※中国ドラマの話は一切しないのでいつも読んでくださってる方は読まずにスルーしていただいて大丈夫です。
録り溜めておいた「どうする家康」の最後の5話を、今観終わりました。
泣きました。
めっちゃ泣いたな~っていうこの気持ちだけは自分のために残しておきたい。
「どうする家康」の話をすると、あぁ、嵐ファンだから見てるの?と言われそうで、それが嫌でリアルでもあまり見てると言わずに一年間1人で静かに観てた。
Kumiは中国ドラマでも日本のドラマでも、推しの作品もイマイチだなと思ったら正直にそう言っちゃうし、見るのやめちゃう。
推しが見られれば出来が良くても悪くてもなんでもいいの❤️って言い出したら、推しが頑張って良いものを作る意味が無くなっちゃうし、それは推しの仕事に失礼だと思うから。
だから余計に、嵐ファンだから褒めてるんでしょと言われたくないのです。
あと、低視聴率!って嬉々として言う層が必ずいるのもめんどくさい😑
いまだにテレビのリアタイ視聴率でしか判断できない人たちってなんなんだろう?
テレビなんか持ってない人も多くて、配信で見たいものを見たいとき見られる時に自由に見る時代なのに。。。
個人的な感想として「どうする家康」は松本潤が出てるから、という理由ではなく、純粋に家康という人の生涯の描き方が良かったと思う。
若くて弱くて優しくて情けない普通の青年だった家康が、大切なものを失って、失って、失って…変わらざるを得なかった。
妻と子を守りきれず死なせてしまった後、戦の無い世を目指すことを決意して、やがて本当の自分さえも見失っていく。
戦を終わらせ理想まであと一歩、というところまできても、また新しい戦が始まってしまうループ。
その絶望感に年老いた家康が静かに流す涙がとても苦しい。
死を間近にした家康の「あの金色の具足をつけたその日から、望んでしたことはひとつもない。望まぬことばかり。したくもないことばかりをして…」というセリフにも泣かずにいられなかった。
今回の家康像は、昔からの大河ドラマファンや家康ファンの目にはどう見えたんだろう?
こんなの家康じゃない!と思う方もいるのかもしれない。
でもこんな解釈もありだなと思えました。
世に名を馳せた武将たち皆が皆、戦が好きでしていたとは限らないんじゃないだろうか。
戦乱の世だって、死にたくない、殺したくないのは同じだろう。
戦いたくない末端兵がいたように、戦いたくない武将だっていただろう。
だけど、その時代に生まれてしまった家康は、戦が繰り返される世を良しと思えなかった家康は、あのようにしか生きられなかったのかもしれない。
多くの人に愛され、恐れられ、守られ、恨まれ、慕われて…
その人生を、可哀想だなんて思ったら失礼なのかもしれない。
でもやっぱり、可哀想な部分がとても多いと感じてしまう。
今となっては、本人がどのような方だったのかは誰にも分からないけれど…
やほり1年かけて家康という人の人生を追ってきたので、最期は胸に迫るものがありました。
これを言うと一部のファンには怒られそうだけど、松本潤はすごく演技が上手いとか感性だけで役になりきれる、みたいなタイプではない。むしろ不器用。
でもその分、とことんその人物像について考えて、感じて、徹底的に向き合う誠実さがあの家康を作り上げたのだと思う。
推しだからとかじゃなく、心を動かされる芝居だった。
1年半という長丁場、素晴らしい仕事をしてくれて感謝です。
個人的には、茶々の死に際のあの現代日本人への説教くさいセリフが興醒めで残念だった。
言ってることには一理有るのかもしれないが、少なくとも無駄に多数の死者を出したあなたがそれ言うのは違うのでは😑
しかし、平和な世に生まれてくることができなかった、その点においては彼女もまた気の毒な女性ではあった。
全体的にCGとかもうちょっと頑張って~💦と思うところもあったし、中弛みを感じるところもちょっとあったけど。
主要メンバーの後半の老けメイクはリアルで良かったし、芝居も本当に高齢に見えた。
最後の5話は各人物が順々に人生を終えていき、それぞれの背負ったものの重さ、ひとつひとつの命の重みにずっと泣いてました。
書ききれないから書かないけどみんな良かったです。
1年かけてじっくりと観て考えることのできる大河ドラマって、やはり特別なものだなと思いました。
ありがとうございました。