私の歩んできた中で、どうしても心に残り続けている出来事があります。
それは、引っ越しをするたびに、家の前が火事になるということです。
これまでに四度、実際にニュースになるような出来事として現れました。
偶然と言えば、それまでかもしれません。
けれども、重なる出来事というものには、どこか見えない流れのようなものを感じてしまうのも、また正直な心です。
私は、火というものに対して、強い恐れを持っていました。
それは単なる恐怖というよりも、どこか深いところに触れるような感覚です。
あるとき、静かに座している中で、ひとつの映像が現れました。
それは戦国時代の火にまつわる光景であり、言葉では言い表せないほどの重みを伴うものでした。
その瞬間、私は思いました。
人は時に、自らの内にあるものを、形として “見せられる” ことがあるのではないか、と。
そしてそれは “今の自分に必要なかたちで現れているもの” だと。
もしこれを “業” として捉えるならば、
それは責めるためのものではなく、
気づくために現れるものなのだと思います。
火は、破壊であると同時に、浄めでもあります。
恐れの対象でありながら、同時に強い力の象徴でもあります。
だからこそ私は、この出来事を
“恐れるべきもの” としてではなく、
“向き合うべきもの” として受け止めています。
不思議な体験には、説明のつかないものもあります。
けれども、その一つひとつに飲み込まれるのではなく、
静かに手のひらに乗せるように見つめていく。
その在り方こそが、私にとっての道なのだと、今は感じています。
