「真言(大乗)思想」はインドの実存哲学で、西洋を超えている。

 

       この両界曼陀羅図は「言語の成立原理」を図式化したものである。

 

 

           金剛界曼荼羅      胎蔵界曼陀羅

         こんごうかいまんだら   たいぞうかいまんだら

          言語の法則を描く     言語の誕生を描く

 

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野村玄良の歳時記(復刻版)  

『UFOに本当に遭遇した、科学談義

 

 

この映像はネットから発見した画像で、筆者の遭遇と酷似(距離・高さ・UFOの大きさ)しているので、参考資料として使用させていただいたもの。勿論、周囲の景色は全然異なります。

 

筆者の見た天体です。これはあくまでもイメージ画像で、もっと色彩が多様で、色が変動し続けていて非常に美しいものでした。中央の部分がもっと小さかったように思います。音はしませんでした。突如姿を現し微動もせずに、約1分ほど輝いて、私にg極彩色の光の粒を帯状に波状的に発射してきました。これは私へのアプローチだと感じました。私の体は震えて涙が止まらなくなりました。やがて突然暗くなって姿が消えました。場所や遭遇の事情など、詳細説明はここでは控えさせていただきます。

私は宇宙人からアクセスされた人間で、実はひそかに或る影響を受けているのではないかと考え込んでしまう事がありますが、マル秘にしておきます。

 


UFOに遭遇した者の科学談義


 空間に浮かんだ円盤状の巨大な未確認物体を、間近かで見たことのない人は、このような話は信用いたしません。証拠の写真でもあればいいのですが、単に『私は見た』と言うだけでは誰も失笑するだけで、真面目に取り合ってはもらえません。だから私が高校3年生の12月2日の夜に見た、今から69年も前の空に浮かぶ巨大で美しい円盤状の物体の話は、母親とアメリカで生活している次男以外には、話したことはありません。

 

 アメリカの国防省が4月27日、海軍が撮影した「謎の空中現象」として3種類の画像を公開しました。そのうちの一本では画面中央で円盤状の物体が、2分強の映像の中で飛行しているように見えます。「なんてこった」「回転してるぞ!」などと驚く声が、撮影中の軍人からの声として記録されています。

 

 この映像は物体との距離が遠く確認が不明確なところが気になりますが、私が見た物体は写真のイメージ合成画像のように極彩色で数百メートルの近距離で間近かに見上げることが出来ました。戦慄が走り、あまりの美しさに涙があふれてなりませんでした。ちょうど祖母の葬式が終えてから初7日の夜の10時ころのことでしたから鮮明に記憶しております。

 この画像は正確ではなく、実物はもっと複雑な動きのある色彩で絶えず色の変化をさせていました。中央部の白く光る箇所はもう少し小さかったかもしれません。
 当時においては、このような未知の未確認飛行物体は知られておらず、話題に上ることはありませんでした。今日においては未確認物体の情報は世界中で多数報告されていますので珍しい話ではありません。
 今頃、こんな昔の体験を持ち出しても耳を傾けてくれる人は居ないでしょうが、こんなあり得ない話は他人には絶対しない方が身のためだと母からきつく口止めされていましたので、兄弟にすら話をすることを差し控えていました。

 この巨大で優美な物体は遠くから飛来してきたものではなく、突如私の頭上で姿を現わし、静止したまま1分間ほど微動だにもしませんでした。宇宙船と言うような飛行・浮遊する物体ではなく、ちょこまか動かない軌道上の月のような天体という感じがしました。消えるときは移動はなく、忽然と姿を消して暗黒の空間だけがそこに現れたように感じました。

 

 火の玉を見たという話は、当時たくさんありましたので、その大きなものが現れたのかとも思いました。事実火の玉は、その後3回も目撃し、そのうちの3回目の物体は異常な物体でした。、

名古屋市昭和区の町中を、黄昏(たそがれ)の時刻にゆっくり走行中の、自動車運転中の出来事でした。助手席の同乗者ともどもはっきりと近距離で、車を停止させて、つぶさに目撃をしました。

