表記の話15──「違和感」「異和感」〈1〉〜〈3〉 | tobiの日本語ブログ それ以上は言葉の神様に訊いてください

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日本語アレコレの索引(日々増殖中)【10】
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mixi日記2013年07月18日から
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1907450065&owner_id=5019671

●表記に関する話 お品書き
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=50340503&comm_id=1736067

「違和感」か「異和感」か。
 これは単純な表記の話と考えるべきではないかも。
 一般的な表記は「違和感」。用字用語集の類いも、辞書の大半もこちらにしている。だからと言って「異和感」は間違い、などと断言すると単なる無知になる。

 まず、「違和」と「違和感」をWeb辞書でひく。今回は事情があって、『大辞林』をひく。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&stype=0&dtype=0&dname=0ss&p=%E9%81%95%E5%92%8C
================引用開始
いわ[ゐ―] 1 【違和】

[1] 身心の調和が破れること。
  ―を覚える
[2] 雰囲気にそぐわないこと。
→違和感
================引用終了

http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&stype=0&dtype=0&dname=0ss&p=%E9%81%95%E5%92%8C%E6%84%9F
================引用開始
いわかん[ゐわ―] 2 【違和感】
周りのものとの関係がちぐはぐで、しっくりしないこと。
  ―を感じる
================引用終了

『大辞泉』の記述もほぼ同じ「違和」の説明なんかどちらかがパクったとしか思えないほど似てる。大きく違うのは、『大辞林』が用例で「違和感を感じる」を出していること。「違和を覚える」なのに「違和感を感じる」にする理由がわからない。
 こういうホニャララな話は食傷気味なので、あまりかかわりたくない。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10104949720

 ひとつ注意してほしいのは、元々「違和」は「体の不調」を表わす言葉だったらしいってこと。そこから派生して「雰囲気」の食い違いなどに使われるようになったらしい。これが「違和感」になると、なぜか「体の不調」とは関係なくなる……このあたりは多分に推測です。
 ネットで検索すると下記がヒットした。
【『異和感』 と 『違和感』 どちらを使ってますか?】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1089923065
================引用開始
レセプトの正式な病名で異和というのがあります。一般的には違和かもしれませんが(変換しても違和になりますし)、医療用語としては異和でしょう。
================引用終了

 医療の現場では「異和」「異和感」が一般的らしい。「違和/異和」が元々「体の不調」と関係したことと関係があるのかないのか、当方には判断できない。

『大辞林』と『大辞泉』は採用していないが、下記は「異和感」の表記を認めている。 
wablio
http://ejje.weblio.jp/content/%E7%95%B0%E5%92%8C%E6%84%9F
================引用開始
違和感
読み方:いわかん
異和感 とも書く
================引用終了

 当方の個人的な話をすると、個人的な文章で「異和感」と書くようになってもうウン十年もたつ。元々何で見たかは覚えていない。当時、辞書を何冊かひいて、「異和感」の表記は一般的ではないが間違いではないことは確認している。
 ちょっと屁理屈をこねると、「違う」わけではないけど、なんとなく「異様」で、「異常」「異状」を感じるから「異和感」のほうがシックリくる。もちろん、一般の用字用語集に類いは「違和感」になっているから、フツーの仕事では「違和感」を使う。
 ネット検索すると、まじめに調べている人がいる。
 一番信用できそうなのは下記だろう。
【「異和感」に「違和感」を覚える】
http://d.hatena.ne.jp/hiiragi-june/20090819

