌も、まるで笠置シズ子さんの魂が宿られたかのように素晴らしくなられていきました☆彡そして改めてお聴きできた東京ブギウギ。

 

一話の歌唱力とは格段に違った印象を受けました。聴き比べてるわけじゃなく記憶を頼りに書いてるので、もし同じ音源だよーとなればそれは私の耳と感性の問題で申し訳ございません・汗

 

歌唱音源とパフォーマンスが別々なのが勿体ないとは思ってしまいすが、あれだけ激しく動かれながらの大変さを考えるとドラマとしては最良の手段に思い、何より歌手を本業としない方が短い期間であれ程の歌唱をされること自体凄いことだと思います。

 

歌唱が変ったと感じたのは、先生宅へ乗り込んでラッパと娘を歌う場面。狂気的な振る舞いで心のままにぶつける歌唱に、先生をコロすつもりで歌いました、と本気のヤる気が素直に伝わってきたのが面白くて凄いな~と♪ラッパと娘の歌い出しの通り、楽しいお方も悲しいお方も聴く人全てを魅了してくれました☆彡

 

趣里さんの受け取り方が素直で見事なその体現力に、笠置さんの心意気をきちんと受け取られてらっしゃるんだなと感じました。元々お持ちの技量や周りの支えなどもあるとは思いますが、それでも趣里さん自身の努力は大変なものだったのではと。

 

趣里さんや菊池さんは役者を本業とされてるからこそとはいえ、聴かせられる程の歌唱力を身につけるにはそれ相応の努力や生まれ持ったセンスが必要で、努力の部分には更なる労力と時間が必要と考えると、お二人の凄まじい役者魂を感じました。

 

そんなお二人はその辺の歌手より歌手でした。現代を生きるお二人が歌でここまで魅了してくださることができるなら、今の歌手もその人その人の歌との向き合い方次第で、名曲に感じる心意気も継いでいくことができるはずではと思ってしまいました。

 

で、先駆者の方々と同じ痛みや想いを知らずとも想像できるのでは?という話に戻るのですが、聴いた自分はこう感じたから聴く人にもこうなってもらいたいと想像することができたら、先駆者たちの想いを自然と受け取ることで心意気も共に歌い継いでいくことになり、表現がもっと豊かになるのではないでしょうか。

 

受け取り方は自由です。解釈や歌い方が違ったとしても自分の中でその歌のメッセージを感じられたなら、それは先駆者の意図しない所で伝わる嬉しい解釈に思いますし、聴く人に届けたい心意気が同じなら、その方ならではの魅力で伝わります。

 

作らず飾らずその歌が伝えたいことを素直に伝えてほしい。技術が上手いに越したことはないのでしょうが、伝えたい何かが感じられないのは自身の中に何も持っておらず歌が伝えたいことに耳を貸していないのかもしれません。音が多少外れても声が出にくくても心を動かす何かが伝われば、その方は歌手だと思います。

 

母のような痛み、形が違っても誰もが抱えている痛み、人それぞれ理不尽な何かに打ちのめされそうな時、心意気を感じられる歌唱を広く聴くことができたなら、その方のファンもファンじゃなくても関係なく全体が元気になっていくのではと、聴く人を選ばない音楽や歌唱で魅了してくれたブギウギに思いました。

 

 

 

歌について、身をもって知ることができない痛みでも想像し向き合うことで表現が変っていくのではということ、歌へ込められた想いを知らずとも伝わる何かは、想いを知った時には夢を見せる側も想像以上の困難の中最高の夢で魅せる寄り添いを感じ、

 

歌への想いを知っても知らなくても心意気は一致していることに最近気づいた、ということなどについてここまで書きました。

 

もう色んな番組がありすぎてありがたく頭パンク状態(笑)書きたい事が追いつきません。ただ、その一致に気づいた時に、それは歌に限ったことではないことにも気づきました。(先は長し)

 

 

 

例としてやはりブギウギ!生瀬勝久さん演ずるタナケンさんもエノケンさんの素晴らしさを教えてくれていました。見えない厳しさ・魅せる楽しさに、喜劇作りに真面目で、計算されているとは思えない自然さで周りも観客も笑いへ引き込む力凄し!!

