先日、遙拝加持法として、
癌の再発を防ぐことを願う祈りを行った。
内臓二ヶ所を中心に、お不動さまと薬師如来さまの御力をお借りし、ただ静かに、整えることだけを意識して祈った。
長く集中していた時、『もっと送らなければならないのではないか』そんな思いがよぎった。その時突然、大きな般若の面が浮かんだ。
正直、戸惑った。
般若の面には厄除けの意味があると言われる。
だから一瞬『これは大丈夫という兆しかもしれない』そう思いかけた。
けれど、ここで一度立ち止まった。
般若の面は、単なる守護や吉兆だけを表すものではない。
そこには、苦しみ、執着、強い感情が転じた姿という側面もある。
癌という重いテーマ。『どうか再発しませんように』という切実な願い。
長時間、結果を思い描き続けた集中。
それらが重なったとき、自分自身の内側のイメージが象徴として現れるということは、決して珍しくない。
大切なのは、現れた象徴を「結果の保証」にしないことだ。
祈りは、支えるためのもの。
結果を決めるためのものではない。
医療の判断を超えて、誰かの生死や検査結果を背負うことはできない。
般若の面は「これ以上、執着で踏み込むな」
「ここで手放し、委ねよ」という内なるブレーキだったのだと、私は受け取った。
祈りは尊い。
けれど、続けすぎれば祈る側を壊してしまうこともある。
だから私は「私はここまで役目を果たした」そう言葉にして、祈りを終えた。
残りは医師に、本人に、そして仏さまに委ねる 。
それが、祈りを “清いまま” に保つということなのだと思う。
もし、祈りの最中に強いイメージや象徴を見たときは、すぐに意味づけをしなくていい。
大切なのは、現実と感覚の境界を守ること。
祈りは、断定しないからこそ人を支える力であり続ける。