「異和感」を使う識者は多いらしい。そのこと自体にはあまり意味はない。よほどの人物が明らかに意識して使っているのでなければ、なんの根拠にもならない。
 ネットの書き込みを見ると、村上春樹は「異和感」と書くらしい。だから「異和感」もアリ、なんてことは言えない。それは芸術文の話だから。
 いろいろな言葉遣いなどに関して、森鴎外や夏目漱石が使っていたからアリなんて論調も目にするが、個人的にはそういう考え方には賛成できない。それも芸術文の話だから。まあ、あの時代なら文豪を根拠にするのもアリなのかなぁ、って気もするけど……。
 現代なら、辞書や新聞を調べるほうがよほど確かだろう。
〈文化庁の『言葉に関する問答集 総集編』にも「『いわ感』と言う場合の『いわ』という語はすべての辞典で、漢字表記を『違和』としており、『異和』としたものは一つもない」と明言している〉らしい。いったい何百の辞典を確認したら、「すべての辞典」なんて書けるんだろう。この本は2005年の発行のはず。
 ウーン。当方の記憶では昔の辞書で見たんだけどなぁ。
〈『新明解国語辞典』(三省堂)が1989年発行の第4版になって初めて「異和感、とも書く」と記述し、今の第6版でも踏襲されている〉とのこと。文化庁、しっかりしろー。
〈『日本国語大辞典』第2版(小学館)も「違和感、異和感」の二つの表記を並列して掲げ〉ているって。Wikipediaによると、初版は1972年12月 - 1976年3月発行で、第二版は2000年12月 - 2002年12月。文化庁ダメダメじゃん。
 注目したいのは《注1》。
================引用開始
《注1》 日本語の専門家ではないが、宮本真巳・東京医科歯科大学大学院教授は、あるサイトで、「対人関係にズレがあって生じる不快感を辞書では違和感というが、私は、こうした生理的・身体的な感覚を、辞書で誤用とされる異和感という表記を用いている」と述べている。
================引用終了
 この人の主観だとすると、あまり意味がない。「医学界では異和感が一般的」と書いてくれれば、ある程度の意味があるのにー。

 いろいろ調べた結果↑のサイトにたどりついたと記す下記のブログはおもしろい。こういうのを「大恥」とは言わない。書き手の態度の潔さには清々しいものを感じる。
【大恥をかいた話ー他の人のブログに驚きました】
http://ameblo.jp/muridai80/entry-11405238509.html
 貴重な記述がある。『日本国語大辞典』初版には「異和感」は立項されていないらしい。ということは、「異和感」は比較的新しく認められた表記らしい。
 o( ̄ー ̄;)ゞううむ
 当方がウン十年前に見た辞書はなんだったのだろう?



【「表記の話」のバックナンバー】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2902.html

【20140522追記】
 文中の〈文化庁の『言葉に関する問答集 総集編』にも「『いわ感』と言う場合の『いわ』という語はすべての辞典で、漢字表記を『違和』としており、『異和』としたものは一つもない」と明言している〉の根拠が抜けている。
 mixi日記にコメントをもらった下記なのかもしれない。
http://seisaku.dip.jp:8080/BLOG/archives/2013_3_18_501.html

 下記が詳しいだろう。
【ことばのメモ帳】
http://uratashima.seesaa.net/article/23416219.html
 そうか。『言葉に関する問答集 総集編』は1995年なのね。そうなると、『日本国語大辞典』の話はズレるのかもしれない。
================引用開始
2006年09月07日
「異和感」の人々―百姓読み、誤字(2)
何故かしばしば、「違和感」「違和」ではなく「異和感」「異和」という表現を使う(使いたがる)識者があって、それがやや気になるときがある。以下にその二例を挙げる。

ところで、なぜ日本人は、「日本人とは」「日本文化とは」と問うのか。おそらくそれは、問う側が、日本人であることと、また日本文化に対して、異和をもつからである。異国の地で日本人に出会った時、親近感と同時に、嫌悪感をもつという意識は、この異和感に生じている。日本人であることに異和をもつということは、日本語に対して、日本人は、いくらかしっくりこない部分、奥歯に物が挟まったほどに異和感を抱いているということである。(石川九楊『二重言語国家・日本』NHKブックス1999,p.5)