 

笑いを共に作り上げる仲間へ愛ある厳しさで背中を押してくれ、本番でどうなっても受け止めてくれる信頼感があり、何か問題が起きたとしても責任は自分が全部取るという懐の深さなど、

 

同士たちへの愛・何が何でも観客には笑って帰ってもらうという信念・仲間を守る為なら犠牲も厭わないという偉大さと信頼関係を感じ、榎本健一さん自身脱疽の再発による右足切断後にも舞台へ立ち続けたという彼に、笑いへの強い信念と心意気の一致が。

 

エノケンさんの多くを知るわけではありませんが、ドラマ通りの方と考えるなら、笑いの力を理解されていて、本気で遊ぶ為に真面目な方で、笑いの計算に優れた喜劇者とお見受け致しました。

 

ドラマではスズ子さん自身気づかなかった彼女の笑いの才を見抜き、歌の力も認め時に支えてくれた喜劇王タナケンさん。共に喜劇をされたり歌われた場面での弾けた睦まじさもお気に入り♪

 

今作に観る歌の指導者が羽鳥先生なら喜劇の指導者はタナケンさんで、歌や喜劇などその道の方々が、自身では気づけなかったかもしれない魅力も含めて力を発揮できたのは、頼もしい指導者の方々がいてくださったことも大きかったのではと思いました。

 

昨年ちゃんと出会えた喜劇者がもう一人、マイケル・ホイさん。

 

日本では一作目としてヒットしたMr.BOO!ミスター・ブーは、労働者の苦労や不平等な対価への風刺で、身近な問題を自身が笑われることで面白おかしく笑い飛ばしてくれました。そんな共感力とマイケルさんたちの力量が広く楽しまれた作品に思います。

 

その後の作品でも様々な問題を皮肉って笑い飛ばしてやろうー!という笑いの裏側には寄り添いを感じられる名作ばかりで、今の社会問題にも通じるものがあることに色褪せない名作たちです。

 

ファンもファンではない方も誰もが安心して楽しめる名作の中、一際異彩を放つ天才とおバカ。重みのある題材への取り扱い方に広く知られるのは難しい内容と判断されたのか、長らく日の目を見ることのなかった作品で、私も初見は直に受け取ると正直これはちょっと・・・と思ってしまった部分もある作品でしたが、

 

彼のその後の作品を観ていく内に場面の重要性関係なく笑いを散りばめる隙のなさに、いつでもどんな時でも笑っていてほしいという想いを感じられ、そんな彼が天才とおバカでは何故あのような手法をとられたのかと考察してみたことで、脚本の裏に彼からの大きなメッセージ性を感じました。(以下個人的見解)

 

そのメッセージ性を伝える相棒として、彼の弟サムさんの歌と共に読み解いていくとよりメッセージ性が見えやすく思えます。

 

OPで妙なアニメと共に流れる捻くれた主題歌に、ヤバい人ヘンな人など色んな人がいるから気をつけよう受け入れ合おうという精神性を感じられ、その奇妙さにチャーミングなおかしみが♪

 

精神患者たちの異様なお祭り騒ぎに差別無き高揚感が、共に流れているユーモアに包まれた歌に生きてく上でのお金の重要性が、欲まみれの二人を滑稽とでもいうかのように、夢は時に眩しく時に儚く、大切な物は求めずとも側にとそっと教えてくれる歌。

 

そして改めて主題歌天才與白痴の歌に物語を見ると、上記の精神性も解釈の一つとして考えられますがさらに感じたのは・・・

 

形が違うだけで誰もが痛みを抱えた同じ人間・欲は自然な事で皆可愛い滑稽な人間という、違う人だけど皆同じ人間だよと解釈した時、インテリ道化師の真骨頂を見た気がしました。

 

作品内容を素直に受け取ると、患者を笑いものにしているように見えてしまったり主役二人が根っからの小悪党感に、万人に受け入れられるには難しい作品には変わりないかもしれません。喜劇観るのに考察してたら気楽に愉しめませんし・笑

