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  ひとしらずして

   プロスケーター町田樹の誕生から引退までを見守ったファンの記録

ブログ「ひとしらずして」は年内をもって更新を終了いたします。

以前の記事「愚痴を言う人」でも書いた通り、
このブログは期間限定ブログです。

「町田樹が大学院を修了するまで続ける」と言ってたものの、
でも実際に博士課程修了という情報をどうやって知るの?
町田くんの公式サイトに表記した日、或いはその月にブログの更新を終了する?
なんか微妙な区切りだな〜と少々終了日を迷っておりました。

そうこうしている内に町田樹のスケーター引退報告が。
私のブログの更新も、この区切りに揃えるのが一番自然だろうとすんなり思えました。

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ブログを書き始めた4年と少し前。
自分の気持ちを書き綴ることが出来ればいいという考えでした。
人に見てもらうことが目的じゃないって。

でも、それは自分の気持ちに気付いていなかっただけでした。
自分の気持ちを綴るだけならPCのメモ帳でいいじゃん。
こうやってネット上のブログに自分の気持ちを書くってことは
自分の考えを誰かに聞いてほしいっていう気持ちがあったんですね。

まぁ、私のブログを読んで、
「誤字おおい」「日本語ヘタすぎ」そんな感想も多かったとは思いますがw
それでも、私の記事を読んでくれる方々がいらっしゃるということが、
ブログを書く原動力の1つでありました。本当にありがとうございました。

また、取っつきにくさを感じさせるブログだったと思いますが
それでもコメント・メッセージを寄せてくださった方々、ありがとうございました。

あと、この記事を含めた残りの記事ではコメント機能を外させて頂きますが、
いいね機能は1記事単位で設定できないのでこのままにしています。
最後まで初心を忘れず!という意味で、初期の頃「きらきら雑記」さんから押してもらったいいねを残して置きたいのです。
(きらきら雑記さんはアメブロを辞められたのでアイコンは残ってないですけど)

この、いいね機能からも様々なブログ主様&ブログ記事と出会うことができました。
頂いたいいねもコメントも私のブログの大切な宝物です。本当にありがとうございました。

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自分のブログを持っている以上は、自分のファーストインプレッションというか、私の価値観で見た感想を残して置きたかったので、新しい作品やコラム等が出る度に「自分の記事を書き終わるまでは、他の人の感想の観覧禁止」という縛りを自分に課してました。

私は文章を書くのが遅く、酷い時は1記事を書き上げるのに一週間かかることもあるくらいなので、
世間が町田くんで盛り上がっている時に、町田ファンのコミュニティへ見に行けない不自由な状態は、自分で決めたことながら結構きつかったですw

自分のブログの更新をやり終えたことで、そこの部分は今後自由になるのかと思うと
ちょっと晴れ晴れとした気分でもあります(^^♪


それにしても、飽きっぽい私が約4年間もブログを続けることができたなんてスゴイことですw
町田樹への情熱は吃驚する位に私の人生を良い方向に変えてくれました。
この記事を含めて町田樹関連は合計171記事!(あと2,3回更新を残しているけど)
我ながら頑張った数年間だった思います。私もやればできるじゃんw

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ブログのプロフィールの部分。未だに白紙のワタクシ。
ブログを始めてから暫くの間、本当に町田樹のファンでいられるのか自分に自信がなかったのです。

本来、選手が…というよりも、フィギュアスケートの「プログラム」が好きで、バルセロナ五輪の頃から細々と見ていたようなものでしたから、
そんな自分が誰か1人の選手のファンになるだなんて信じられなかったのです。
町田くんが新しい作品を演じる度に
「ほら、私は町田樹じゃなくて○○という作品が好きなだけだったんだ」
いつか、そんな日がくるような気がして
白紙のままにして自分に逃げ道を用意していたのです。

しかし結局、町田樹ファンのままでしたねw 
しかも熱烈ファンという部類にまで進化したようなw
最後の更新時には「プロスケーター町田樹の誕生から引退までを見守った あるファンの記録」とでも記入しておこうかな。


町田樹はプロスケーターは引退しましたけど、
彼の挑戦はまだまだ続いており、私もそんな彼を応援し続けています。
今後の彼の活躍に胸が熱くなり「書きたい」という熱が高まってきたら
別の場所でブログを一から始めるかもしれません。

未来の何処かで町田樹をねちっこく語るヤツを見かけたら……
その時は皆さま! またよろしくお願いいたします。

 

この↑今までパート毎に出してきた3つの軌道を重ね合わせたものが、
今回私が出した第九の軌道の全体像です。
そのジャンプの位置8つ(コンビネーションジャンプは最初のジャンプの位置)に
飛んだ順にナンバーをふって……



1〜5番目までのジャンプをつなげると…………
おおおおお…星が出た!