それは、美しいブルーに輝く直径80センチほどの大きさの浮遊物体でした。伸び縮みを絶えず繰り返して空中を飛行してきたのち、道路わきのコンクリートの電柱にまとわりつき、下に垂れ下がりましたが、数秒ほどで姿を消してしまいました。火の玉と呼べるような形態ではありませんでした。まるで青白色の「水飴・みづあめ」のような物体に見えました。火の玉を見た人は、この話を信じると思います。

 

このように同乗者がいれば幻覚ではないことを証明できますが、写真を撮らない限りは唯のお話で終わるので、存在の証明が困難な話は、この辺りで停止します。

 

 

              ◆科学のはなし◆


 科学の条件とは何か。
 科学とは、具体的事象とそれを統一する普遍的な法則について、客観的な真理を認識し、またそれを応用する体系的な学問であると説明されている。

 

 この説明は科学と技術を統合した説明になっているが、本来応用技術は科学とは異なる存在で、関連はするけれども科学とは別個の存在と見なすべきです。


 ◆自然科学は同一条件で反復実験をしてデータをとり、それによって因果性を確定する。  
 ◆自然科学は、再現性にあり、それに基づいた論理構成の実現を可能としなければならない。その学問領域での新発見の報告論文の適格条件は、発見に至る方法が他の人にも再現を可能とする内容で説明されているか否かで判断される。つまり、その発見に至った方法を使うと、他者においても同等のデータや結果が得られるという条件のことだ。


 科学の分野を大別すると、自然科学と人文科学の二つに分けられる。
 理科学系の科学が構築してきた因果論的な説明のネットは、量子物理学から、遺伝子工学、進化生物学にまで繋がりを持っており、全ての自然科学は普遍的で合理的に統合化を推し進めつつあるかに見える。
 ひるがえって文科系は、人間の本性の問題を扱う領域で、自然科学とは異なる領域であると考え、思弁を用いて一定の形式化を計ろうとする疑似科学的な展開に明け暮れてきた。


 理系であれ文系であれ、科学は本来、現象に対して「如何なる故か」を問い、存在に対して「何故それが存在するのか」が問われ、同時に「存在する要素」が「如何なるものか」が問われる。
 科学は、思弁を排除し客観性が保証されねばならない。そのためには科学の論文は間違いの無い「論理」にしたがって実証に基づく論証が行われねばならない。
 実証において実験の材料や条件、そして実験の結果が正確に記述されて、誰でもがこれを「追試」出来なければならない。以上が科学の条件となり得るものであろう。

 

 歴史を紐解くと、古代ギリシャにおける科学は人間の夢とロマンから誕生した「知識のための知識」という「純粋科学」であったことが判る。科学の萌芽期においては、科学技術がもたらす利益を最初から追求する今日的な科学とは異質のものであった。

 

 ◆言葉の科学とは何か。
 人文科学の分野の多くが実験による実証ができないために、「科学」の名称を与えることに批判的な論者もいる。そういった論者は人文学という名称のほうを好む。人文科学における、研究方法の一つの主要な柱は文献学的方法であり、解釈の論理的整合性だけが研究者の主張に妥当性をあたえる。ただし、分野によっては実験や観察、統計もまた人文科学の方法として使用される。
また、人間の研究のうちでも特に人間行動にかかわる分野を行動科学と称し、別個に学問の分類に加える場合がある。この場合、教育学、心理学、社会学、宗教学などは人文科学でなく行動科学に分類される。これは学問手法による分類でなく、学問の目的・対象による分類である。

 

● 話がここでぶり返す

 

 未確認飛行物体(みかくにん ひこうぶったい、英: unidentified flying object、UFO)とは、その名の通り、何であるか確認されていない(正体不明の)飛行する物体のこと。
 その正体は航空機など既知の人工物体や、遠方のサーチライトや自然物(天体・雲・鳥など)の誤認も含まれうるが、略称のUFOは「エイリアンクラフト」(宇宙人などの乗り物)という意味で使われることが多い。

 

◎参考までに、筆者の次男(シリコンバレー、26年在住、コンピュータサイエンス・メカトロニクス開発技術者)が、アメリカから送ってくれた「未知なる世界のお話」に関わる様々な本をここで紹介致します。

 