 

患者を笑い者にして自身らを悪者にしてまで何故この作品を作ったのか、笑いへの愛に溢れた彼が観ている人をただ不快にしたかったとは到底思えずこのような解釈に至り、

 

人の多様性と人間の平等性へのメッセージ性を感じられ、タイトル通りなら天才もバカも変らないということなのではと思いました。(勝手な解釈の為真実はわかりまへんよー)

 

喜劇に意味はなくてもいいと思います。実際になんの意味も無いただただくだらない笑いに長けてるのもマイケルさんです・笑

 

ただ、喜劇者でありながら自身らの力で笑かしてやろうという人が見当たらない現代に何も惹かれるものがないのが疑問で、喜劇をせずイイ思いしかしてないからだったんだなと。

 

食べて美味しい景色が綺麗、それは当たり前のことであり、どんな味かどう綺麗なのか、そこにせめて喜劇者らしいにユーモアがあれば、身近な物でこんなに遊べるって凄い!てなるでしょうし(なるかな~)、ただの旅番組が誰もが笑える旅番組になるのではないでしょうか?(旅番組にそこまで求めんでも・笑)

 

要は、喜劇者が沢山いるはずなのに、誰もが自然と笑える番組はなくなってしまったんだなーと。感銘を受ける喜劇者に笑いの心意気を習おうと思えば、便利な世の中を利用すれば幾らでも可能なのに、偉大な方々の笑いへの心意気が継がれていないと感じ、先駆者云々ということを置いといたとしても、役割とは関係ない所での活躍に喜劇者である意味を感じられず残念です。

 

私は現在に至るまで喜劇への道をことごとく避けてきた人間で、周りにヒントがあったのに気づかず、笑いの力が救いになることを知らず、無知だったのでそれ以外のことばかり観てきました。

 

便利な世の中を利用してやっとちゃんとホイ兄弟と出会い、笑いの力の凄さを教えてもらいました。彼らについての日本語での情報は少なく、彼らの特集番組があるわけでもないので、作品から感じ取るしかありませんが、そんな彼らの印象とは・・・

 

マイケルさんは人の悲しい顔をどーしても見たくない人、リッキー・ホイさんは誰が見ても一発で覚えられるユニークさと奥深く素直な歌唱で和ませてくれる人、サミュエル・ホイさんは耳に残る創作性やその音楽のままに聴かせる歌唱力が饒舌な人という、

 

それぞれ突出した彼らの魅力にファンが虜なのは勿論ですが、喜劇者・演者であり歌手・歌手として各々の役割を果たされているから、観る人聴く人を選ばない名作になられたのではと。

 

彼らの作品や歌の制作経緯を知る術を私は持たないので、少ないプライベート情報から、当時の中国情勢に伴う困難を考えると大変な苦労をされたのではと想像し、その苦労と作品から感じた彼らに、見えない部分での心意気の一致を感じました。

 

エノケンさんやホイ兄弟のような時代による理不尽を身をもって体験して下さいとは思いませんが、やはり想像してほしい。悲しい顔をしている人がいたら、笑ってほしいと思ったなら、喜劇者としての役割で広く活気づけて頂けたらと思うこの頃です。

 

 

 

スポーツはジャンルの好みが分かれても広く知られる方もいますね。大谷翔平選手は野球ファンじゃなくても誰もが存じてる方ではないでしょうか。最近ご結婚されましたね、お幸せに☆

 

私が好きなのはフィギュアスケートとバレーですが、それぞれで広く知られている方となると、フィギュアでは羽生結弦選手・バレーでは石川兄妹選手ではないでしょうか。

 

スポーツはそのスポーツが好きなので、それ以外の彼らを余り知りませんが、広く知られる要因として、結果を出していることや結果と技術が伴っているのは勿論ですが、スポーツに対する熱意が抜きん出ていると見受けられる部分も考えられます。

 

北京オリンピックで4Aへ挑まれた羽生選手。誰もなしえていない偉業への挑戦に夢を見せてくれました。当時の身体の状態を考えると不可能かもしれないと思っていても、彼ならやってくれるかもしれないという希望と真っ直ぐな姿に勇気を頂けました。