ぼくはマルクス主義的な発想や党派の唱える革命論には最初から異和感があったので…(p.27)
自分が何に動かされ、何を願望し、何に異和を感じ、…(p.30)
すなわち社会にたいする異和感や正義感(中略)のありようも、…(p.33)
(以上、小阪修平『思想としての全共闘世代』ちくま新書2006より)

あるいは「異和感」「異和」というのは、そのようなタームが実在し、さらにそれを広めた人があるために、特定の世代が好んで使うようになった表記ではないかと私は考えているのだが(もちろん誤解に基くものもなかにはあるだろう)、一般的な表記はもちろん「違和感」「違和」である。しかし、この「違和感」が日本語として使用されるようになったのは、ごく最近のことであるらしい。

「いわ感」という語が国語辞典に見出し語として採録されるようになったのは、昭和五十年辺りからであり、それまでは、「いわ」という語しか見出し語としては採録されていなかった。この「いわ」も、『和英語林集成』の各版にも、『言海・日本大辞書・日本大辞林・帝国大辞典・日本新辞林・ことばの泉(本冊)』など、明治二十年代・三十年代に刊行された辞典には採録されていない。ようやく、明治四十一年刊の『ことばの泉 補遺』に至って採録されている。(中略)これまで見てきたところからも分かるように、「いわ感」と言う場合の「いわ」という語は、すべての辞典で、漢字表記を「違和」としており、「異和」としたものは一つもない。また、歴史的仮名遣いでは「ゐわ」である。(「異和」であれば、歴史的仮名遣いでも「いわ」であるはずである。)
しかし、この「いわ」から派生した「いわ感」が、新しい意味(「その場の雰囲気に浸り難いこと」「他との調和がとれないこと」「何となくしっくりしないこと」「場違いであること」等の意―引用者)を伴って日常語化し、多く用いられるようになるにつれて、誤って「異和感」と書き表す場合が目につくようになった。
(文化庁編『ことばに関する問答集【総集編】』大蔵省印刷局1995,p.168)

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(以下コメントによるご教示)
森岡健二・柏谷嘉弘・宮地裕・糸井通浩・小林千草といった国語学者が使っていますね。 柄谷行人・百目鬼恭三郎・桂米朝・鶴見俊輔 なども。 なお、『最新日本語読本』の最終頁。
================引用終了



【表記の話15──「違和感」「異和感」】 〈2〉辞書

 Web辞書の珍妙な記述に関してはいろいろ書いてきた。もしかするとイチバン驚いた話かもしれない。イチバンではないかもしれないが、ビックリ度は高い。
1087)【やっぱりWeb辞書は嫌い〈2〉】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1919435396&owner_id=5019671
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2919.html

 まず、〈1〉でひいた記述を再掲する。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
================引用開始
いわ[ゐ―] 1 【違和】

[1] 身心の調和が破れること。
  ―を覚える
[2] 雰囲気にそぐわないこと。
→違和感
================引用終了

http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&stype=0&dtype=0&dname=0ss&p=%E9%81%95%E5%92%8C%E6%84%9F
================引用開始
いわかん[ゐわ―] 2 【違和感】
周りのものとの関係がちぐはぐで、しっくりしないこと。
  ―を感じる
================引用終了

『大辞泉』の記述もほぼ同じ「違和」の説明なんかどちらかがパクったとしか思えないほど似てる。大きく違うのは、『大辞林』が用例で「違和感を感じる」を出していること。「違和を覚える」なのに「違和感を感じる」にする理由がわからない。
================引用終了
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 さっき別件で『大辞林』をひいて唖然とする。
http://kotobank.jp/word/%E9%81%95%E5%92%8C?dic=daijirin&oid=DJR_iwa_-030
================引用開始
いわ【違和】

①身心の調和が破れること。 「 -を覚える」
②雰囲気にそぐわないこと。 〔「異和」と書くのは誤り〕 → 違和感
================引用終了

http://kotobank.jp/word/%E9%81%95%E5%92%8C%E6%84%9F?dic=daijirin&oid=DJR_iwakann_-010
================引用開始
いわかん【違和感】