◆アセンションの時代[path of empowerment ](バーバラ・マーシニアック著/風雲社)
◆プレアデス かく語りき (バーバラ・マーシニアック著)
◆アセンションミステリー 上・下巻(ディヴィッド・ウイルコック著)
◆ワンネスの扉(ジュリアン・シャムリア著)
◆ラー文書(ドン・エルキンズ及びカーラ・ルカート及びジム・マッカーティ)
◆セスは語る(ジェーン・ロバーツ)[seth speaks]
〔魂が永遠であることの記述〕 ●この本は1972年発刊以来、世界に影響を与え続けている歴史的名著である。

 

 これらの本は、頭を柔らかくしてくれるミステリアスな異次元の哲学として楽しむことが出来ます。科学では解けない世界が、現実に目の前に存在していますからね。それを具体的に言えば「ミツバチと花の関係」です。植物には目鼻や耳はありません。その花が、ミツバチに蜜を与えて種の存続と繁茂を続けています。植物は、ミツバチが蜜を食べること・空を飛ぶこと・甘いものが好きなことなどをどのようにして知ることが出来たのでしょうか。これは誰も説明が出来ないでしょう。神様のせいにしますか、それとも宇宙の超越的存在者の宇宙人のせいにしますか。


 人気絶頂の人工知能は残念ながら、開発途上の未熟者で、コロナウィルスの対策に、プラス対応が全く出来ませんでした。

 新型コロナがはびこると、これまで毎年のように広がるインフルエンザが遠慮したかのように姿を見せませんでした。ウイルス同士で「出番」の会話でもしているのでしょうか。
 ◆不思議なことだらけのこの世界で、UFO遭遇の話を頭ごなしに否定することなどできないと思いますが、いかがでしょうか。

 

 筆者の「素語理論」は長い時間をかけて構築したものではなく、一瞬のひらめきで「日本語の意味の世界の成立原理」を完全な形で、その全貌を知覚することが出来ました。そのヒントを与えてくれたものが真言密教の「胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅」でした。あの世から空海が私の耳元で「2つの曼陀羅をよく見なさい」と、ささやいてくれたからです。このお話は少し長くなるので、今はここまでとさせていただきます。

     
 私の著書


◆日本語の言語科学 日本語の成立と意味の「解」(アマゾン・キンドル/昨年12月出版)〔野村玄良著/22世紀アート出版社〕  
◆「日本語の意味の構造(文芸社)学術書認定」各大学図書館に納入。
◆是非ご覧ください。

 

 

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日本語のメタ言語記号


                          著・ 野村玄良


 

◆実存哲学の「実存」とは何か

 

 哲学の定義=モノゴトの存在理由を・科学的・原理的に、その「解」を要素または意義素で定義することである。その定義式は「意義素』で構造的・科学的に「要素還元手法=定義式」で明らかにすることである。 

◆つまり「存在に対する普遍的な認識」を成立せしめる要素的な基本原因である「因子」であるこの世に具体的に存在するもの(実存体)とは一体何か(認識を言語化するものとは何か)を究明することが実存哲学の目的である。だから具体的で普遍的で不動真理を持つモノ、すなわち「存在の解を有するモノ =/analogiaentis/ アナロギアヱンティス(存在の類比・物=意義素=アナロゴン)=主観と客観の統合体 = 曼陀羅」を、明らかにしなければならないのである。


「意義素」とは、モノゴトに対する「形態認識」を構造的に成立せしめる言語素材のことである。主観と客観を統合する作用を表出するモノのことである。

 

音節語に付与された意義の素材である「人体部位の素語」の「あ=主体・く=口・は=歯・ほ=頬・ま=目・た=手足」の普遍的認識素材を言語基盤体に系列的に構造化させて和語の言語基盤体として編成された歴史的仮名遣いの「50音図」の「声字・しょうじ=一音節語」と「上代特殊仮名遣い:こそとのもよろ・きひみ・けへめ」の乙類(母音調和語)を合計した「48+13=61」の総計が日本語(和語=外来語の入らない伝統的な日本語)の「素語・ソゴ」という。これこそが日本語の意義素(メタ記号)であり和語の意味を構築する言語基盤体である。

