お不動さまのもとで ~兵庫 姫路 水壬庵~ -18ページ目

お不動さまのもとで ~兵庫 姫路 水壬庵~

お不動さまのもと、みえない世界の事でお悩みの方のお役に少しでも立てますように…

職場で出会ったある人がいた。


「私たちは仲間」「パワハラなんて絶対に許さない」と言い、いつも笑顔で周りを明るくしてくれる人だった。

けれど、ある日どうしても注意しなければならないことがあり、私は心を込めて伝えた。

それがきっかけで、その人の態度は一変した。私にだけ目を合わせず、言葉を交わさなくなった。まるで私はいない人のように扱われる様になった。


最初は悲しかった。そして、何が悪かったのだろうと自分を責めもした。謝りもした。

でも私の謝罪は相手の心には全く届かなかった 。


けれど祈祷の静寂の中で思った。

人は、自分の中の痛みを直視できないとき、その痛みを“誰か”に投げてしまうのだと。
注意をされるというのは、魂が光に照らされる瞬間でもある。

けれど、その光はまだ癒えていない心にとっては眩しすぎる。

だから人は、光を向けてきた相手を拒み、時に攻撃という形で自分を守ろうとする。
それはまだ光に慣れていない魂の反応なのだと思う。


…では、「悪」とは何だろう。

人を苦しめる行為だろうか。

痛みに耐えられず他者を傷つけてしまう心だろうか。
私は思う。悪とは、光を恐れる心の影だと。
その影の奥にも、本当は癒えを求める祈りが潜んでいる。


祈祷師として私は、そうした心を “裁く” のではなく “祈る” ように見つめている。
人の中の闇を見たときこそ、光が届くよう祈りを込める。

いつかその人の心にも、やわらかな気づきが訪れますように…



人は皆、癒しの途中にいる。
怒りも悲しみも、やがて魂を磨く糧となる。
今日も静かに、すべての魂の安寧を祈っています。


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