職場で出会ったある人がいた。
「私たちは仲間」「パワハラなんて絶対に許さない」と言い、いつも笑顔で周りを明るくしてくれる人だった。
けれど、ある日どうしても注意しなければならないことがあり、私は心を込めて伝えた。
それがきっかけで、その人の態度は一変した。私にだけ目を合わせず、言葉を交わさなくなった。まるで私はいない人のように扱われる様になった。
最初は悲しかった。そして、何が悪かったのだろうと自分を責めもした。謝りもした。
でも私の謝罪は相手の心には全く届かなかった 。
けれど祈祷の静寂の中で思った。
人は、自分の中の痛みを直視できないとき、その痛みを“誰か”に投げてしまうのだと。
注意をされるというのは、魂が光に照らされる瞬間でもある。
けれど、その光はまだ癒えていない心にとっては眩しすぎる。
だから人は、光を向けてきた相手を拒み、時に攻撃という形で自分を守ろうとする。
それはまだ光に慣れていない魂の反応なのだと思う。
…では、「悪」とは何だろう。
人を苦しめる行為だろうか。
痛みに耐えられず他者を傷つけてしまう心だろうか。
私は思う。悪とは、光を恐れる心の影だと。
その影の奥にも、本当は癒えを求める祈りが潜んでいる。
祈祷師として私は、そうした心を “裁く” のではなく “祈る” ように見つめている。
人の中の闇を見たときこそ、光が届くよう祈りを込める。
いつかその人の心にも、やわらかな気づきが訪れますように…

人は皆、癒しの途中にいる。
怒りも悲しみも、やがて魂を磨く糧となる。
今日も静かに、すべての魂の安寧を祈っています。