周りのものとの関係がちぐはぐで,しっくりしないこと。 「 -を覚える」 〔「異和感」と書くのは誤り〕
================引用終了

「違和感」の用例を「―を感じる」から「 -を覚える」にかえたのは正解だろう。そんなホニャララな例を出す理由はない。
 それにしても〔「異和」と書くのは誤り〕〔「異和感」と書くのは誤り〕ですか。
 ぜひ根拠をあげてもらいたいもんだ。
 何通りかの表記がある言葉に関して〔~と書くのは誤り〕と書くのは相当度胸が必要よ。
 たとえば「雰囲気」を「ふいんき」と読むのは誤り、とは書ける。「ふいんき」と読む理由はないし、そんな読みを認めている辞書はない(あったりして)。
 しかし、〈1〉で見たように「異和感」という表記はソコソコ広まっているし、採用している辞書いくつかある。それを「誤り」と決めつけるのは辞書の仕事なんだろうか。
 トンデモ異説は猿でも書けるが、辞書がこういうことを書くとは思わなかった。



【表記の話15──「違和感」「異和感」】 〈3〉辞書
http://dic.nicovideo.jp/a/%E9%81%95%E5%92%8C%E6%84%9F
==============引用開始
違和感(いわかん)とは、生理的、心理的にしっくりこない感覚。周囲の雰囲気にそぐわず、食い違っている印象を受けること。また、普段と様子が違うこと。不自然なさま。
概要
一般に「異和感」と書くのは誤り。ただし、一部の辞書では両方を併記している。たとえば、『大辞林』では誤りとされているが、『新明解国語辞典』では表記ゆれとして記載されている。『言葉の作法辞典』では「異和」という言葉が無いことから誤りとしている。
また、「違和感を感じる」という表現に違和感を覚える人もいる。「頭痛が痛い」「馬から落馬する」のような、重言と考えられるため。しかし、重言は意味が重複した表現のことであり、違和感はあくまで感覚そのものを意味する(感覚として“感じる”ことまでは意味していない)ため、「違和感を感じる」という表現は一概に間違いとは言えないとの意見がある。また、非難するのはやや衒学的であるという意見、慣例的に許容されているとする意見もある。とはいえ、無用な非難を避けるなら、「違和感を覚える」「違和感がある」「違和感を抱く」「違和感が生じる」などの別の表現を用いた方が良いかもしれない。
また、違和感に近い表現として「コレジャナイ感」がある。期待していたものとどこか違っている、そんな少し残念なニュアンスを含んだ言葉である。
==============引用終了
『ニコニコ大百科』の記述だからいい加減……などと決めつける気はない。
 ただ、この書き方はメチャクチャ。
「一部の辞書では両方を併記」していたら、〈一般に「異和感」と書くのは誤り〉とは言えないでしょ。
 しかも、一部でない辞書は「誤り」と明記しているのだろうか。むしろそちらのほうが少数だと思う。ある表記のしかたは「誤り」と決めつけるにはちゃんとした典拠をあげるべきだろう。〈『新明解国語辞典』では表記ゆれとして記載されている〉ものがどうして「誤り」なんだろう。
 一般的な表記ではない、とは言えるかもしれないけど、「誤り」とは言えない。
〈『言葉の作法辞典』では「異和」という言葉が無いことから誤りとしている〉ですか。複数の国語辞典が認めている表記に関して、『言葉の作法辞典』が「誤り」としているから……というのが典拠になるの?
 それはむしろ雑学事典の類いだと思うけど。
〈「異和」という言葉が無い〉なんて何を根拠に(笑)。「違和」という言葉を「異和」とも書くはずなんだけど。

 これに「違和感を感じる」「異和感を感じる」は重言か、という話をからめると、話は限りなく迷走する。
【違和感を感じる 違和感を覚える 違和感が生じる 違和感を持つ 違和感がある】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2748.html