この理解と言語に対する成立原理が理解できないと、日本語の意味文法を理解することが困難となる。

 この「意義素」という人間の世界認識をラングに機能化させることを可能にする認識素材の普遍的存在物こそが「実存体・ジツゾンタイ=身体部位」なのである。世界を主体的にそして客観的に同時的・包括的にその存在対象を意義素で構造的に意味に仕立て上げる言語素材が「アナロゴン=人体類同代理物=実存体」である。この構造化の仕組みこそが「和語の意味文法の原理=「要素還元的な言語の意味の成立原理」なのである。

「意味」は「意義素=61個の一音節語=素語:ソゴ」によって意味が構造化せれるので解体が可能となる。これこそが「意味の解」である。この科学的原理こそ「メタ記号の基本原理学=言語科学=メタ記号学=素語理論」である。


 

「実存哲学」と「素語理論」
 

 「何故、それが、その様に、存在しているのか」の「問:疑問」に対して、明確(科学的・論理的・要素還元的)にその回答の「解・カイ」を明らかにする学問が「哲学」である。

これを具体的に言うならば「言語は、なぜ、そのように、出来上がって、存在し、使われ」ているのかを明らかにすることである。

 

 最新の哲学と言われながらも、サルトル(著:存在と無)やメルロポンティ(著:知覚の現象学)で挫折を余儀なくされてきた「実存哲学:existentialismus()」の行き詰まりは、「自己の身体」の在り方の探求方法、つまり一体的主体認識である筈の、主観と客観の認識分裂が原因となっているのである。

 

  ◆「意義」と「意味」は階層が異なる。

  1,意味を構造化させている要素的存在が「意義素」である。

  2;意味の世界は「地平」に存在し「述語の世界」で目に見える世界である。

  3,意義の世界は「地下」に存在。

  4.「形態素」とは「モノゴトの形・モノゴトの性質・動き・機能・形式という、形態:ケイタイ=スガタカタチ 」が「モノの意義」である。

  5,例「ま=目の形態」〔語例:まゆげ・まなこ・まつげ・まぶた・まる・的・やま・しま・こま・うまい・まったり〕


 

  上記の単語を分解して定義する。

 まゆげ・ 「ま=目の形態:まなこ・まつげ・まぶた・まる・的」+「ゆ(母音調和語)=い+う=射る+屈曲の形態:弓」+「け(乙類)=き+え:消え/kye/目に見えない形態:毛はやがて消える・禿げる」

 まなこ・  「ま=目の形態:まなこ・まつげ・まぶた・まる・的」;「な=なよやかな形態:菜・人体のあな・泣く・波・なめる・なす」l+「こ(甲類)小さな形態:子・娘・卵などの形態」

 まつげ・  「ま=目の形態:まなこ・まつげ・まぶた・まる・的」+「つ=液体の形態:津・つゆ・つめたし・つかれ・つきる・唾・津波」+「け・乙類:消える形態:毛」

 まぶた・  「ま=目の形態:まなこ・まつげ・まぶた・まる・的」+「ふた・蓋」

 的・まと・ 「ま・目・円形」+「と(甲類)=線引きの形態:砥石・とぐ・戸・となり」

 やま・  「や(母音調和語)=い+あ=射る+主体の形態:矢」+「ま・円形」=円錐形」

 しま・  「し=下に存在する形態:石・足・尻」 +「ま・円形」

 こま・  「こ(甲類)子・娘・卵などの形態」」+「円形」=「小さな回転体」

 うま・ 「う=屈曲した形態」+「目」=「にっこりした目の形」

 まったり・「目」+「たり・垂れる」=目じりが下がった形態。


 

          ◆「素語の意義素」の定義式

 

