「無門関」を読む29
二十八、心仏にあらず
南泉和尚はある僧にこうきかれた。
「これまで誰も人の為に説いてこなかった究極の法というものが果たしてありましょうか?」
南泉和尚は「あるとも」と答えた。
「ではその人の為にまだ説かれていない法とは如何なるものですか?」
南泉和尚は言った、
「それは心のことでもなく、仏のことでもなく、物質のことでもない」
無門に曰く、
「南泉和尚はこの問いをうけて直ぐにわかったのだ。仏法を弄んで何か言ったところで徒労に終わることを」
謳おう、
具体的に言い過ぎるのは君子の徳を損ねる
無言こそ効果的だ
海が陸地になろうとも言わぬが花というものよ
無門関を読む27
二十六、僧は二人とも簾を上げた
清涼院の大法眼和尚は、ある日、僧が昼食前の参禅 に訪れた時、二人に向かって指図するかのように、黙って簾を指差した。
二人の僧は、二人とも簾を巻き上げた。
清涼大法眼はこれを見て言った、
「一人はそれでよかろう、だが、もう一人は間違えておる」
無門に曰く、
「さてここで考えてみてほしい。どちらが正解で、どちらが間違えたというのか?視点を変えて見るならば、清涼大法眼の言った意味を知るだろう。だが、ここでそれを論ずるのはあえて避けよう」
謳おう、
窓を開け放てば明るくなり
全て空だとわかるだろう
だが空のみでは仏道を未だ極めず
どう生きればよいか
空から放出されて隅々まで満ち溢れ
風も通さぬこの現世を
無門関を読む26
二十五、三座の説法
仰山和尚は夢の中で弥勒菩薩の処にいて、3番目の地位の席に座らされていた。
偉そうな者がやって来て槌を打って皆を呼び出し、こう告げた、
「今日の説法は第三の席にある者の番となっておる」
仰山和尚は立ち上がって槌を打ち鳴らして言った、「お聞きなさい。大乗仏教の仏法は「一異有無」の四文字で は語り尽くせず、100種の批判を絶する境地である」
無門に曰く、
「さてここで考えてみよう。これは説法したのか、していないのか?語ろうとすれば間違えそうだし、黙っていては説法にならない。語らないで、しかもベラベラ喋るだけでは仏法とはかけ離れているだろう。」
謳おう、
青空と太陽のもとで夢語り
奇々怪々人々誤魔化す戯言よ
