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私の経験した不妊治療〜出産〜育児について書いています。

(27歳で結婚→長〜い不妊生活(原因不明の不妊)→38歳で体外受精を決意→40歳で出産)

 

※初めてお越しいただいた方はこちらをご覧ください。

前回の記事はこちら 〜第60話〜

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〜第61話はこちらから〜

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陣痛促進剤が効いてきて、分娩室に移動した私。

夫が入ってきて

私の母親と義理の両親までもが病院で待機してくれている

とのこと。

 

これがすごくプレッシャーになりました。

滝汗

 

「帰ってもらって。いつになるか分からないから

今日産めるか分からないし!」あせる滝汗

 

人を待たせているということが、妙に気にかかり

 

「帰ってもらって帰ってもらって」

 

と、うわごとのように呟いていました。

 

お産に集中したい中で、人を待たせているなどという心配事が

ちょっとでも増えるのが嫌だったんですね。

ダウン   ダウン   ダウン   ダウン

 

しかしこの痛みは、いつまで続くのかはてなマーク

 

ずっと拷問を受けているような状態が続くと

だんだんあきらめの境地というか

「もうどうにでもしてくれ」チーンという気持ちになってくるものです。

汗汗汗汗汗汗汗

最初のうちは

ここまで苦しんだんだから、最後は自然分娩でいきたい

という気持ちも残っていたのですが

 

何度か赤ちゃんの心拍が弱まって、バタバタと医師が駆け込んでくる場面では

 

一刻も早くこの苦しみから解放されたいから

いっそのこと、帝王切開でお腹を切ってくれー!!

 

とも思っていました。

 

ラブラブ赤ちゃんに早く会うための痛みラブラブ

!?  !?  !?

 

ゲッソリそんなポジティブな気持ちには、とてもなれませんでした。ゲッソリ

ダウン   ダウン   ダウン   ダウン   

妊娠初期から心配事ばかりだったし

ちっとも楽しいマタニティライフなんかじゃなかった。

 

大きなお腹は窮屈だし

自分以外の命を預かっているというプレッシャーも重かったです。

 

子供が欲しくて不妊治療を頑張ってきたのに

いざ産んだ後どうしたら変わりなく仕事が続けられるか、保育園はどうするか

妊娠後期はそんなことまで考え始めていました。

 

母性らしきものは、実はまだ私には

ひとかけらも芽生えていない。

 

だからこそ、お産の痛みにも弱い私がいました。

 

笑い泣き 笑い泣き 笑い泣き 笑い泣き 

つづく

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