 

この挑戦以外にも技術練習でのスパルタさ、表現に見る芸術性の素晴らしさ、氷上での選手たちと気さくな接し方や称える姿勢、インタビューや会見に見える感謝の気持ちや謙虚さ、言葉の選び方から気遣いも感じられるお人柄も優しい方に思います。

 

プロ選手となられてからも衰え知らずのジャンプ力やどう楽しんでもらえるかというプロデュース力も発揮され、変らぬどころか寧ろレベルアップされている実力と様々な分野へ挑戦された芸術性に、彼の変らぬスケート愛と周りへの感謝の気持ちを感じ、見せない奮闘と魅せるショウという心意気の一致でした。

 

バレーは石川真佑選手を先に知り、強打軟打を織り交ぜたバリエーション豊かで時にミラクルを起こすアタック力・崩して上等の強烈なサーブ力・後方で待ち構えてはピンチを救う広い守備力など、抜群のバレーセンスに魅了されました。彼女自身が凄いはずなのに、お兄さんの名前がちらつくのが彼を知らなかった時はちょっとイヤでした。(お兄さんは悪くありません・汗)

 

お名前だけの情報にどんな凄い人?と、無知だった私が魅了されたのは東京オリンピックで敗北したブラジル戦でした。

 

メダルを取ろうと考えた方はいたのだろうか・・・そんな中で彼はそう考えていたのではと思う場面が。第三セットのあと少しで勝敗が決まる劣勢の中、もの凄い威力のサービスエースを二本決めてくれました。諦めて無かったとも思いますが、先の未来を見据えての宣戦布告として爪痕を残したんだなと感じました。

 

奮闘の末敗戦したブラジル戦はただの敗北ではなく、石川選手の志の高さと彼に引っ張られる選手たちにまだまだ強くなる未来を感じ、その熱意通りにどの選手も同じ志のもと実力を磨き、年々強くなられていると実感し、ついに五輪切符を実力で獲得!!女子はこれからですが、獲得してくれると信じています★

 

そんな兄妹を地上放送でたまたま拝めました。

 

10の的に球を幾つ当てられるかという勝負で、兄妹の静かなる負けず嫌い感なコメントにちょっと笑いました(笑)お互いに冷めてるようで認め合ってるんだなーと素敵なご兄妹ですね♪

 

球数による勝敗で石川兄選手の勝利でしたが、兄妹揃って10ステージコンプリートは流石だな~と!安心の実力とただならぬモノをお持ちの真佑選手、笑いながら本気の実力を見せる祐希選手。

 

バレーが好きという熱意も伝わってきますが、試合以外での発揮力にも驚きました。元々の器用さもおありでしょうが練習量も相当なものではと。海外でも闘える力や試合での活躍も考えると、見せない努力と魅せるプレーとの心意気の一致でした。

 

ジャンルを絞って書きましたが、大谷選手・羽生選手・石川兄妹選手それぞれのスポーツへの真っ直ぐさに、各々の選手としての役割で、プレーで熱狂をという心意気を感じられる方々に思い、その真っ直ぐな熱意には、そのスポーツが好きでも関心がなくても心打たれ、彼らが広く知られる要因ではと考えます。

 

そんな彼らの頑張りに放送さえちゃんとして頂けたら、誰もがふと目にする機会があった時には、そのプレーに自然と皆で繋がれるのにと思うのですが・・・広い放送がなかなかないですね。

 

大谷選手は地上ではニュースでよくお見かけしますが、試合の放送はBSやスカパー、羽生選手のショウも希に地上もありますがほぼスカパーか約一年遅れのBS放送、放送のある女子バレーに比べて男子バレーは放送無になる時もあり、男子バレーの認知が遅れたのはこういう不平等もあったからではと思いました。

 

こういった方々の地上放送があれば、ろくでもない○会やバラエティの乏しいバラエティ番組より全然活気づけられるのにと思うと、今の放送の不平等性が残念でなりません。妙な番組よりスポーツを放送した方がと思う位、彼らのプレーには力があります。

