心配性も捨てたもんじゃないよね。 | 多発性骨髄腫MGUSとくすぶり型の真ん中で~

多発性骨髄腫MGUSとくすぶり型の真ん中で~

かかりつけ病院で医師に進められて受けた血液検査で異常が見つかり、精密検査の結果MGUSと多発性骨髄腫くすぶり型の際どい間であることが判明。
これからのためにも備忘録代わりとしてここに書いていきたいと思います。

昨日はちょっと毒を吐いた
裏ブログを綴ってしまった笑い泣き

でも、経験したことやそこで感じたことを記しておきたかった。

母は、
しばらくは週単位での
経過観察。
その後は2週間おきの経過観察。
それで大丈夫なら、
月単位での経過観察。

毎週の病院での検査は、
きっと大丈夫なんだろうけど、
でも、検査数値を見る時はドキドキする。
心配性なヘタレな私がいつも顔を覗かせるショボーン

当の母は、
待ち時間黙々と編み物をしてるウインク
さすが母。

こんなに能天気な母なのに、
私はなぜこんなに心配性で泣き虫で
キャパが狭いのだろう??

でも、子供が小さい時私が心配性でよかった。
下の子が本当に体が弱くて
風邪ひいてこじらせて、咳が止まらなくて、
でも、かかりつけの小児科医は
「大丈夫」だと言う。
いやいや、これは絶対になんか違う!
そう思って、
紹介状なしで大きい病院に飛び込んだ。
主人は、
「心配しすぎだ。先生の言うこと信用したら。」と。
でも、レントゲン撮ったら
「片肺潰れてますよ。どこの小児科にかかってたんですか?」と言われた。
ほら、やっぱり!
そのままにしてたら絶対に大変な事になってた。
無気肺。
そのまま、三週間入院。
大きい病院に行ってよかったと心から思った。

その次は、
高熱を出した息子。
インフルエンザを疑い病院で検査。
結果は陰性。
でも、でも、これはインフルエンザに違いない。
夕方まで様子を見ていたら、
息子が急にピクっ!となる。
えっ?!
これ何?
息子はこの時3歳。
苦しそうな息子に向かって
「きついやろ?大丈夫?」って
言いながら涙が出てしまった。
それを見ていた息子は
小さい手で私の手を握って
「お母ちゃん、心配しなくても大丈夫だよ。」
と言ってくれた。
多分これは一生忘れないと思う。
その後も
ピクっ!という変な動きをしたので、
やっぱりおかしい。
と思い、もう一度息子を抱きかかえ病院に走る。
その時も主人は
「先生はインフルエンザじゃないって言ったんやろ?そんなに心配しなくても。」
と言ってた。
病院で診てもらったけどまたまたとにかく様子を見てくれと言われた。
もどかしくて仕方なかった。絶対に何かおかしいのに。そう思い、
お会計を待っている時に息子が意識を失った。
そのまま再度診察室へ
すると痙攣し始めた。
もう、何が起こったかわからなくて。
先生は痙攣止めを注射して私にこう言った。
「ご自分でK病院に連れて行かれますか?それとも救急車呼びますか?」と。
私は一瞬固まった。
この先生何言ってんの!?
救急車やろ!!と。
即座に
「救急車呼んでください!!早く!!」
と叫んでしまった。
救急車の中で息子の呼吸停止。
唇はみるみる紫色になっていく。

息子が処置室に運ばれて、蘇生処置を受けているのが出入りしている救急隊員や看護師さんの間から少しだけ見えた。
あの時は
息子は死ぬかもしれない。
と、真剣に思った瞬間。
誰かれ構わず
「息子は大丈夫なんですか?」と聞いてしまってパニクっていると、
知らないご婦人が
私に
紙コップに入ったお水を差し出してくれた。
「お母さん、しっかり。とにかくこれ飲んで落ち着いて。」って。
今でもこの時のことを思い出すと涙が出てくる。
あのご婦人のことは忘れない。
知らない方なのに壊れそうな私を助けてくれた。
感謝しても感謝しきれない。

何とか息を吹き返した息子はそのまま意識が戻らないままCT検査。
結果はインフルエンザ脳炎。
あの時、病院にいてよかった。
家で意識を失っていたら間に合わなかったかもしれない。
この時も自分のかなりの心配性に感謝した。

何だか思い出して書いてたら長くなってしまった滝汗

家族の中に、
能天気な人がいたり、
心配性な人がいたり、
それでいいんだって。話し(^^;)
それできっとバランスが取れてるんだと思う。
あと、周りがなんと言おうと自分が感じた直感的な変化や気付きはこれからも信じていようと。
なんだかまとまりのないブログになってしまった笑い泣き
あっ、死にかけた息子も今では元気な大学二年生。
一人暮らし頑張ってますラブ