ブタが~道を~行くよ~ズンチャッチャ~♪

向こうから車が来るよ~ズンチャッチャ~♪

ブタは~死ぬのが嫌だから~

車を避けて~行くよ~ズンチャッチャ~♪

こんな歌が窓の外から聴こえたのは夜中の2時を過ぎた頃だった。

年の暮れ、忘年会帰りのサラリーマンか学生だろう。いささか調子の狂ったその音色は、住宅街を包む大きな静寂の中に吸い込まれていった。

外の世界は"まるで冷凍庫にいるようなほど寒い”らしい。夕飯時のTVでアナウンサーが、綺麗に飾られた大きなクリスマスツリーの前から頬を赤くしながらそう伝えていた。そもそも彼女が冷凍庫に入ったことがあるのかどうかは別として、確かに今夜は冷え込んでいる。「中」にいる人間には朝になるまでわからないことだが、この日、東京は今年最初の雪の夜を迎えていた。

11月の終わり、映画を観終えた僕らは、新宿の街を何処へというわけでもなく歩いていた。午後3時半、この時季にしては暖かく、片手に持った厚手のジャケットが邪魔に思えて仕方なかった。

「厚君、どこか入らない?」

彼女はバッグを別の手に持ち替え、そう提案してきた。正直僕も少し喉が渇いていた。

映画館に入ってから、僕は飲み物を買いにいくため立ち上がった。しかし、そのとき彼女が僕を止めた。彼女曰く、Sサイズのインスタント紅茶一杯に400円も掛けるのは場所の雰囲気に負けている人だと。普段から400円を払ってSサイズ一杯の紅茶を飲む習慣がある人ならいざしらず、私は少なくともそんなオカシナお金の使い方はしない。らしい。僕は席に腰を下ろし、レトロなオレンジ色のカップに入った紅茶はオアズケとなった。

彼女の名誉のために言っておくと、彼女はケチではない。さらに言ってしまえば決して節約家なわけでもない。ただ合理的なのだ。無駄な事はしない。そんな彼女が僕と付き合っていることは不思議としかいいようがなかった。

夕食にはまだ時間が早いので、雑居ビルの地下にある喫茶店に入った。店の中は薄暗く、棚に置かれたスピーカーからプーランクの「フランス組曲」が流れていた。

「僕はブレンド」

「私はアールグレイをお願いします」

注文を終えると、僕は煙草を取り出しジッポで火をつけた。マールボロの煙を昇らせ手元に視線を落とす。ポールスミスのジッポライターは彼女からもらったものだ。運ばれてきたグラスの水を一口飲み彼女を見ると、彼女も僕のほうに視線を向けていた。

「そろそろクリスマスだね。玲子は何か欲しいものとかある?」

まわりくどい話は苦手なので、僕は要件を伝えるときはいつも単刀直入だ。

「プレゼントの話?」

玲子は特に興味はなさそうだった。

「厚君はクリスマスにプレゼントが欲しいの?」

やはり興味なさそうに聞き返してくる。

「今は僕が質問してるんだけどな」

「厚君はプレゼントが欲しい?」

こういうときは彼女に話の流れを合わせるしかないのを1年半の付き合いの中で学んでいた。

「僕はクリスマスにプレゼントなんて期待してないよ。普通は彼女に贈る方の人間になるんじゃないかな」

「じゃぁ、厚君は私にクリスマスプレゼントをくれようと考えてるんだ?」

「そのつもりだけど」

僕の返事を聞いて彼女は少し間を置いた。

「いらないって言ったらどうする?」

「無理には贈らないよ」

「ホントに私がいらないと思っていると思う?」

「どうだろ?それは君にしかわからないんじゃないかな」

「そうね」

と、彼女は笑って、腰を少し上げ座り直した。彼女はバッグから今日観た映画のパンフレットを取り出し、この話はここで終わりと言わんばかりに主役の演技について語りだした。テーブルにブレンドとアールグレイが運ばれた頃には1本目の煙草がすべて灰になっていた。

午後5時。地下の喫茶店を出ると辺りはすっかり暗くなり、厚手のジャケットがようやく役に立つ気温になっていた。彼女を夕飯に誘ったが、少し疲れたとのことで、僕らは夕飯を取らずにそれぞれ家路につくことにした。

帰りの路線が別々のため、僕は京王線の改札まで彼女を見送った。彼女は「今日は楽しかったわ」とだけ言い残し、一度も振り返らず人ごみの中に消えていった。

新宿駅には少し先走った感のあるクリスマスのイルミネーションが綺麗に飾られていた。僕はその横を足早に通り過ぎ、今日観た映画のラストシーンを思い出しながら

「あのオチはないよな」とひとり呟き山手線のホームに向かった。


つづく

前略

私たちは「黒蜜派小説事務所」を平成18年1月18日に設立いたしました。具体的な活動内容は未定ですが、近日中に方向性を決めてご報告いたしたいと思います。皆様のご訪問を心よりお待ちしております。  敬具


一口坂 薩摩

風見鳥 そら

九段 橙一郎