 

 

 

ブギウギをお借りして歌・喜劇とスポーツについて書いてきましたが、表現の仕方が違うだけで魅せようとする心意気はどの道の方々も同じに感じられ、そのことに古い新しいは関係なく、その道に対して本気だから惹かれたのだなと思えました。

 

見せない部分での想いを知らなくても心は動き、知ることができた時には響いてくる心意気は一致していると最近気づきました、と書いてきましたが、ただ書きたかっただけでした。(は?笑)

 

そんなに楽しみたいなら自分好みの選択をして勝手に楽しめばいいじゃんて思いますよね、自分でも思います・笑(何じゃそら)

 

好みの推しもちゃんとおり、映画の入口はジャッキーで、彼を含めた香港時々台湾映画が好きですし、歌の入口は松原健之(たけし)さんで、彼を含めた歌心を感じる方々が好きです。

 

それでも広く伝わる事にこだわったのは、表裏の心意気の一致を多く感じられない歌や喜劇に、広く伝わる方々のような一致も想像し向き合えば現代でもムリではなく、その一致を試みてほしいと考えたからに思います。スポーツは一致しており放送次第。

 

書いても仕方ない独り言のような事を書く時は、いつもなら何らかの理不尽に気持ちをぶつけたくて(バレー放送無とか名曲のカバーにショックとかフィギュア放送無とか)その熱で書いていましたが、今回は書こうと思ってませんでした。(無責任・拳)

 

常日頃思ってはいても書くつもりはなく、じゃあ何故?と考えた時、自分で楽しい事ができない人が身近にいたこと・目にしたブログでの心痛む出来事・政府や災害による理不尽など、

 

そういったことを考えた時、自分ができることは殆ど無く無力でした。好きな事を暢気に書いてるだけですし、面白いことを書けるわけでもないつまんないただの一般人です。

 

自分にできることが限られてるとしたら、広く世を元気づけられるものってなんだろうと考えた時にやはりテレビでした。私が好むだけの番組でも母が好むだけの番組でもダメ、その道へ進まれた方々に役割を果して頂いて、広い放送があればと思い至ったのだと思います(どこか他人事になってしまっとる・・)。

 

ここで書いても仕方ありませんが(汗)熱がないのに書かずにいられなかったのは・・・最近頭がオカシイんです。(オイ)

 

こうなればいいのにということを考えてはいても書こうと思ってないのに、頭の中でずーっと言葉が流れ続けていて、眠れなくなったり目の前の事に集中できずボケっとしたり、

 

生活に支障をきたすようになっていました。二ヶ月位前から書いてるただの自己満な熱意を込めた日記も書いていて、それもオカシくて、ブログは大体夜にたまに昼に書くのですが、

 

昼にウキウキで書いてた自分の文章を夜の自分が余計なことは書くなと言わんばかりに消しやがります。夜の方が時間があるのに昼にしか書けないから全然進みません、熱はあるのに。

 

で、その進まない中でそっちに集中したいのにこの日記に書いたような言葉たちが邪魔してくるので、書きました。(何じゃそらパートⅡ)書き始めたら減っていって今は落ち着きましたが。

 

語れる場所を提供してくださっているAmebaさんには気づけば十年以上もお世話になっており感謝です↓おじぎ↓深々

 

何をしたかったのか自分でもよくわからん日記になってしまい、長々読んでくださった心優しい方へも感謝↓おじぎ↓(深々)もしこういった自分でもどうしよもない不思議な体験をされた方がいらっしゃいましたら、この状況や対処方法などを教えて頂けるとありがたいです↓おじぎ↓助けてくれー

 

書き終えてみて、痛みを抱えてない人なんでいないのだから、広い寄り添いの心で世の中み~んなが活気づけられていけばと切に願います☆彡(キレイに纏めたつもりにしやがった・蹴)あ、明日から(もう今日でした)のブギウギに新たな人物が!?それはもしや・・?!これからも今作の先行きが楽しみです~♪

 

頭ヤバいかもしれない独り言にお付き合いくださり感謝ー★