約束の8時に為った。

誰も来ないし、連絡も無い。

従姉の電話に何度も電話をするが出なかった。

千葉に居る母に取り敢えず電話をし、確認を取った。


もう1度電話して。

そう言う母に、何度も電話したが従姉には通じない。

そう一言伝えたが、あと少しあと少しと。

時間だけが刻刻と過ぎて行くが、誰も来ない。

その内、雪がチラホラと舞い降りて来る。

近年無い、大雪の兆しとTVでは言っていた。

傘も無く、コートの中で時間の切れた懐炉が冷えて行く。

10時に為り、法務局に滑り込んだ。


法務局で再度母に電話を掛け、手続に掛かる費用や交通費諸々の事はどうするのか。

身体に違和感を感じる僕は、帰りたい一心で母に相談した。

母は間を措かず僕に告げた。

代わりに出してあげて。

そして、取り敢えず兎に角、貴方が遣ってあげて。

僕は前日迄病院に居た。


貴方は大丈夫だから。

貴方は平気だから。

あの子は可愛そうなんだよ。

悩んで変に為って居て、それで遅れているだけかもしれないし。

良い加減な事をする様な子じゃ無いんだから。

電話の向こうで、僕に訴えてた。

僕は自分独りで病気と闘っている。


結局その日に掛かった諸々の費用は、僕が支払をした。

タクシーを呼びもう1度駅に行き、駅前で現金を15万おろした。

僕は、11時30分に来て頂いた知り合いの弁護士さんに、

行政書士さんに交通費其の他をお支払した。

僕が辛い思いをして貯めた、僕の命の為のお金を。


弁護士のA先生は、お金は後でも良いよ。

そう言って下さったが、情けなくて申し訳無くて。

どうしても受け取って欲しいんです。

僕が、母が、従姉が御願いした事だから。

そう無理矢理押し付けた事を、今でも情けなくも鮮明に覚えてる。


持って来たニコス・カザンザキスの『キリストはふたたび十字架に』を開き、

法務局のロビーで温かいコーンスープを口にする。

今でも、凹んだ時はコーンスープを口にする癖が出来た。

3分の1位読み進めた時、母から電話が有った。

母も連絡が繋がらない。

それも其処で待って居て欲しいと。

時計の針は既に15時を回っていた。

駅前のシティホテル弘前(現在:ベストウエスタンホテルニューシティ弘前)に電話をし、

予約を入れて確認をした。


時間だけが意味も無く刻刻と流れて行く。

気が付くと、17時に、そして18時に為っていた。

もう法務局に居ても変わりが無いので、僕はホテルに移動した。

ホテルに着くと、其処から母に電話を掛けホテルに居る事を伝えた。

従姉の電話には朝から20回以上電話しているが、

繋がらないし返事も1度も無かった。


母は電話口の向こうで、昼間の様に何度も僕に言った。

それも、切実に心を込めて語り掛ける様に。

貴方は大丈夫だから。

あの子は大変なんだから。

貴方は平気だから。

あの子は可哀そうなんだから。

遣ってあげて。

助けてあげて。


途中で僕は携帯をベットの下に置いて、音が出ない様に被せた。

5分後に為って取り出すと、聴いて無いと母に怒られた。

僕は此処に何しに来てるのだろう。

何で僕は此処に来てるのだろう。

何で病院のベットで横に為れないのだろう。


僕は大丈夫。


*明日



病院を出て、品川BTへ向かう。

勿論、担当医や看護師は反対していた。

母は前日、貴方は大丈夫だから。

そう僕に何度も連呼していたが、何が大丈夫なのか。

今でも僕は其の言葉の意味が理解出来てはいない。

掛かったお金は、当然の事ながら従姉が負担するとの約束だった。

母もそう僕に何度も約束をしていたし、確認を取ったとも。


11月半ばで、もう冬の入り口を少し入った時期。

JR品川駅の高輪口を出て、右に10分程歩く。

コートにマフラーに、歩く度に息があがり呼吸がきつくなる。

荒く吐き出された息が、白く漂い光っていた様な気がする。

病院の中は、意外と温かなんだな。

そんな取り留めの無い事が頭に浮かんだのを覚えてる。


京急バス・ノクターンが品川BTを滑り出した。

其の時に僕は何を考えて居たのか、何故か今でも思い出せない。

痛み止めの薬が効いていたのかもしれないし、

疲れで身体が重く為っていた為かもしれないし、

只単に何も考えたく無かったのかもしれない。


翌朝、夜行バスは青森県弘前市に、7時30分頃に着いた。

イトーヨーカドー弘前店に隣接する弘前BTは、

千葉や東京に比べると寒く暗い感じがした。

タクシー乗り場へ移動し乗り込むと、

弘前の法務局へ急いで欲しいと告げる。

駅の反対側である城東区域に在る法務局へは、

其処に認知している幼馴染から15分位で。

そう教えて貰っていたのと、品川の熊谷書店で購入した地図で確認している。


法務局へは7時50分に到着。

どうにか間に在ったと、母と従姉に電話をかける。

従姉へは電話は通じず、母からも電話をして貰う事に。

雪がチラホラ舞い始める中で、

僕は法務局の前の造成地で従姉が来るのを待った。

身体が重く、指先が麻痺して、寒さを感じなかった事を覚えてる。



*明日

電話先で一生懸命話を続ける従姉と、目の前の母がいる。

保険を解約した。

子供の学資にも手を出さなくてはならない。

従姉はそんな語句を僕に話をしている。

僕はお金は出せないし、出す心算も無い。

自分の命を癌から守る事に使うお金や、会社のスタッフの為の資金だから。


当時僕は、大学の先輩達が立ち上げた不動産会社の取締役も兼任してた。

障害者や高齢者、女性向けの住宅を対象に担当してた。

其の立場で、アドバイスが欲しいと云う。

母は従姉が可哀そうだと僕に詰め寄り、体調を壊してた祖母に辛い思いをさせたくないとも。

革めて、僕が癌の手術の時は誰も親さえも。


押し切られた。

結局、僕は押し切られた。

アドバイスだけと云う約束と、返済内容の確認だけと云う2人の言葉を信じて。

正確な処は700万位だと云う言葉を信じて。

そうして僕は、青森県弘前市に行く事に為った。


其の時に決められたスケジュールは、下記に記述した内容です。

①病院で治療が終わり次第、品川BT22時発・弘前行き夜行バス・ノクターンに乗車。

②弘前BTに7時15分到着予定

③話の内容確認と説明がしたいと言うので、8時に弘前市法務局前で従姉と待ち合わせ。

④確認作業

⑤即日帰宅(千葉)

出発は来週と決まった。


そこに最初の間違いが在った事に、僕は気が付かなかった。

気が付いていれば。


*続きは、又明日お話させて頂きます。