「あいうえお順に列挙」

 「あ=吾・主体」

「い=尖りの形態」

「う=屈曲した形態」

「え=選ばれた形態」

「お=押す形態」

「か=堅固な形態」

「き(甲類)=切る・消る・見えない形態」

「く=口の繰り返す形態」

「け(甲類)=異常なる形態:けやに」

「こ(甲類)子・娘・卵などの形態」

「さ=斜め下へ進む形態」

「し=下に存在する形態:石・足・尻」

 「す=すりぬける形態:巣・砂・空く・すすむ」

「せ=背の形態:迫る・焦る」

「そ(甲類)=上に高く上がる形態:それる・空・十」

「た=手足の形態・たたく・たすける・たつ・足袋」

「ち=小さな形態:ちび・塵・イチゴ・散る」

「つ=液体の形態:津・つゆ・つめたし・つかれ・つきる・唾・津波」

「て=手の形態」

「と(甲類)=線引きの形態:砥石・とぐ・戸・となり」

「な=なよやかな形態:菜・人体のあな・泣く・波・なめる・なす」

「に=粘土の形態:丹・煮る・膠・兄・似る・埴」

「ぬ=ぬるりとした形態・沼・ぬすと・たぬき・ぬれる・ぬかるみ」

「ね=見えないところで活動する形態:根・寝る・姉」

「の(甲類)=傾斜した土地:野・軒」

「は=歯の形態:歯・端・羽・葉・橋」

「ひ(甲類)=平らな形態・日・光・昼・ひら・ひれ」

「ふ=触れる形態:降る・振る・吹く・拭く・付す」

「へ(甲類)=減る形態:凹む」

「ほ(甲類)=膨らんで大きくなる形態:頬・帆・稲穂」

「ま=目の形態:まなこ・まつげ・まぶた・まる・的」

「み(甲類)=見事な形態:見る・耳」

「む=躍動する形態:むらきも(心臓)・叢雲・村」

「め(甲類)=雌・牝・女性・召す」

「も(甲類)=盛り上がった形態:モモ・森・餅・燃やす」

「や(母音調和語)=い+あ=射る+主体の形態:矢」

「ゆ(母音調和語)=い+う=射る+屈曲の形態:弓」

「よ(母音調和語)=い+お=射る+押す形態:矢で突き殺す形態=弱る・夜」

「ら=複数の集合体:等」

「り=膨れた形態:尻・森・槍・栗・凝り」

「る=現在進行の形」

「れ=垂れ下がった形態:流れ・枯・きれ・くれ・ひれ」

「ろ(甲類)=呂」

「わ(母音調和語)=う+あ=屈曲+主体輪=輪」

『ゐ=連続の形態・猪・井・居(う+い=wi)母音調和語」

「ゑ=崩れの形態」

「を=男性・男根の形態」

 

 *「乙類(上代仮名遣いの13音の 〔こそとのもよろ・きひみ・けへめ〕の説明は次回に解説。


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 ◎ 和語の「最小単位のメタ記号=一音節語」である言語基盤体は「素語」である。 

 ◆「ソゴ・素語」とは何か。

 

 基盤体「基礎素材=アナロゴン:類同代理物」のことである。

 つまり「意義素」の「義」とは何かを明らかにすることが言語学の前提になるのである。

「意味」は「意義素」という要素によって意味が構造化されているのである。

これが理解できないと前には進めないのです。死に体の言語学ではもはや役に立たないのです。学問にはなっていないのです。言い換えの「述語」では「意味の解」は得られないのです。単語を解体しなければ「意味の要素」である「意義素」を見出すことはできないのです。

空海はこのことを「声字実相義・しょうじじっそうぎ」に著しています。「声字・しょうじ」とは1音節の文字の字義ことで「50音図」の「あいうえおかきくけこさし…………」の「一文字の音節構造のコトバ」の本質のことです。これこそが意義素であると言って居ます。単語の意味を構造化する意義素なのです。

つまり「山」は「や+ま」に分離解体して、その1音節語の「や・ま」が「声字・しょうじ」=「意義素」の「真言」なのです。

真言は地下階層に「秘蔵」され、そして「身体アナロギア=認識主体のロゴス」であり「身体アナロゴン」であると、人体部位で克明に説明しています。

 

 ◆イベントスキーマとは

 「素語理論」では、この1音節語を「実存」する「アナロゴン=人体類同代理物」で「意義とは何か」を特定します。

英語の「アナロギー」はギリシャ語の「アナロギア /analogia/」のことで、「意義素で物事を類比すること」である。これは単に、一義的なものではなく「同じであると同時に相違する意義」のことで、物事はテンスの経過の中で「物事の局面」が「イベント=出来事の流転」がなされて、

 

◆ 例えば 「草を刈れ」ば→「草が涸れ」て→「草が枯れる」の転変の因果律でモノゴトの局面の変容を遂げる。これこそが「実存=意義素による意味の生成=実在の根拠」の具体存在説明であり「意味の解」を深淵に示す具体事例ではないかと考える。