分かりづらいのでジャンプの位置を少しずらしてみる。
と、ほら!ちゃんと星の図形が出てるでしょ!!
私の拙い軌道の出し方でも星型が出るなんて感動…(ノД`)・゚・。

1〜5番目のジャンプで星型
6〜8番目のジャンプで三角形


このジャンプの配置にも諸説あると思いますが、
私が引退時にリアルタイムで知って涙したのが「星型」という考察でしたので、
その真実を自分の手でしっかりと掴みたかった。

私の軌道やジャンプの位置はズレがあるのを考慮しながら見直すと
星型の中央からスタートし、Celebrationパートの残り3つのジャンプで描く三角形の中央でラストを迎えているような気もします。

三角形。

これは宇宙の星の配置ではないか?という案は見たことありますので、
私は純粋に三角形という図形のパワーを描いた…という説を出しておきましょうか。
『高校2年のとき、メキシコのピラミッドの頂上でアルミみたいなものに触れたら四回転が完成した』
私は三角形を見た時、真っ先にこの名言が頭に蘇りましたw
三角形はピラミッド(エネルギーの集積器ともいわれている)を真横から見た時の形でもあり、
三角形は人の世と神の世界を繋ぐ神聖な図形とも言われています。
そういうスピリチュアルな意味を込めていたりするのかも?( ´ー`)フフフ




今回の第九の考察では、これといって新しい発見はできなかったです。
自分で「こうではないか?」と思っていたものをなぞるような作業ではありました。
しかし今はこれで十分。
試行錯誤しながら、自分の頭の中で想いを巡らせるだけで十分。


Queenの映画「ボヘミアン・ラプソディ」を見て思ったんですよ。
この映画の中でフレディは「この音楽を聴いた瞬間『自分のものだ!』と(リスナーは)思うはず」そういう意味合いのことを言うのです。曲は聞く人のものだ、と。
「聴いた人が自分たちのことだと感じる」ことを大切にしたいと。

私も町田くんの作品を見た瞬間「私のものだ!」と思ったのだと思う。
こんなに私の心を掴み離さなかったのは、
きっと私の心の凸凹とパズルが組み合うようにピッタリと重なったからなのだと。

最近、映画からQueenに興味が湧いて、ネットの中を色々彷徨っていたんですよ。
そしたら…フレディの没後何年たってもファンの人たちは「Love of my life」や「ボヘミアンラプソディー」の曲に込められた解釈を語り合うのです。
自分はこう思う、いや、きっとフレディはこう思ったのではないか。
私はそういうファンの姿を見て、作品が愛されるっていうのはこういうことなんだと思いました。

だから、今はこれで十分。
町田くんが選手を引退した当初は、第九のことを隅から隅まで全部語りつくして欲しいと願っていたけど、
Queenのメンバー達が曲の意味を語りたがらない姿を見て考えが少し変わった。

私はまだまだ町田樹の作品に自由に思いを巡らせたい。
そして、町田樹の作品を「私のものだ」と受け取ったファンは大勢いる。
細かい意味を…正解を知らないほうが
幾万人の「私のもの」であり続けられるのかもしれません。
町田樹の作品も、このまま皆の心を支え続ける存在であってほしい。

第九について深く考えてみようと思ったのは、
町田くんの「ジャンプの種類もひとつひとつ意味をもたせて配置している」という発言を聞いてから。
あと、そのジャンプの位置について「星型の図形を描いているのではないか?」との考察を以前見かけまして、自分の手でその謎を確かめたかったのです。


今回の記事では、先ず第九のジャンプに込められた意味を私なりに紐解いてみます。

去年の記事、町田樹のジャンプの意味−ひとつの仮定で作ったジャンプ解釈表に基づいて
先ず各パートに命名された言葉、Passion、Cherish、Celebrationに合った言葉を解釈表からざくっと落とし込んでいきます。


第九 - ジャンプ予定構成より
◆ 4T(出発点)
◆ 4T+2T(物事の初期)
◆ 3A+3T(挑む+幕あけ)

◆ 3S(本質)
◆ 3Lo(共鳴し合う)

◆ 3A(希望)
◆ 3F+2T+2Lo(克服する+原点+永遠)
◆ 3Lz(アイデンティティ)


このままでは言葉のぶった切りなので、それぞれを文章で繋いで滑らかにしたものが下記の表です。
※パッションは「受難」という意味で考えています。



歓喜の歌をベースにして組み立てさせてもらいました。
ジャンプ1つひとつにも意味があるということは、
つまり振付の動作だけでなくジャンプもで何かを表現しているということなのでしょう。
音に合わせるだけではなくてね。

もちろん私が考えてみたこの案は、無理矢理感が否めない仮定であります。
本来、このようにジャンプを振り付けの一つとして緻密に組み立てた作品なのであれば
リカバリーという行為は、作品を壊す為にできないだろう…というのが私の考えです。
しかし全日本ではセレブレーションパートの2A(本来3A)の後に2Tを入れてリカバリーしているし。

そのリカバリーは競技者として勝ちにこだわった故の飛び直しなのか……?
全日本だけはPassionパートの軌道も少し他の競技会のものと違いますし……最後の第九と仮定して、町田樹が別の意味を込めた作品だと考えたほうがいいのか。
矛盾なのか最初から予定されていたものなのか……第九は謎が多い作品だと思います。

次は「ジャンプの配置は星の形を描いているのか?」についてです。