 動詞の存在と、その連用形が「名詞化」する日本語の意味の変転機能の意味文法を考察すると、このイベントスキーマの認知の経緯は「身体認識」という「動的実存の人体=因果律の本質存在」という認識主体(神ではなく人間)が、言語(和語)を創造していることを明瞭に示していることが判るのである。
 

 定義式は下記の形式で行う。

 記: 定義式

   具体的に用語例で示す。

 

 「かる」は和語で、多数の同音異義語が存在する。

 事例:「草を刈る」の「かる・/karu/」の同音異義語を列挙すると

 「①刈る」・「②涸る」「③枯る」「④軽る」


 

 事例:「鹿や猪を狩る」のイベントする同音異義語が存在する。

 「①硬る」「②駆る」「③狩る」
 

 イベント・スキーマとは、因果律で、最初の事象が発生するとそれを「起点的原因にして」事象が自動的に、因果的な自然変化の連鎖反応を起こし、次々に事象が変容を遂げる現象をいう。この現象を切り取って言葉にしたものがイベントスキーマで「存在対象」に対する人間の形態認識で用いられる言語の中枢の品詞である「名詞・動詞」である。宇宙世界を「静(名詞)と動(動詞)」で認識するのが人間であり、人間の身体的特徴がその生活の原理的な営みを行わせている。人体には手足や眼鼻や口がありそれらの人体部位の独自の機能で人間はその生命を維持している。それゆえに人体部位は人間にとって普遍的存在物(実存体)であると同時に「普遍的な形態認識」を、その生活共同体で共通に発揮できるのである。言語の普遍性はその民族・部族等によって、その生活環境の下で多様に形成される。

 言語の仕組みはその地域の自然環境の影響を受けて独自の特色を発揮して個性的に形成されている。動植物などの生命体の系統の多様性を見るとき、言語間の異相は人種の異相と同じように風土の影響を受けて多様に異なるのである。

 

◆認識の原理

 定義可能な「要素還元可能な意味の要素」とは何か。

 自然界で物事がテンスの経過でその形態が変容を遂げる、「繰り返し発生する同一現象」に対して、人間は学習し、その変容の規則性を認識する。この認識行為は人間のみならず、昆虫や魚類や植物に至るまで自然適応という形で外界の変化局面に適応を行っているのである。これは生命体という不安定にして、か弱い存在であるがゆえに、生きるための知恵を発揮して「種の延長努力=生存競争」を強いられているのである。

 この生命体の「世界認知」という生命体の特質こそが、種の保存・生存という「生きる」目的追及を特化させ、地球環境の厳しい苦難の条件を乗り越える知恵を働かせて生き抜こうとしているのである。

 哲学は言葉を使って生存を図る人間の本質を見極める「知的探求=コトバの科学」である。

「意味とは何かを」意味を持つ単語を「解」で解き明かすには、要素還元主義に基づく言葉の意味の「定義」が必要となる。

 

存在科学」の立場を認識できなければならない。言語はどのようにして作られているのかという「解明作業」が言語学者に求められる究極の課題なのである。つまり同音異義語の存在理由を解き明かす意味の解析が必要である。人工知能にそこのところを学習させないと、音声で呼びかけても正解が得られない。

 

 

 ◆万葉集巻頭歌の「こもよみこもちふくしもよ」の読解が、学校教育の場で、間違って行われていることをご存じでしょうか。

 

 試しにパソコンで、音声でのマイク入力をすると、次のように出力します!

 

   ①「こも読み込文字福祉もよ」 (パソコン)

   ②「籠もよ 美籠持ち ふくしもよ」 (学校教育の場で教えられている)

 

 実は、①も②も、大間違いで、学問的ではありません。「コ /ko/」の「甲類」の一音節語の「意義素」の正しい理解がなされていません。間違っているのです!

でたらめな読解であると断言できます。

 ◆正しい読解は

  ③『娘もよ美子 用ふ櫛もよ」であります。

 

   この読み方が「5・7」の和歌の基本のリズムです。次回に詳細に説明いたします。

 

 チャットGPTでは、◆こんな日本語ないぞ! というチェックがかからない、この入力システムでは、どうしようもないと思います。改善はできると思いますが、「和語の意味の定義」の基本学習をしなければなりませんね。

 

         ご精読有難うございました。 それではまた!